食事も終わって部屋に戻ろうとすると、至極当然のことのようにルビーがついてきた。何故ついてくるのか、と問えば、別に、暇だからの一点張り。
(そういえば吸血鬼というのは普段何をしているのだろう?と思っている間に、ルビーはサファイアよりも先に部屋へ入っていった。)

「ちょっと!さも当たり前のように入らんで!」
「もとはといえばここはボクの館じゃないか」
そう言われてしまえば、“一時居候”の身のサファイアには何も言えなくなる。 飛び込むようにベッドに座りこんだ。
ルビーはというと、サファイアのレイピアをじっと見ている。 …レイピアに何か変なことでもしたら、すぐに飛びかかってやる…サファイアはそう意気込みながら。

「“変だ”」

「……え?」
「ボクのこと、変だって思っただろう?」
レイピアを見ていたルビーがいきなりサファイアの方を向いたので、反応が遅れた。…さっき、変な顔をしたのを見られていたのだろうか?
「い、いやあたしは…」
「いいんだよ別に。ボクだって変だって思うからね…どっちにもなりきれない、中途半端な存在だって」
「そ、そげなことなか!!」

ベッドの上で、思わず膝をたてて身を彼の方に乗り出すように。 …どうしていきなりそんなににもむきになってしまったのか、サファイア自身にもわからない。
ただ、否定しなければならない気に駆られたのだ。

「確かにあんたはあたしの知っとる他のモンスターや資料ん中の吸血鬼とは大分違うし、驚きはしたけど…でも、むしろあたしはあんたこと見直したとよ!
自分の身に危険が及ぶかもしれんのにミツルば優先して…そう、あん子を村に返す時はあたしも協力するったい!」

そこまで勢いで言い切ってから、しまった、さっきの散々なる嫌味攻撃のお返しに自分も嫌味で返せば良かった―――そう思った。
それに、また彼も「キミみたいな若い子の力を借りるほどじゃないから」とか何とか嫌味を言ってくるに違いない。…思わずサファイアが応戦体勢をとると、意外にもルビーは
目を丸くしていた。

「…何ね?」
「……キミって…可愛いね」
「!!な、なななな何ば言うとうとか?!」

急に、体温があがり頬が赤みを差した。そんな言葉、言ってもらったことなどない―――ダイゴにならあるが、それはあくまで大人が子どもに言うニュアンス―――お世辞である。
しかも今更ながらサファイアは知らない、ほぼ赤の他人(この場合は赤の“魔物”、であろうか)と同じ部屋…密閉空間にいることを自覚した。
…更に体温が上昇するのを感じる。
同年齢の男の子との接触が全くと言っていいほどなかったせいもあるだろうが、端から見れば恥ずかしがりやともとれるその反応に、ルビーも思わず笑ってしまった。

「何だ、意外に初心なんだな」
「せ、せからしか!冗談も休み休み言うったい!」
「冗談じゃないよ、本音」
「〜〜〜ッ」
自分がむきになればなるほど、彼は綺麗な笑みをくすくすとこぼす。
「うん、初めて見た時から中々整った顔だなとは思ってたけど… ちょっとうるさいのと乱暴なのをひけば、キミすごくボクの好みだよ」
「!乱暴で悪かったとね!」
「まあ、そんな気丈なところも嫌いじゃないよ」

そうしてふと気づけば、彼がベッドに足をかけ自分に近づいてきているではないか。 
今までお互いが敵同士で警戒しあい、ある程度の距離をたもっていただけに、サファイアもこれには驚き―――逃げ出そう、にしても、背後は壁で。
疎いサファイアでも、彼が何をしようとしているかは大体想像がつく。
「近寄らんで!」
「逃げないで」
瞬時にレイピアを握り自分が言葉を発するとほぼ同時に、なだめの言葉を言われた。 その声音がとても優しげで、綺麗で…思わず静止してしまった。
紅玉の目もじっと自分を見据えて、その中にうつる自分がだんだん大きくなっていく… 感覚が麻痺し、まるで金縛りにあったかのようにルビーから目を放せなかった。
でも、それは決して不快の思いをサファイアに与えなかった。

ルビーの手がサファイアの頬に触れる。 意外にも暖かいルビーの指先が、同じく暖かいサファイアの頬に触れ、熱を共有する。
「…人に触れたのは久しぶりだよ…」
「なして…」
「言っただろう…?今の世の中は魔物にとても厳しい。 人間と魔物はある程度の距離を保って生きていかなければならない… 不可侵、共に在ることは出来ない。
普通の魔物であれば全く問題のないことだけれど…なまじ人間の弱い心が残っているボクには辛いんだ」
「辛い…?」
「寂しい…傍にいてほしい」

それはあまりに切な気な声で、これ以上何か言葉を発してしまえばルビーを深く傷つけてしまうのではないかという錯覚をサファイアに与えた。
これ以上、何も言わないで。
…どちらともなく、互いの背に腕をまわす。 サファイアがルビーの肩に首を寄せるのとほぼ同時に、ルビーは彼女の襟を崩し首もとへと唇をよせて――――

