r a u  e r e i : 2


ブルーはそれから、幾度かそのトラウマを克服しようとしていた。
しかし、それはどうにも改善のしようがなく…専門医にでも見せればまた違ったかもしれないが、急ぐ身の自分たちにそんなことが出来るはずもない。
鳥ポケモンを見るだけで弱々しく震えるブルーを見ると、シルバーはいてもたってもいられなくなった。

「ねえさん…」
今もまた、ヤミカラスに近づこうとしてブルーが手を伸ばす。そしてヤミカラスが不思議そうに首を傾けると、それだけでブルーはビクリと手を引っ込めてしまった。
「…ごめん、シルバー… でも、少しは改善したのよ。何とか、姿を見ても叫ばないまでにはなったわ」
「いいんだ、ねえさん…急がないで、無理をしないでくれ!」
鳥恐怖症を克服出来ないことよりも、シルバーにとっては姉の苦しむ姿を見ることの方が余程辛かった。彼女の小さく震える肩を、手で支える。
プリンもブルーの足にしがみつき、彼女を心配そうに見上げている。
「そうだよ、プリンだって膨らんでねえさんを運べるくらいにもなれるし…鳥ポケモンなんて必要ない。無理に克服する必要はないよ」
「違うわ」
ふわり、と目の前のシルバーをブルーが抱きしめる。あまりの突然のことに、流石のシルバーも慌てた。
「ね、ねえさん!?」
「あの男が未だにアタシを蝕んでいることよりも、何よりも…辛いのはアタシ。自分自身に“弱さ”があるってことが、辛いの」
「え…?」
「アタシは強くなくちゃ駄目なの。弱くちゃ、駄目なの。アタシはあんたを守らないと駄目…“弱さ”があったら、シルバーを守ってあげられない!」
ブルーの吐露された思いに、シルバーは驚愕した。

確かに、今までは(少なくともあの男の下にいた時は)自分は姉に守ってもらっていた。あの男が自分を責めるたびに、姉はすぐに飛んできた。…心強く思っていた。 
でも、今は… 今は、もうそんな弱い存在ではないと思っていた。
姉と共に二人きりで暮らし、少しでも姉の役にたっていると思っていた―――姉に、頼りにされていると思った。
しかし、それは自分の自惚れだったようだ。
姉は今でも、自分を守ることに急かされている。急ぐことのない自分の弱さを超えることにさえ、オレのために急かさざるを得なくなっている…!
…あの男から開放され何処か浮かれていた心に、暗い思いが産声をあげた時だった。


それからもブルーはシルバーの静止を聞くことなく、克服に精を出していた。しかし、改善の兆候は一向に見られなかった。
しかも段々と時間が経つにつれ気も焦り、そのことだけに構っていることも出来なくなって…いつの間にか、ブルーは鳥ポケモンを自然に目に入れないようになっていた。
そして、寝床としていた所から徐々に行動範囲を広め、ブルーはブルーで、シルバーはシルバーでと離れて手がかりを探すことも多くなってきていた。

