次に気がつくと、まぶしい太陽の光が窓から漏れていた―――朝だった。
眠っては駄目だ、眠ったらアイツに隙を見せてしまう…そう思いながらも、いつの間にか眠ってしまったらしい。自分のきちんとした生活習慣をこの時ばかりは呪った。
慌てて辺りを見渡すと、剣はベッド脇に二本揃えて普通に置いてあった。…何か細工をされたような形跡もない。
(…なして。アイツは一体何ば考えとるったいか)
そんな疑問が、再びわいた。
1回目は…あの後、ルビーとの会話の後。
自分と刃を交わすことなく部屋を出て行こうとする彼に、思わず、「どうして」と問うたのだった。
「なして?なして何もせんとね?あんた…あたしに同情する気ったいか?なして邪魔なあたしば消そうとせんったいか?」
「それは…」
一瞬、彼は何かを言いあぐねているような雰囲気をまとった。しかし、ルビーはすぐにそれを消した。
「…暇だからさ。ボクは別に何の目的もなくここにいるんだけど…ずっとここにいると流石に暇でね。行く所を失くしたキミでも暫くからかってあげようかなと」
「!そんなことなか!!」
もしかしたら、と思っていたことを言葉にされて、ドキリと心臓が跳ねた。必死で否、と思い続けようとするサファイアに、ルビーは更に追い討ちをかける。
「どうだか。どっちにせよ、このままのこのこ帰った所で何らかの処分は必至だと思うけどね」
「……」
「…最も、キミがボクの弱点でも持って帰れば殺されるのは勘弁されるかもしれないけどね。…ま、キミに見つけられるとも思わないけど」
何処までも失礼な口を聞く男だ。
元々カッとなりやすい性格のサファイアは、明らかにケンカをふきかけるようなルビーの言葉についのせられてしまった。
「そこまで言うなら居座ったるったい!あんたの苦手なモンば見つけて、あんたの首ば狙ったるとよ!!」
「お好きに。キミなんて別に脅威でも何でもないからね」
…彼の態度は何処か楽しんでいるようにすら見えて、魔物の天敵であるはずの自分がまるでそれにすらなりえないように思えて更に腹がたった。
「お早う。…って時間じゃないか。ずいぶん寝てたね」
昨夜夕食をした広間に行けば、ブランチ中のルビーから早速の嫌味攻撃だった。…それはともかく、夜に活動する吸血鬼にしては早起きではないか。
聞いてみれば、元は人間だったからね、人間としてのスタイルの方が体に染み付いているんだとの言葉。
(…純粋な吸血鬼じゃなかとか…)
昨日館に入る時に言っていた「祖父も父も母も、皆モンスターに殺されたから」という言葉は本当のことなのだろうか。
聞くべきか、否か―――迷っていると、ルビーの方から言葉を切り出された。
「流石にお腹がすいてるんじゃないかい?昨日から何も食べてないだろう?用意したから食べなよ」
見てみれば、昨日と同じ席に料理が綺麗に並べられていた。流石に夕食のように豪華なものではないが、遅く起きた朝に軽く腹に入れる程度には良いであろう料理だ。
「……」
「安心しなよ。毒なんか入っちゃいないし吸血鬼になっちゃうようなものも入ってないよ。可哀相な子どもをこれ以上虐める趣味もないからね」
「!誰のことったいか!!」
想像にお任せするよ、とルビーは涼しい顔でスープを飲む。
…とはいえ、流石に空腹も限界だった。昨日はピリピリとしていたので空腹は感じなかったが…一気に緊張感も抜けた。行動するのにも、…怒るのにも体力を使う。
出会ってすぐの人―――いや違う、魔物―――を信用するのも何だったが、結局料理に手をつけることにした。
どうにでもなってしまえ、…半ば、そんな自棄になりながら。
(いい食べっぷりだね、とルビーがにこにこして見ていたが無視することにした。)
サファイアが最後の料理を食べ終わり、フォークを置くとほぼ同時にあの緑髪の少年が皿を片付けていった。
まるで足音もせず、気配もしなかったので少々驚いた。しかも全くの無口でサファイアには目もくれず、まるで自分のすべきことしか見えていないかのようだった。
「…なあ、あん子…ミツル、やったとか?あん子も、あんたの仲間ったいか?」
「昨日友達って言ったじゃないか。吸血鬼ではないよ」
「それ本当やったとか?友達って…あんたが一人ぼっちで寂しがるようなタマには見えんったい」
「言ってくれるね。…あの子は…数日前、ボクの館近くまで来て…多分森の中で迷い込んじゃったんだろうけど。ボクの姿を見ても全く驚かなかったんだ。純粋ないい子だったよ。
“どうしてここにいるの?”“どうして一人なの?”って暇なボクに構ってくれたからね」
“こんな所、寂しいじゃない。村に行こうよ” “ボクはここから動けないんだ” “どうして?” “……” “?…じゃあ、僕と一緒に遊ぼうよ!”