パ チ ン ッ

「!」
ルビーが思わずベッドから飛び降り、サファイアの傍から離れる。 サファイアも割れた風船のように我を取り戻し、そんなルビーを再度見た。
「あ…」
「……ごめん…今、ボク…感情の高まりを…」
抑えられなかった。 …魔物になりかかっていたルビーが首筋に牙をたてようとした瞬間、その鋭さでサファイアの首からかかっていたネックレスがきれたのだ。
「良か…あたしもどうかしとった」
狂気を跳ね返すだけの強さがあると思っていたのに、ルビーの紅い瞳に魅入られ全てを奪われたように硬直した。
(…あたし……)
否、今はそんなことよりも―――ルビーは明らかに、今動揺していた。  ただの何でもないこんなネックレス…ロケットペンダントに。

「…それは…誰だい?」

開かれたロケットペンダント。そこに写っていたのは幼い少女と、一人の女性。幼い少女はサファイアだろう、面影がある。そして女性の方は…彼女の姉とするには、あまりに似ていない。
紫の長い髪に、同じく薄い紫の瞳…優しい笑みを浮かべ、幼いサファイアの肩を抱いている。年齢は今のサファイアと同じ、もしくは少し年上くらい。
…美しい容姿だ。そしてその服装からすれば…
「あたしの先生ったい。昔、凄腕のハンターやったらしか」
「昔…?」
「…吸血鬼に襲われて、死んだ。…物心ついた頃に、そう聞かされたったい」
「……」
「だからあたしはあんたを―――あんたの仲間を、恨んどるとよ。基本は害のないモンスターは暖かく見守るのが鉄則やけど…吸血鬼だけは、どうにも」
ベッド脇から床に落ちたロケットペンダント。…ルビーの足元に落ちているが、彼は拾おうともせずにただ見つめていた。
穴があくのではないかというほどに強い眼差しで…
それで、ああ、と気づいた。…このロケットペンダントは、銀で出来た装飾…吸血鬼である彼には触れられないものなのだ。
ベッドから飛び降り、ロケットペンダントを拾った。
「つまらん話ばしてしまったとね。あんた自身に直接の恨みはなか…」
「…仇討ちでもするつもりなのかい?」
「先生を殺したヤツを発見さえ出来れば…その、つもりったい」
「…そうか。道理で、キミに近づくのが辛いと思った」
「…?」
辛い?自分に近づくのが?
クエスチョンマークを浮かべる自分にルビーは背を向ける。そして、ふ、と肩越しに自分に小さく言った。

「ボクが一番苦手なのは十字架でもない、太陽の光でもない、…無垢なものなんだ」

―――彼は、自分が一番苦手なもの、と言った。
“最も、キミがボクの弱点でも持って帰れば殺されるのは勘弁されるかもしれないけどね。…ま、キミに見つけられるとも思わないけど”
(…禁忌、なんじゃなかったとか…?)

三回目の疑問を持つ。
彼はやはり“違う”。 今までと同じ物差しでは測りきれない存在―――いや、違う、それこそが間違いだとしたら?
(…あたしの物差しが)

―――違っているとしたら?







「サファイア!!」
何処からともなく自分を呼ぶ声がしたあと、窓ガラスが割れるのと、鋭い何回かの爆音が聞こえたのはほぼ同時だった。
――――そして、それが外からの襲撃音だと自分が気づくのと、ルビーが自分を抱えて窓の外に飛び出したのもまた、ほぼ同時だった。

いきなりの二階の高さからの飛び降りだったが、ルビーはバランスを寸分も崩すことなく、サファイアを抱えて外の草の上へと降り立った。
サファイアを腕から離すと、一歩、二歩と進む…

「危ないことをする…彼女が危険な目にでもあったらどうするつもりなのか」

ルビーが毒をはいた方向を見れば、よく見知った顔がそこには立っていた―――ダイゴ。 戦闘服に着替え、明らかに自分の後を追ってきたことは確実だった。
「これくらい避けられないと協会の者とは認められない」
「ダイゴさん…っ」
ダイゴは厳しい目つきをしていたが、サファイアの方に一回視線をやると、その目は「もう大丈夫だ」と言っていた。 そしてまたルビーの方にその目を戻し、銃を構える… 
そこにいたのは、慈悲のない、魔物とは敵でしかない者の姿。

「サファイアから離れるんだ、吸血鬼…」
「それは出来ないね。むざむざ処分されるとわかっている子を帰せるものか」
「そんなことはこのダイゴがさせない… お前が心配することではない!何の権利があってお前がその子の心配をする!」
「人間の…お前たちの醜いところを一番ボクがよく知っているからさ」

ルビーの顔が憎悪を訴える。 ダイゴの顔が歪む。今にも引き金を引きかねない指先―――あの中に入っているのは、まぎれもなく銀の弾丸だろう。
「待って、ダイゴさん…!」
「サファイア!こっちに来るんだ!」
ダイゴが手を伸ばす。 サファイアが迷い、ルビーの方を一瞬見る。
彼は、サファイアの方を見なかった。サファイアを止める素振りはなかった。逃げようとすれば逃げられる―――しかし。

