サファイアはまるで、敵を見る目で自分を見上げた。
吸血鬼のぐったりとした体を抱きかかえ、どうして、どうして、と狂ったお喋り人形のようにただそれだけを訴えて。


「聞きたいのは僕の方だ…サファイア、どうしてすぐに仕事をして帰ってこなかった…上の者ならともかく、どうして僕を信じなかったんだ」
そう問うても、サファイアは何も言わずにただ吸血鬼の腹に顔をうずめるのみ。

「…サファイア…よく聞くんだ。そいつの腹の傷は致命傷に至っていない」
「……本当…?!」
「狼男ならば即死だが、吸血鬼は生命力が高い。銀の弾丸でも、傷をつけることが可能という程度だ。それくらいの傷ならば死ぬことはない…それどころか、どうしてその吸血鬼が
起き上がってこないのかが不思議なくらいだ」
サファイアはにわかにダイゴの言葉が信じられなかった。ルビーはひゅう、ひゅうと荒く息をするのみ…端から見れば、彼は瀕死にしか見えない容態だから。
「そう…もう一発二発打ち込まないと、死なない」

かちり、と銃を構えると、サファイアが吸血鬼に覆いかぶさるようにしてそれを遮ろうとする。
もはや普段の彼女とは思えない行動だとダイゴは思った…ルビーの容態だけを気にして頭は混乱しきっていて、嫌、やめて、とかろうじて聞き取れるほどの言葉にしかなっていない。
どくんだ、と言っても聞きやしない。 まるで代わりに自分を撃てともいえる行動だ。

「サファイア…そいつはキミの先生の仇だと自分でも言っていただろう?!キミの目標はナギを殺した吸血鬼に復讐することだったはずだ!」
「違う!ダイゴさん、コイツはそんなことが出来る奴じゃなか! 子どものために自分ば危険にさらすことが出来る奴ったい、人ば殺すなんてことが出来る奴じゃなか…!!
お願いダイゴさん、考え直して…っ」

…これこそが、ダイゴが“一番”恐れていた状況だった。成長を助け、大事に見守ってきたサファイアが…吸血鬼にそそのかされることが。
ダイゴにとって…それは、デジャビュ。

「サファイア…!!キミもそうなのか! キミもナギのような決断をするのか!」
サファイアの肩を今にも掴みかからん勢いだった。 そして叫び終わった後、まるで失言をしてしまったかのように顔をそむかせる。

「それ…どういう意味…?ダイゴさん」
「………」
「ナギのようにって…先生が…何ばしたと?」
「…ナギは…」

「生きて―――る」

「!ルビー!」
伏せられていた紅い瞳がゆっくりと開く。息は未だ不規則で苦しさを訴えており、慌ててサファイアが震える背中を支えた。
「…大丈夫とか…?」
「…キミが心配してくれるとは思わなかったよ…大丈夫、とは言い難いけれど…キミに、伝えておかなきゃいけないことがあるから…」
「…そう、先生が生きてるって…どういうこと…?」
「ダイゴさん…だっけ」
「……」
ダイゴは二人から距離をとった所で立っていた。 …近づいてしまえば何をしてしまうかわからない故の彼の配慮だろう。
「まさかボクは彼女がナギさんの弟子だとは思わなかった…ダイゴさんがまた知り合いだとも思わなかった。最初ボクがサファイアを殺さなかったのは、その銀のレイピアが…ナギさんが
持っていたものだったから。まさかと思ったけれど、ロケットペンダントの写真を見て確信したよ…ナギさんも同じものを持っていたから」
「…どういうこと…?」
「ボクが元々人間だったことは知ってるだろう? この館が祖父の残したものっていうのは嘘だけれど、父と母が魔物に殺されたってのは事実…12年前に父さんと母さんが死んでから、
ボクはある場所で一人で暮らしてたんだ」














12年前、父母をなくしたボクはまだほんの子どもだった。 やっと死という概念を理解出切るくらいの、世間知らずの弱い存在―――父母を殺した魔物から何とか逃げ出して走り続け、
やっと静かな場所を探し出してそこで寂しく暮らしていた。