正直驚いた。人と接するのは久しぶりだったからね…こんな素直な子も初めてだった。 そうして暫く一緒に遊んだんだけど…ボクも嬉しさで我を忘れちゃってね。
気が付いたら…ミツルくんの血を飲んでしまってたんだ。 致命傷ではなかったけど、ミツルくんは気を失ってしまった。
目の前に横たわる彼を見て、その時、ボクはちょっと怖くなったんだ。
今世間は魔物に過敏で、少しでも魔物と関わりを持った者に冷たい… もしこのままミツルくんを帰して、首の牙の痕を見られたら彼がどうなってしまうか。
心配しちゃったんだよ。
首の牙の痕が消えるまで、ここにいてもらうしかない。
森の中には怪しい館があると噂されている上にそんな人攫いのようなことまでしてしまえば、ボクの身にすら危険が及んでしまうかもしれない…そう思ったけどね。
実害さえなければ、互いの領域を侵犯する必要も理由もない、…人間たちはそっとしておいてくれるんだけど。
「……それでも、あん子の方ば優先したわけったいね…」
「まあ狙われたって負けない自信もあったからね」
「やけんここにおったら、あん子、帰った時にますます“何かされたんじゃないか”って疑われるんやなかとか?」
「大丈夫だよ。その辺も考えてあるからね」
やけに自信たっぷりだ。 何か策でもあるのだろう。
…そして、ふと疑問がわいた。
「でもあんた、血を吸ったとやろ? それでも、あん子は吸血鬼じゃなかとか?」
「ミツルくんには催眠術をかけてるだけだよ。それに、血を吸うだけで仲間になるってのは迷信…血を吸うのは飢えをしのぐ時か、感情が高ぶって無意識のうちに吸ってしまう時か…
どっちかしかない。仲間を増やすには、二通り。血を吸った後に自分の血を相手に与えること」
「もう一つは?」
「家族を持つこと。…それにね、ボクは仲間を増やすにしても人に血を与えて増やすなんてことはしたくないんだ。家族を持つ方が楽だし…」
「?そうとか?」
「考えてもみなよ。危険をおかして人の多い村に行って血を与えるより、花嫁をもらって子孫を増やすのとどっちが簡単か」
「……」
「…ま、こっちは花嫁を見つけるまでが難しいけどね」
「…あ、でも花嫁やったら、気に入った女の人に血ば与えて無理矢理にでも妻にしてしまえば良かと?」
そう言ってから、いかに自分の考えが恐ろしいかに身を震わせた。
「…そりゃあ、それが一番楽といえば楽だけど。…少なくともボクはそんな形で妻を作るのは勘弁だね。強制的に、だなんて…奥さんはボクを愛してくれる人がいいし、
…自分と同じ、笑ったり怒ったりして感情が豊かで…一緒にケンカをしれくれるような人がいいな」
ふ、とルビーは横顔で笑った。
(……コイツ…)
接するたびに思う。…彼は自分の想像していた吸血鬼とは何処か違う…人間らしい部分が多い。(たまに見せる顔は吸血鬼そのもの、なほどぞくりとくるものだが)
彼が元は人間だったからだろうか? ……彼は、何処か違う――――。
かくり、と一回舵を漕いだところで目を覚ました。サファイアの帰還を待っている間にうたた寝をしてしまっていたらしい。
(……遅い、な)
彼女は若いけれど優秀だ。 居所のわかっているモンスターの退治であれば、早くて1,2時間…遅くとも、半日で仕事を終えて帰ってくる子なのに。
最も、それ以上延びそうな大掛かりな仕事なれば自分がサポートに入るから、どちらにしても長く仕事が続くことはない。
なのに、もうすぐ1日がカウントされてしまう。もし1日以上かかるようであれば、自分が後を追うとは言っておいたが―――彼女はその、悪い状況に今陥ってしまっているのだろうか?
それに、あまり仕事が長びくと、サファイアを戒める口実が出来て協会の上の者たちがほくそ笑むことになるのは目に見えている。
最も、“自分にとっては”サファイアが吸血鬼の手に落ちることが最悪の状況なのではない。一番悪いのは、――――
(…それは考えないでおこう)
考えてしまうと、余計それが事実になりそうな予感がして嫌だ。 とりあえず、今一番考えるべきことは万事上手くいくようにサファイアを信じるだけ。
“彼女”のようにならないよう、祈るだけ。
(…いや…祈るだけでは…願うだけでは駄目だ)
願い夢見て、泡となった過去をダイゴは知っている。ほぼ握り締めかけていたものだったのに、消えてしまった未来を知っている…
自分の武器を持ち、テントから出て目の前の森を望む。ここからでは全く見えないが、森の中に吸血鬼がいるという館があることはもはや明白。
まだ日も高いというのに影を落とす森に向かい、ダイゴは歩みを進めた。
・・・次章