「ミツル!!」


ハンカチを口元にあて、瞳は涙でぐちゃぐちゃになっている緑髪の女性が走っていく……その先に、愛しい息子を見据えて。
愛しげに、もう離さないとばかりに強く小さな体を抱きしめる母親。おかあさん、と母親の抱擁に素直に甘える息子。…そんな姿に、村の者たちも良かったなあ、と感動を言い合っていた。




「ダイゴ…これはどういうことだ?」
「何…とは?」
「吸血鬼の首はどうした。サファイアはどうした」

かりかりとした様子で、男は尋ねる。 …もう少し、やわらかい言い方でもすればいいものを…邪魔な奴らが死んだ証拠はどうした、と暗に言っているようなものだ。

「吸血鬼はいませんでした。館は無人でしたし、…やはり噂というものはあてになりませんね」
「ふざけるな!お前がサファイアに肩入れしていることは知っている…命令を無視して行動して、…そんなでたらめが通用するとでも思っているのか、ダイゴ!」
「思っています。…ミツルくん」

やっと母親のあつい抱擁から離されたミツルが、きょとんとした瞳でダイゴを見上げる。
「はい」
「僕がキミを発見した時のことを覚えているかな、…僕以外、誰もいなかったよね」
「うん! 僕、皆とかくれんぼしている間にあのお化け館に入り込んじゃったみたいで…迷ってるうちに、眠っちゃったみたい。起こしてもらった時、このお兄ちゃんしかいなかったよ」

無邪気な瞳は曇りなく、虚言を言っている様子など全くない。
こんな少年に、嘘をついているだろう、と尋問などできるはずがない…証拠に、母親はぴりぴりとした様子でこれ以上ミツルを疲れさせるようなことはしないでほしい、と言わんばかりだ。
村の者たちも、そろそろ帰りたい…そう言いたげな顔をしている者が多数。

結局のところ、こういう閑散とした村は騒然とした出来事を嫌うのだから―――真実がどうあれ、それが早く収まってくれる方を優先する。
世に定評のある魔物退治の協会でさえ、そんな村ではただの他人でしかない。 …用が済んだのなら、すぐに立ち去ってほしい…これ以上事を荒げるな、というのが本音だろう。
事実、まだ何か言いたげな眼鏡の男に対する周囲の目は何処か冷たい。

「では…サファイアはどうした!」
「…サファイアは…姿を消しました」
「何だと?! まさか、あのNo.2ナギと同じことを…?!」
「いいえ」

これ以上お前が彼女の名前を口にするな…そう言わんばかりに、ダイゴは男の言葉をさえぎる。

「彼女は、自主的にです。ナギのように破門されることを甘んじたわけではない…言うなれば、辞職願。彼女は優秀ですから、一人でもやっていけるでしょう…巣立ちのようなものですよ」
そんなダイゴの軽いジョークにも、男は笑えるはずもなく顔は怒りで真っ赤となっている。
こんな奴と話をしていてもきりがない――とりあえず、目障りな者は消えたのだから。 そう自分を納得させでもしたのか、男は踵を返し本部の方へと消えていった。

そんな背中を見送りながら、ダイゴはサファイアのことを思い出していた。





冷たくなりつつあるルビーを前に、…サファイアはもう泣いていなかった。
「…ダイゴさん」
「……お別れ、なんだろう」
サファイアが驚き、といった表情をありありと出してダイゴを見上げる。 …ダイゴは苦笑した。
「全く、何処までキミはナギと同じ顔をすれば気がすむんだい? …キミは今、僕に別れを告げに来た時のナギと同じ表情をしているよ」
「……あたし、」

銀のレイピアを取り、サファイアは右の二の腕にすーっと切込みを入れた。   鮮血がじわり、と滲み、サファイアの腕からぽたりとルビーの体へ垂れる。

「…あたし、もしコイツが本当に先生ば殺しとったとしても…仇ば討てんかったと思う。 協会の上の人たちの言葉通りったいね、きっとルビーに言いくるめられて殺されとったとよ。
…ふがいないあたしのために、ダイゴさんが銀の弾ば撃ってくれたこと、とても嬉しかった…それだけで、満足ったい」