それから大体1年くらいが過ぎた時に、旅をしているという人がボクの家を訪ねてきたんだ。

サファイアがボクの目の前にいきなり現れたように、その人もまた突然の訪問だった。ボクはとても驚いた。  その人の名前は、ミクリ――――吸血鬼、だった。
多分一人で暮らしているという子どもの噂を聞きつけて来て、最初は仲間にしようと考えていたんだと思う。
でも、人との接触に飢えていたボクがあまりにミクリさんに懐いたものだから、ミクリさんもそんな意思が消えたんだろう…3,4日泊まっただけで、結局ボクに何もせずに帰ろうとしたんだ。
けれどボクがまたそこで、行かないでと駄々をこねたものだから―――ミクリさんがボクに自分が魔物であること、何をしようとしていたかを説明しても――――

「行かないで…!仲間にでも何でもしていい!! ボクを一人にしないで!!」

ボクがミクリさんしがみついて、泣き喚いたものだから……

「…参ったね…。 私は無垢な思いに弱いんだ」
元からミクリさんは優しい人だったんだと思う。ボクを哀れに思い、それからボクの元に止まってくれるようになった…そしてその日から人間と魔物の奇妙な生活が始まったわけだけど―――
ボクは幸せだった。
何せずっと一人ぼっちだったからね。だだっ広い不気味な館が、ミクリさんが一緒にいてくれるだけで暖かい家になった気がした。
何時の間にかボクはミクリさんを師匠と呼ぶようになって… 師匠も、ずっと家に閉じこもっていたボクに世の中のことについて色々教えてくれるようになった。
世の中はとても広いこと、しかし人間は…魔物には、冷たいこと。相容れないこと。

そんな話を師匠から聞いたボクは浮き足だって、うかつに外に出てしまって…魔物と遭遇してしまったことがあった。 大怪我を負ったんだ。
かろうじて命はとりとめたけど、このままじゃ死ぬと思った…血が池をつくって、目の前が全て赤に染まったからね――――だから、師匠はボクは吸血鬼にした。

「勘違いしないでね。師匠は最後まで反対した…ボクは魔物になることに賛同した。結局、それしか手がなかったんだ」




それからまた1年くらいが過ぎたある夜、…ちょうど、サファイアがボクの前に現れた日みたいな澄んだ夜―――ある一人の女性がまたボクの家を訪ねてきた。
言うまでもないよね、…それがナギさんだったんだ。
ナギさんもまたキミと同じように偽名を使って尋ねてきた…No.2ツヴァイ、だったかな…旅をしているのだけれど、道に迷ってしまった。今夜だけでもいいので、泊めていただけませんか、と。
ボクはただ単純にまたお客さんがきた、と喜んだだけだったんだけど。たぶん、その時から師匠はナギさんの正体に気づいていたのだと思う。
普段は明るくボクに接してくれる師匠が、ナギさんに対してはどこかよそよそしく、笑顔もどこか強張っていたように見えた。

ナギさんがキミと違ったのは、血のワインを全て飲みきったこと…キミは一滴しか飲まなかったよね。
そして、向こうから師匠に奇襲をかけてきたこと。 ボクはただただびっくりしただけだった。あの時はナギさんの構えた2本の銀のレイピアがとても怖く見えたな…そりゃあそうだよね、
優しく微笑んでいたはずの女性がいきなり眉をつりあげてボクに剣を構えているんだから。
でも師匠は冷静だった。 しばらくナギさんと無言で対峙した後、凄腕のハンターだったナギさんの目にもとまらないほどの速さで剣を振り落とした。
あの時のナギさんの驚いた顔と、師匠の顔は忘れられないよ……「女性が、こんなものを振りかざしちゃ駄目だよ」って。ナギさんと対峙してからの師匠の第一声は、それだった。
そこでやっと、師匠はいつもの優しい自然な笑顔に戻ったんだ。

