r a u  e r e i : 3


その事件の終息は、ジョウトの方でも号外の新聞が出ていた。公園のベンチに捨て置かれていたそれを覗き、オレも決着がついたことを知る。
ねえさんが言うには、ワタルは鳥を操ろうとしたものの、自分たちをさらったあの虹色の鳥―――姿をぼんやりと思い出したらしい―――とは違うものだった、とのことだった。
そして、その鳥がジョウトの方に逃げ出してきたらしく、オレに調査を頼む、とのことだったが―――。
「…それで、ねえさんはこれからどうするの?」
オレのそんな問いにも、画面の中のねえさんは曖昧な笑みを浮かべるばかり。
「…まだアタシにはやらなくちゃいけないことがあるの。ジョウトへは行けない。…だから、暫くは…シルバー、お願いね」
何かを決心していたのだろう。それが何であるか…聞きたかったが、きっと姉から返ってくる言葉はいつもと同じ。
指を握りしめ、噴き出そうとする感情を抑えて…それでやっとのことで、「わかった」、という言葉を喉から絞りだすことが出来た。


しかしあの男の正体を探る手がかりがかなり少ないことに、オレは最近やっと気がついた。
唯一の大きな手がかりであるあの大きな虹色の鳥―――もしかしたらポケモンかもしれない、―――が何ていう名前なのかすら知らない。
写真もないので、人に聞くことも出来ない。
しかも自分は姉のように口達者でもない。元々姉以外の人間と喋ったことなど皆無に等しいし、人に理解してもらえるように話をする言語能力すら自分は乏しかった。
おまけに子供(しかも赤髪、銀目という異風な姿)だったので大人は馬鹿にしてろくにちゃんと話を聞いてすらくれない。
大人、いや、人間というものは、あまりに掴み所のない話は信じようとはしないものだ。
おおよそ信じられない、常識では考えられないと思うものは受け入れない。そこには、面倒なことには関わりたくない、という思考がある。
子供の戯言、と突き放してしまうことは、とても楽だから。

いい加減にしろ、ガキの話なんざ聞いてる暇はない、とつっけんどんにその店から放り出された時、外は沛然たる大雨だった。
その時のシルバーの思いを汲み取っているかのように、大きな粒を流す空の涙―――ざあざあざあ、石造りの道路をべったりと、何もかもを涙で濡らしていく。
店に向かって激しく威嚇するニューラを諌め、行くぞ、と街中を後にした。

自分のことを馬鹿にする大人に腹を立てていたわけではなかった。 しかし、怖かった。
手がかりが少なすぎる。場所が何処かわからない、あの虹色の鳥の名前も知らない、あの男の名前も顔も知らない。よく考えれば、こんなことで信じてもらおうという方が
無理だろう。
…こんなことで、あの男に復讐することなど出来るのだろうか?
そもそも、姉は何をしているのだろうか?四天王の将・ワタルが操ろうとしていた鳥は自分たちの求める虹色の鳥とは別ものだった。事件は終わった。
カントーにいる理由はもうないのでは?どうしてわざわざ自分から離れ、カントーにいるのだろうか?
やらなければならないこととは一体何なんだ!
―――姉は何も喋ってくれない。自分を心配して、苦労をかけまい、としてくれていることは十分に解っている。
でももしかしたら、自分が重荷になって…両親と暮らしたくなって。 あの図鑑所有者たちとの交流が、自分と一緒にいるよりも心地よくなって…それで、カントーに…

急いでぶるぶると頭を振る。
どうしたんだ、オレは。…ねえさんを疑うなんて。他の誰を裏切ることになろうとも、この人だけはと誓ったねえさんを疑うなんて。

ざあ、ざあ、ざああああああああ
一人考え込むシルバーをまるでそそのかすかのように、雨音は次第に激しさを増し…春の柔らかい地面を、不快な程にどろどろと溶かしていった。





ギアがリリ、と鳴り出した時、ブルーはハナダシティを出て10番道路上空―――いつものように“目的”のためカントーを動き回っていた最中だった―――にいた。
シルバーだわ、珍しい。
彼はあまり自分からは電話をかけてくることはない。(最も、ブルーからよく電話をかけているからだろうが) それに少し前に連絡したばかり、何かあったのかしら?
…眼前にはごつごつとした肌をさらすイワヤマトンネル。折角なら弟の顔が見たい、とブルーはふもとのポケモンセンターに急いだ。