「サファイア!どうしたんだ!?」
視線をそらし、こちらに来る様子のないサファイアを見かねダイゴが声を荒げる。
「ダイゴさん…!あたし、わからんとよ!あたしは自分が生まれ育った“此処”があたしの生きる場所や思っとった…けど、“此処”はあたしば捨てようとした…」
「それは…」
「そして、あたしたちの…ううん、あたしの敵であるはずのアイツが言っとることば正しいと思ってしまう…こん気持ちは一体何とね…!?」
進退両難ジレンマに陥っている…)

サファイアは今誰の言葉も届かない状態だった。錯乱しきっている… そしてまたダイゴも、サファイアをどう説得すべきか…彼女に近づくべきか否か、考えあぐね動けないでいた。
しかし、ルビーの方に一瞬警戒の視線を送った時――――ダイゴは、確かにそこに悲痛そうな面持ちのルビーを見た。

「……確か…キミの先生は吸血鬼に殺されたんだったっけね」
ルビーがサファイアに向かい言葉を発する。 それは何処か奇妙なほどに、優しげな…「嬉」の感情さえ読み取れそうな声音だった。
「………」
「その先生の名前は…ナギ、じゃなかったかい?」
「!!どうしてそれを…!」

「…ボクが彼女を殺したからさ」

「!?」
サファイアも、…ダイゴでさえも驚愕の色に顔が染まる。 しかしそれを気にすることなく、ルビーは話を続けた。
「キミのロケットペンダントを見て思い出したよ。紫の髪、美しい容姿の若きハンター…確かに、彼女はボクが10年前に手をかけた女性だ」
「…嘘ったい!」
「嘘じゃないよ。彼女の弟子のことも聞いていた…キミのことだったんだね。色々と話は聞いてるよ―――幼い頃に自分の銃を盗んで誤って乱発させてしまったとか…
そして、キミの右肩にはその時の傷があるんだよね」
サファイアは無意識に右肩を押さえた。 顕著ともいえるその反応に、ルビーもこらえられないかのように笑みをこぼす。
「そして、ナギさんもその時に軽傷ながら傷を負ってしまった。…そのせいで、私の弟子は銃を怖がるようになってしまった…そう言っていたよ」

それは紛れもなく、自分やその近辺の者しか知らないはずの事実だった。 吸血鬼には人の記憶を読み取る能力があるのだろうか、…そう思ってしまう程。

「彼女はとてもよく喋ってくれたよ。情報を聞き出すのがとても簡単だった――それからボクは彼女を殺したんだ。ある程度仲良くなっておいて、油断させてね」
「…ダイゴさん…」
サファイアの声は、まるで助けを求めるかのように弱弱しく。 しかし、ダイゴも何も言うことなくただ驚いたような表情を浮かべるだけで…

「キミが彼女の弟子だとわかったから、せめてもの手向けに師匠と同じ方法をとってあげようと思ってね。キミを探しに来る仲間諸共消してあげようと今の今まで待っていたんだ…
頃合だね」

その紅い瞳は、もはや人の暖かい心を微塵も感じられなかった。
ルビーは鋭い爪を一舐めすると、風のような瞬発さで空を切り、そしてサファイアに飛び掛った――――ダイゴの必死で搾り出したような鋭い悲鳴が聞こえた。

反射的に、腰にかかっていたレイピアを手にとる。……しかし、それ以上動くことは出来ず――勿論、剣をルビーに突き立てることも出来なかった。

「…どうして刺さないんだい…?」
ルビーの鋭い爪が、サファイアの首筋に寸止めされる。  …サファイアはその碧い双視から、大粒の涙をこぼしていた。
「ボクはキミの愛しの先生の仇なんだよ。…仇を見つけたらすぐにでも退治したいと言っていたじゃないか」
「出来ん…っ」
「どうして!!」
「あたしは…ッ あんたば殺すには―――あんたば知りすぎてしまったと!!」
「!」
「あんたの思いとかやり方とかを聞くたびに…あたしは頭の中が混乱して…正しいと思っていたことが崩れて…このままじゃあんたば殺せん…!」
「…サファ」

「サファイア!!」

ダイゴの声に反応して顔をあげた瞬間、サファイアはダイゴの持っている銃が……確かに、火を噴いたことを確認した。
そして、ルビーがそれに瞬時に察知したこと、彼の速さをもってすれば逃げようと思えば逃げられたこと、しかし、このまま自分が避ければどうなるかを彼が理解したこと、そして――――



      や
            め
                  て
                        ―――――
                                    ッッ
                                           !!!
                                                    」 


ルビーがサファイアを抱きしめ、銀の戒めをその身に受けたこと。
―――ルビーの胸に守られるようにして抱かれながら、サファイアは確かにその衝動を感じた。


・・・次章