それからのことはキミと同じ。ナギさんもここにしばらく留まっていた…最初こそひどく警戒していたけど、だんだんと心を開くようにもなってくれて、師匠やボクの話にも素直に
耳を傾けてくれるようになった。
だんだんとナギさんの顔にも優しさが戻ってきて、本当に綺麗な顔で笑ってくれるようになって―――特に、師匠には。
…いつしかナギさんと師匠はボクに隠れて2人で会うことも多くなってきて、…ボクもそれは不快じゃなかっただけど…幼いボクにも、師匠とナギさんは父さんと母さんみたいに好きあうように
なったんだな、とわかった。


……転機が起きたのはそれからすぐだった。 
ナギさんが少し曇った顔をしていたから、どうしたのって聞いたら…何でもない、と外に出て行ってしまった。それから1日経って帰ってきたナギさんは、どこか青ざめた顔をしていて…
何かあると思った。…師匠もまた同じような顔をしていたからね。

「…ルビー、話がある」
そう切り出されたのはナギさんが帰ってきて2日後。
ぴりぴりとした空気はボクでも読み取れたから、何か重要なことなのだろうということはすぐにわかった。
「はい」
「ここを出る。私はナギのためにもっと静かな場所へ移ろうと思う」
「…はい」

ナギさんの協会の人たち…もちろん、サファイアとダイゴさんの属する協会と同じところ…に見つかった、応戦するのは簡単だが…ナギのために、それはしたくない。
だから、ここから立ち去る。姿を消す。
かいつまんでしまえば、そういうことだった。  ボクは賛同した。――――けれど。

「一緒に来るかい?」

…いいえ。    ボクは師匠に短く、そう言った。

どうして一緒に行こうと思わなかったのかはわからない。
元々一人で暮らしていたし、その時ボクはもう物事の分別のつく年齢になっていた。知識もある。吸血鬼になった今なら、無茶さえしなければ静かに暮らすことくらい可能だったけど…
何故、あんなに慕っていた師匠と別れようと思ったのか―――
師匠とナギさんを思いやろうとしての行動だったわけでもない。 言うなれば、本能からの言葉だったというか…






「それからボクは師匠とナギさんと別れて放浪して…少し前に、ここにたどりついたってわけさ」
「じゃあせんせいは、今そのミクリさんって人と…」
「…彼女は師匠と共にどこかへと姿を消す直前まで、ずっとキミのことを語っていたよ…可愛くて、有望で…でも、危なっかしい子。何にも未練はないけれど、キミだけが心残りだと」
「せんせい…」
「…そうか…僕からナギを奪っていったのは、キミの師匠の吸血鬼だったんだな―――奇遇なものだ。あの日のことは僕も未だに鮮明に覚えているよ…ナギと僕は共に育ってきたからね。
いずれ、一緒に協会を支えていくんだと夢をみたこともあった」
「ダイゴさん…」
「……上が何をしているかも気づいていた。でも、それを指摘し諌めるようなことが僕には出来なかった…ナギがあの事件に遭った時も、まさかと思っていた」

ナギがある村にいるという吸血鬼退治に出かける時に、何故僕が共に行くことを許されなかったのか…始めはわからなかったけれど。
一週間してナギが帰ってきた時に、やっと僕はわかった。 遅かったじゃないか、といつものように彼女を迎えた僕に、ナギは声をひそめて――もうお別れだ…そう、一言だけ告げた。
「あの吸血鬼とナギの間に何の会話がなされていたのかはわからない。でも、ナギは気づいたんだろう。自分の立場、存在、そしてこれからの運命を」

ルビーに言われた言葉が、ふっと頭をよぎった。  “何らかの因縁をつけて処刑するつもりだ―――”