普段なら山を越えるトレーナーたちでごった返しているのだろうが、その日は天候が悪かったせいかセンターに利用者は少なかった。
ジョーイもカウンターには立たず奥で書類整理をしていたようで、彼女に軽く会釈をすると、ブルーはギアとパソコンをつなげた。
「シルバー?送ったタっちゃんは元気?あの子ちょっと引っ込み思案だから、あまりバトルは―――」
砂嵐で荒れた画面がだんだんと晴れていく。…そこには、雨に濡れ赤い髪から雫を滴らせるシルバーがいた。
「!どうしたの!?ズブ濡れじゃない…!」
「…ねえさん… ……」
か細い声だったが、ブルーには弟の小さな声がはっきりと聞き取れた。

会いたいよ、ねえさん…

べったりと顔にはりついた髪からのぞく、力のない銀の瞳。おおよそ普段の彼らしくない、突拍子のない発言。
…弟が何処かおかしいということを、瞬時にブルーは読み取っただろう。少し躊躇いがちに、それでもブルーは静かに言った。
「…今はまだ駄目よ、シルバー」
シルバーは微動だにしない。…まるで“解っていた”、とでも言わんばかりの反応だ。
「…どうして…」
「時期じゃないの。アタシたちはお互いにやるべきことがあるのよ。…少なくともアタシには」
「それは何なんだねえさん!」
「シルバー…アタシに任せて。今はまだ…」
「ねえさんはいつもそうだ!!」
突然のシルバーの激昂に、いささかブルーも驚いたようだった。
天色の瞳を見開け、画面の中で震える弟を凝視する。…決して、その震えが雨に濡れたことによるものじゃないことは解っていた。
「ねえさんはいつも独りで…!オレはそんなに頼りにならないのか!?オレはいつだって…ねえさんを…!」

多分疲れから出た怒りだったのだと思う。
ねえさんにあたるなんて我ながら幼稚すぎる…昔ならともかく、今はもうねえさんにわがままが素直に言える年なんかじゃないのに。
―――なのに。

「―――ごめんね、シルバー…  …ごめんなさい…」
「…どうして…どうしてねえさんが謝るんだ…!」
吐き出された怒りに次いで、後悔の念が咳き出されていく。
悪いのは自分。コントロール出来ない激情に流され、己の力のなさをあたったりなどして…まだまだあんたも子供ね、と詰ってくれてもいいのに―――
どうして。
「…言い訳にしか聞こえないのはわかってる。でも、シルバー…覚えておいてほしいの。アタシがあんたに何も話さないのは、あんたが頼りないからじゃない。
…アタシが、そうしたいから…姉として、大切な弟を守りたいだけなの」
「ねえさん…」
「ふふ、ブラコンって笑ってもいいわよシルバー。…アタシはあんたがいるってだけでとても助けられた。あそこから逃げ出したい、と思えたのもあんたがいたからよ。
…シルバー、あんたがいなかったらアタシ、多分あのままあの男の従順な手足になってたわ」
「……」
「あの男のために力を尽くし、命を捨てることも厭わなかったかも…とても怖い。 …今アタシが此処にいるのはあんたのおかげなの。…恩返し、させてほしいのよ」
「そんなこと…!!ねえさん、オレは…!」

オレの方こそ、そうであるというのに。ねえさんの存在が、今のオレを作っているといってもいいくらいの……
ねえさんがオレの全て。

…それは、どういう意味を持つ?
―――この人のためなら、と思えるこの想いは。

「……」
愕然としたような思いに襲われる。自覚していたようで自覚していなかった感情が、今になってはっきりと自分の目の前につきつけられたようで……
「?シルバー?」
この人が。 画面の中で、心配そうにオレを見るこの人が。オレにとって…否、“今の”オレにとって、どういう存在の人なのか―――

…この感情の名前は。 
…他の図鑑所有者たちに抱いた、あの暗い想いの名前は。

「…ううん、何でもない…ごめん、ねえさん…もう寝るよ」
「…うん。…シルバー、その濡れた体、ちゃんと拭くのよ。寝る時は暖かくして…風邪、ひいちゃ駄目よ。 …お休み」

オレが見慣れた、優しい綺麗な笑顔。オレがギアをきるまで、ねえさんはいつもその笑顔でオレを見送ってくれた。




…幼い感情が、オレの意図しなかった方向へ育ちつつあることを悟った。
(…ねえさん)
それは幼い子供が母を求めるような想いではなく、幼い弟が姉を慕うような想いではなく、―――もっと、大きな…強い、想いで。

(ブルー、ねえさん…)



好きなんだと。一人の女性として、ブルーという人を見ているのだと悟った。


・・・Next