その村には、吸血鬼が住んでいる。
まことしやかに、その話は村人たちの間に広がりつつあった。

最初は好奇心旺盛な子供たちの間だけに広まっていた、ただの退屈しのぎの噂だった。
しかし村に住んでいた一人の少年が森の中で姿を消して以来、その噂は大人たちの中でも少しづつ信じられるようになっていった。

極めつけは、森の中で消えたその少年の友達が、確かに森の奥にひっそりとたっている洋館(遠く昔えらい貴族が住んでいたとかで、今は朽ちていくだけの館なはずだ)に
人が住んでいるのを見たということだった。
はっきりした姿さえ暗闇の中で見えなかったものの、端麗な顔立ちであったことは印象深く。
死人のように顔が青白いこと、そして暗闇でも爛々と輝く、まるで血のように赤い紅色の瞳――――。
それを見た時、民間伝承にある吸血鬼をはっと思い出したのだ、とその少年は言った。

…ただ、その吸血鬼らしき者が自分とそう変わらないような年齢の容貌であったことを除けば。







「そのようなことは関係ありません」
ただ唯一の目撃者であるその少年と村の老いた長を前にして、その男ははっきりとそう言い放った。
手を組み、あごの下で頬杖をついて。
彼は眼鏡をくいとかけなおし、今聞かされた話をメモした紙と机の上に散らばった資料を片付けた。
「まあ、間違いなく“ソレ”は吸血鬼でしょう。伝え聞く特徴と酷似しています…吸血鬼に年齢や容貌は関係ありません。若いのもいれば、老いたものもいる…
顔が青白いことや、赤色の瞳はよく聞くことですがね」
自信満々といったその言い方に、少年も村長もはあ、としか言葉が出ない。
「わしらはそれが何であるかどうかはどうでもいいんですよ。ただ、消えた子どもを返してほしいだけで…母親が嘆いてますでのう」
「そうですね、害をなさぬおとなしい魔物であれば我らも極力放っておくのが原則ですが…吸血鬼とあらば違います。奴らはまさしく魔なる物です―――
獰猛なモンスターが猖獗している様は我々としても放っておけるものではありません。…早速退治に向かいますが…」
しかし、と言葉を濁す。口元に暫く手をあてたあと、ふいにきりだした。
「その吸血鬼が村に出てきたことはないのですね。被害がない…容貌も少年のよう、ということしかわからない。…情報がないことは、迂闊に手が出せないということです」
男は口をつぐんだ。…が、男の背後にたっていた部下らしき男がそっと何やら耳元で囁く。
眼鏡の男はああ、とつぶやいたあと、ニヤリと笑った。
「…彼女を呼べ」






吸血鬼…。
15歳という年齢にして自分はこれまで多くのモンスターを相手にしてきたが、吸血鬼は初めてだった。
それはただ機会がなかったからだけではない。
上が、まだ感情の育ってない自分が“因縁の敵”である吸血鬼と戦わせるのはまだ早いと今まで判断していたからだ。

それの判断が取り消されたということは、もう自分は一人前と認められたのだろうか。

彼女、…サファイアは自室のテントで自分の武器であるレイピアを手入れしていた。
コレの正式な持ち主はもういない。
綺麗に手入れをしてこの美しい小剣を持つたびに、胸に言いようのない苦い感情が競りあがってくるのを感じていた。
「…先生」
そっとつぶやいた言葉も、誰にも聞かれることなくサファイアの頭に響くだけ。

「入るよ」
カサリ、と小さな布こすれの音がした。
振り返ってみれば、見慣れた男性の姿…自分を今まで育て面倒を見てくれた、自分にとって父とも兄ともとれるような存在の人物。
「ダイゴさん」
「上から聞いた。キミが今回、吸血鬼と接触するんだってね…。大丈夫かい?」
「…ん、大丈夫とよ。感情に任せての行動はせんと」
「吸血鬼との接触は危険だ、気をつけてね…最初に接触してきた人間を配下にして盾にとる場合があるから」
整った容貌のこの男…ダイゴは協会の中でも高い地位あり、そして凄腕のハンターだ。
サファイアにとっては憧れの存在でもあった。いつかこのようになりたい、という目標でもある。
優しげに(そして今は少し不安気に)自分を見下ろしてくるその瞳。…サファイアはその瞳が大好きだった。
「…大丈夫とよ、…配下になるくらいやったら死ば選ぶったい」
「………」