「彼女はそれを受け入れた。あの夜僕の元にきて…吸血鬼と共に生きる。もうここには戻らないと言った」

「私はもう此処にはいられない…ここに戻ってきたのは、一言…あなたに挨拶をするためだけだ」
「ナギ!そんなことが許されるはずがないのはわかっているだろう…!」
「ダイゴ、わかってほしい。上は彼を本当に理解しようとはしない、…彼と一緒にいてあげたいんだ」
「…彼はキミに今だけ優しくしているだけだ…いつ配下とされるかわかったものじゃない!彼は、恐ろしい吸血鬼…」
「…その抽象的な概念が、どれだけ彼を苦しめてきたか…」
「…?」
「昔から人間はそうだ。恐ろしいもの…自分たちの頭では追いつかない不思議なことは、恐怖と受け取り排除しようとする。一端受け入れた間違った理解は、正そうとはしない…
昔行われた魔女狩りだってそうだ。ほとんどが、冤罪…彼はそれを悲しんでいる」
「…ナギ」
「人は彼らの声を聞こうとはしないんだ。多く魔物の蔓延るこの世の中、害があるものは消す。大人しく人間に従順なものは生かしておく…それが正義か?共存をどうして考えられない?
…私は彼に会って、上が何をしようとしているのかを理解してしまった…長い夢から醒めたような心地だ」
「ナギ…!考え直せ…!」
反射的に、出て行こうとする彼女に銃を向けていた。
「…私を殺すか…?」
ナギは振り返り銃を見ても、全く表情を変えることなく――――ダイゴはそのまま動くことが出来なかった。
「……許されないことだ…」
「…それでいい。私のことは、死んだものと思ってくれればいい」
「サファイアは…サファイアはどうする。あの子には、キミが必要だぞ」
「…あの子はもう私がいずとも、大丈夫だ。賢い子だ、時がくればきっと私の思いに気づいてくれる…銃が怖いのは欠点でもあるが、良点でもある。あのような恐ろしい道具を平気で
ふりまわすような子にはなってほしくない」
「……」
「それに、私がいなくてもあなたがいるだろう…あの子にはあなたこそ必要だ」
「…ナギ…!」
「―――さようなら、ダイゴ…願わくば、あなたも夢から醒めてほしい…」


僕は彼女を追えなかった。 …そして、彼女を自分たちに反した者として処刑するほど酷にもなれなかった―――

「協会の彼女に対する決定は破門…事実上は、吸血鬼退治で殉職したということにしてね」
「……ダイゴさん…先生のこと、好きやったと?」
「…僕は彼女がうらやましかった。僕が決して持ち得ないその強い意志が。自分がずっと安穏と暮らしてきたところから、あえて辛い場所へと出て行くことはとても難しいことなんだよ…
例え、今まで暮らしてきたところが何かひどいことをしていると知っていてもね」
ダイゴはサファイアの頭を優しく撫でた。
「僕とナギはキミを妹のように世話してきた…ナギは僕にキミを託していった。悲しみと絶望で、一時はキミさえも憎んだ時期もあったよ。…それから僕はキミを守り育てるという名目のもと…
キミを監視していたんだ」
ナギのようにならないよう。彼女のように、僕を捨てていかないよう…
「けれど皮肉なものだよ。キミに吸血鬼を怨むように…大事な先生が奴らに殺されたと教えてきたのに。逆にこういう結果になってしまうなんて」
「ダイゴさん」
「キミは本当にナギそっくりだ」
ダイゴはもはや完全に銃を下ろしていた。 もうこれ以上、自分がすることはない…そう、言わんばかりに。

「……っ」
ルビーが低い呻き声をあげた。 ルビーのひどい震えに反応してサファイアが見てみれば、…血はそれほどではないにせよ、銃創付近の皮膚が壊死を始めていた―――
「ルビー!!」
ダイゴがそっとルビーの傷に触れる。  それからすぐ、
「…どうやらサファイア、キミの読みは当たっているようだ」
「え…?」
「彼のこの状態は血が足りないせいだ…回復能力がひどく弱い。人から血液を摂取していない証拠か…普通の人間が栄養失調の時に病気になりやすいのと同じだ」
「…どうしてっ」
「……もういいんだ…ボクは」

不意に血を吸ってしまった時に見た、ミツルくんの驚愕と悲しそうな顔が忘れられない。 あんな顔は、もう見たくない――――

「…結局、人に害をなしてしまうのは魔物の性なのか… 共存を願うボク自身が、それを不可能なものとしていたんだね……」


ルビーの体から力が抜けていく。荒い息が静かになっていく。  頬に触れたあの暖かい指先は、だんだんそのぬくもりを失いかけていった。



・・・次章