話があるの、とブルーがシルバーに物々しく言い出したのは、それからすぐだった。
「アタシ、カントーに行こうと思ってるの」
「!何で…!?」
「うふふ、ここでの“商売”も少しやりにくくなってきたし…少し新しい地域に行ってみようかと思ってね♪」
最初はタンバ方面の海を越えた先にあるという地方に行ってみようかと思ったけれど、結構な距離があることがわかったし…カントーは何といっても、一応は自分の故郷。
もしかしたら両親と会えるかもしれない、という淡い感情が芽生えてしまったのだ。
自分の朧げな記憶を頼りにした結果、自分の故郷は…マサラ、という町であることまでわかっていたから。
しかも図書館で見つけた、その町の4年前の新聞の一面に大きく見出しが出ていたのだ。(「5歳の少女、大きな鳥にさらわれる!怪鳥か、ポケモンか!?」)
…そして、それが未だに未解決であることも。
しかし、肝心な自分たちが閉じ込められていたのは何という地域だったかは思い出せないのだ。記憶がマサラ以上にあやふやで―――
もしかしたら、「恐怖」が無意識に記憶にふたをしているからかもしれない。それはシルバーも同じだった。(最も、彼の場合はかなり幼かったのもあるだろうが)
「じゃあ…じゃあ、オレも行くよねえさん!」
「駄目。シルバーにはここに留まって引き続きあの男のことを調べて欲しいのよ」
「どうして!ねえさん!」
「…時間がないの。あの男がアタシたちを使ってやろうとしていたことの期限が迫っているのよ」
「! ねえさん、あの男が何をしようとしていたかわかったのか!?」
すがるようなシルバーに、ブルーは少し目を伏せた。
「…今はまだ言えない。確証がないし…とにかく、二手に別れた方が情報が入るのも早いと思うの。お願い、シルバー」
本心としてはそれでも追求したかったが、姉の顔を見れば―――これ以上、何も言えないことは明らかだった。
あの男が何をしようとしていたか、それを明らかにすることも大切。でも、それ以上に…姉を困らせないこと、それがシルバーにとって最優先事項だったのだ。
「…解った。気をつけてね、ねえさん」
「ありがとう、シルバー。ちょくちょく連絡は入れるからね」
弟の頭を撫でると、子供扱いしないでよ、とシルバーは怒ったが、それでも嫌なわけではなさそうだった。(ほのかに彼の頬は赤みをさした。)
明日は早く発たなければ。 お休み、とランタンの灯りを消し…すぐに、寝床についた。
(……大丈夫、アタシが信頼しているのはあんただけだよ)
…そう。もしカントー…マサラという地で両親や…もしかしたらいるかもしれない幼馴染に再会したとしても、アタシはその温もりに戻るつもりはない。
両親がアタシを探してくれているかは解らないけど、自分の無事だけを伝えたらすぐにマサラを出ると決めていた。
だってシルバーがいる。可愛い弟、アタシを無心に慕ってくれている、アタシの大事なたった一人の弟―――アタシとシルバーは、無二の姉弟だもの。
血は繋がっていなくとも、どんな名剣だって切れやしない絆がある。
もしシルバーが両親に出会ったとしても、シルバーだって戻る気はないと言ってくれるはずだ。
アタシとシルバーはこれまでだって、これからだって、二人きりで何だってやっていける。あの仮面の男を倒した後は、二人で小さな家を建てるのもいいかもしれない―――

そのためには、早く。早くあの男を見つけなければ。忌まわしい過去に、ピリオドを打たなければ。
…そう考えたブルーの瞳が、何処か狂気じみていたことに気づく者は誰もいなかった。


そうしてカントーに旅立っていった姉は、言葉通り、たびたび自分に電話をしてくれていた。
カントーが空気のとても綺麗なこと、降り立った街がジョウトの何処にも負けず劣らず賑やかであること、ポケモンも見たことがない種類がたくさんいること…
カントーに行く際共に連れて行くよう薦めたシルバーのタッツーも、「タッちゃん」と呼び可愛がってくれていること。
ブルーはどんなに小さなことでも、自分にきちんと報告してくれていた。
そして、電話の最後にはまるで自分を慰めるかのようにいつも「シルバーに会えなくて寂しいわ」、と言ってくれた。
彼の性格上「オレもだよ」、とは中々繋げられなかったものの、ブルーのその言葉は自分たちがどんなに離れていてもいつでも一緒なのだということを確認出来た。

情報をやりとりしながら、月日は流れ―――「タマムシという街に着いた」と報告のあった日、珍しくブルーは次の日にもシルバーに連絡を寄越した。
「見てシルバー!じゃーん♪」
「それは…」
すぐに近くのポケモンセンターに行って、というので何かと思えば、画面を通しての電話をしたかったかららしい。
画面の中に写る得意そうな姉の指には、キラリと光るバッジ…岩の硬さを表すかのような鈍い灰色のと、水の雫を表すかのような青いのが、二つ。
「ジムリーダーバッジよvアタシはジム戦なんて興味ないから手に入れることはないだろうと思ってたんだけど…今日アタシのカモになった奴が持っていたのv
中々綺麗よねコレ」
「ということは、ソイツ少しは出来るトレーナーだったってことだね」
「ええ。確かに今までの人たちとは少し違ってたけど…でも、所詮アタシの色香には勝てなかったわ」
うふふ、と笑う姉の顔も、久しぶりだ。姉の全く変わらない様子を見れたことで、シルバーも何処となく安堵の念を覚える。
「用事ってのはそれだけなの、ごめんね。…でも、久しぶりにシルバーの顔が見れて嬉しいわ。…じゃあ、また今度ね。今、大きなヤマ抱えてるの」
そう言って姉はすぐに電話を切った。…その後になって、シルバーは今日図書館の資料室で見たある鳥の石像のことを姉に報告するのを忘れたことに気がついた。
何処かの町で祭られているという伝説の鳥ポケモンだとかで、調べてみる価値はあると思ったのだが…
まあいい、次にねえさんから連絡があった時にでも報告すれば。
―――ブルーが次にシルバーに連絡を入れたのは、その二日後の早朝だった。