ぽたり、ぽたり、ぽたり。
腕をルビーの口元に近づけ、少しだけ開かれた彼の口腔内へと血を注ぎ入れる――― とくり、とルビーの体が一瞬揺れた。

「だから…もうお別れったい。 あたし、もうダイゴさんの傍にはおれん…ダイゴさんと、“敵同士”になってしまうけんね」

レイピアをそっと草の上へ置く。  …ダイゴは無言で、それを2本とも拾い上げた。

「…ナギに、よろしくね」
「……先生は、ダイゴさんのことが好きやったとよ」
―――聞こえていただろうか。 ダイゴは何も反応をすることなく、サファイアとルビーに背を向けて館の中へと消えていった。 …ミツルを、探し出すためだろう。
(ダイゴさんなら、きっとミツルをあん子のおるべき所へ帰してくれるけんね)

だから。だから。

銃弾を受けた際にルビーが吐血した赤と、サファイアの鮮血の赤が交じり合う―――まるで、それは調和するかのように。
とくり、とくりと反応を返すルビーの体。 …サファイアはそれを確かめると、ようやく安心したように一つ息をつき、―――ルビーの口元に、最後の口付けを落とした。






(…階段に倒れていたミツル君を回収して館から出た時には、もうそこにルビーとサファイアの姿はなかった)
彼らが何処に行ったかはわからないが、…きっとルビーは新たな仲間―――いや、伴侶か―――を紹介しに行くだろう。 勿論、自分の師匠の元に――――。
そのとき、その師匠の傍にいるであろうナギはどんな顔をするだろう。きっと、今までにないくらい驚くのだろう…
何せ二度と会うことはないと思っていた自分の弟子に、再びまみえることになるのだから。…ダイゴはあまりナギの驚いた顔を見たことがない。
少しだけ、彼女のそんな表情を見てみたい気もした。

ダイゴが腰にかけているレイピア。 二度も持ち主に置いて行かれたそれ―――しかし、今度はもう二度と誰かの手に渡ることはないだろう。
(…幸せに)

出来れば、もう自分の前には現れないでほしい。 敵、だからではない。 彼らの仲の良い姿を見てしまえば、嫉妬しかねないからだ――――

(…さて)
また明日からは、あの馬鹿な男の相手をしなければならないしな。 流石に、今日は疲れた―――目をほぐしながら、ダイゴは自分のテントへと向かった。
















「おかあさん」

すす汚れた服のほこりを薄暗がりでとっていると、扉のところに控えめにミツルがたっていた。  先ほどベッドへ入るよう言ったはずなのに――――
「まあ、まだ起きていたの?」
「眠れない」
「…そうね、色々なことがあったものね。でも、駄目よ。布団に入って目を閉じていなさい…そうしたら眠れるわ」
ほら、と促すと、ミツルはゆっくりと布団に入っていた。そしてすぐに目を閉じたが、またすぐにぱっちりと双視を開けて。
「お母さん、僕夢見てたんだ」
「あら、どんな?」
「暗闇にいたら、こっちだよって導いてくれた人がいて…ううん、僕と同じくらいの年の子だった。紅い目の男の子でね、一人ぼっちで…寂しそうな顔をしてて…僕が一緒に遊ぼう、って
言ったらちょっとだけ笑ったんだ。でも、まだ何処か寂しそうだったんだけど」
「けど?」
「また、何処からか…今度は碧い目の女の子が現れたんだ! その子が紅い目の男の子に話しかけたら、男の子、すごく嬉しそうに笑って…僕に、ありがとうって言ってた」
「ミツルに感謝していたのね。…その男の子は、もう一人ぼっちじゃなくなったから」
「うん…」
母親が優しく布団を撫でる。 おでこにキスをして、小さく子守唄を歌い始める―――
「…あの男の子は何処に行ったのかな…」
「碧い目の女の子と一緒にいるわ。ずっとずっと……もう悲しくないから、安心して眠って…きっとミツルにそう言っているわ。  …さ、もうお話はこれで終わりよ」
「うん… お休みなさい」

――すぐに、ミツルはすうすうと寝息をたてた。
母親はそんなミツルを起こさないように、ゆっくりと彼の部屋から立ち去る… 机の上に置かれているランプの火を、ふっと消して。


もう、絶対に離れることはないから。   …ゆっくりと、お休み。



・・・終幕