何とかとかいうトレーナーと知り合っただとか、ミュウというポケモンに会っただとか、新しい町についただとか…
そんなことを話していた気がするが、あまりに早口だった上に自分の頭がまだ働いていなかったのもあり、シルバーはよくその内容を覚えていなかった。
…そして、シルバーは、その日初めてブルーが電話の最後に“あの言葉”を言わなかったことにも気がつかなかった。


多分、その辺りからだったように思う。ねえさんが自分に連絡をくれる頻度が徐々に少なくなってきたのは。
放っておけば、2,3週間も空くこともあった。たとえこちらから連絡を入れたとしても、ねえさんの反応は何処かおかしかった。
蔑ろな反応、応対だったわけではない。言葉も雰囲気も優しいねえさんらしいもので、何処が変わったのかと問われれば言葉に詰まる程だが―――
それでも、ねえさんの中で言い知れない“何か”、が変わったような、…そんな気がしたのだ。多分、長年ずっと傍にいた弟の勘というものだろう。

しかもロケット団という組織を潰したこと、ポケモンリーグで三位入賞したことなど、たまにくれる連絡は自分も驚くような内容ばかり。
シルバーが得た「ワタル」というトレーナーのこと…四天王の将と名乗り、巨大な鳥ポケモンを操ろうとしていること、そしてめっぽう強いこと…をブルーに告げると、
更に連絡は少なくなっていった。
少ない連絡を聞いている中で、シルバーはふとブルーの言葉の中に何度も繰り返されて使われる、ある単語の存在に気がついた。

ポケモン図鑑所有者。―――レッド。グリーン。

ねえさんと同じくマサラ出身(しかも、一人はあのオーキド博士の孫!)で、ポケモン図鑑を持つトレーナー。しかも、ポケモンリーグの優勝者と準優勝者なのだという。
男ということでどきりとしたものの、ねえさんの態度からすると全くそういう意識はなさそうだった。
しかし、オレが感じた微弱なねえさんの「変化」というものは、きっとその者たちの影響なのだろう。


他のポケモン図鑑所有者たちとの出会いで、ねえさんは変わった。たまにかかってくる電話でのオレとの話の合間にも、その人たちの話題が出て―――
「ねえさん、その人たちはどういう人たちなの」
「どっちもバトル馬鹿よ。闘うことしか興味ありませんって感じの。…真っ直ぐで、いつも一生懸命ね」
その時のねえさんの目は、まるでそれが羨ましいかのようだった。何処か遠くを見つめるような目…ねえさんのあんな目、見たことがない。
「…ねえさんとも仲良くしてくれているの?」
「えぇ、まぁ。何かの変な縁でね」
一応はそれで安心した。もし姉を蔑ろにするような奴らなら、今すぐにでもカントーに乗り込もうと思ったからだ。
しかし、同時に言いようのない暗い想いが過ぎったのも事実だった。
「何ていうか…世界が広がったみたいな感覚。気の許せる友達っていうのは、こういうのなのかしらね」
(…とも、だち?)
オレの“世界”にはねえさん以外の人物はいなかった。だから、オレにはブルーねえさんの言っている意味がわからなかった。
「…オレにはわからないよ、ねえさん」
「そうね、シルバー…いつかあなたにもわかると思うわ。あなたにもきっとそういう友達が出来る」
「…うん」
そう言いながら、そんな人間、いるわけがないと思った。
オレは見ての通りの異風な外見。頭から血をかけたかのような赤髪、冷たい銀の瞳……大抵の奴は、オレの姿を見ただけで臆するからだ。
そして、それ以上に――――

(オレはねえさん以外の人間に、心を許すことは出来ないよ)

ねえさんが笑顔でいてくれるのは嬉しい。けど、それがオレじゃない“他の誰か”の力であることに、オレは嫉妬心を感じていたのかもしれない。
…オレだけのねえさんでいてほしかった。


・・・Next