(強い瞳だ)
むしろ、強すぎるほどの。 彼女の体から溢れ出ようとしているかのような“復讐”の念…それは抑えきれずに、ぴりぴりと彼女を包み込んでいた。
「…そこまで言うなら何も言わないよ。キミは優秀だ、きっと任務をこなせる」
「うん、頑張るったい!」
屈託のない顔でサファイアが笑う。頭を少し撫でてやりながら、ふとダイゴはたてかけてある二本の美しいレイピアに気がついた。
「やはりそれを持っていくのかい?」
「…うん、先生が唯一残してくれたものやけん…訓練もつんだ、剣の扱い方も習った、…それにこんレイピアも使ってほしか言っとる気がするとよ」
「…やはり銃は無理だったかい」
「…」
最近ではあまり退治に剣を使う者はいない。凶暴なモンスターになればなるほど、直接近づくよりも距離をとった方が断然安全だからだ。研究を重ね、殺傷能力も上々だ。
協会の中でも、銃がほぼ主流になっている。
しかしサファイアは、銃を使おうとはしなかった。…持つと、手が震えてくるのだ。
「トラウマになっちゃってるんだものね、仕方ないか」


“サファイア、危ない…っ!”

昔、自分がまだ何が危険で何が安全であるかの判断が出来なかった頃。サファイアは自分の“先生”が持っていた銃を、好奇心だけで持ち出してしまったことがある。
周りの大人たち、そして彼女の先生がその事態に気がついて幼いサファイアに声をかけた瞬間、――――

ぱ ぁ …ん

周囲に乾いた音が響いた。
サファイアの“先生”が間一髪でサファイアを抱き上げたおかげで致命傷は逃れたものの、その銃の乱発によってサファイアは右肩に、彼女の先生は左腕に傷を負ってしまった。
それは軽いもので、少しの期間の療養で二人ともが完治出来たのだが…
サファイアはそれ以来ひどく銃におびえるようになり、サファイアの先生であるハンターも(弟子に配慮して)銃を扱うことが出来なくなってしまったほどだ。
(それゆえに、サファイアの先生はレイピアを使うようになったのだが)

「先輩たちが言っとうのを聞いたことがあるとよ。銃が扱えないあたしは成長しない、きっと凶暴なモンスターに殺されるのがオチだ、って」
成長した今、(当時の記憶さえおぼろげであるのに、)サファイアは未だに銃を扱えない。
「けれども代わりにキミは卓越した身体能力を持っている。普通体術の会得には5年はかかるものだけどキミはわずか1年で全て会得してしまった。
…凡庸な先輩たちはソレを妬んでいるんだよ」
細いサファイアの体が更に小さく見えた気がして、ダイゴがひざをまげベッドに座っている彼女に視線をあわせる。
「キミの最後の武器は、その強い意志だ。…何も気にしないで。キミは強いハンターだ」
「…うん。あたしは、強いハンターと」

そして、復讐の実行者。











―――無言のまま対峙して数分。 
お互い微動だにせず、睨み合っていたが…先に口を開いたのは、紅色の瞳の少年だった。
「…やはりエルフってのは偽名だったんだね。可愛らしい面持ちだから小妖精エルフかな、とも思ったけど。No.11エルフか… 協会内でのコードネームかな?」
「……」
「…本当の名前は何て言うんだい?お嬢さん」
「―――サファイア。サファイアったい」
「へえ、藍珠の名前を持っているのか。その碧い瞳に違わぬ綺麗な名前だね、サファイア」
「そういうあんたこそ、瞳に違わん名前を持ってるとね?…ルビー」
その恐ろしいまでに紅い瞳は、間違いなくその名を持つにふさわしい者を表している。
赤々としていて、血に例えられることも多々…美しさを備えているが、何処か恐ろしささえも感じさせる紅玉。そして、その名を欲しいままにするかのようなその瞳…。

「けれど…ボクもなめられたものだね。キミみたいな“若い子”を差し向けられるとは」
いやに若い、を強調し、ルビーは嘲笑を浮かべる。
「!何ね!!あたしとそう変わらん見かけなくせに!」
「見かけだけで判断するのは愚か者のすることだよ。…じゃあ、キミは経験豊富なのかい?」
「それは…あたしは上からの意向で吸血鬼は直接相手をしたことばなかけど…資料はよく読んだったい」
「ふぅん?じゃあ知識は豊富だと?」
「頭に叩き込んだとよ…あんたたち、吸血鬼のことは」

そう言って彼女は静かに目を閉じた。…まるで、頭の中でその膨大な吸血鬼に関する知識の本をめくっているかのように。

「吸血鬼は血ば飲むことによって飢えをしのぐ―――そして、自分の血を与えることによって、眷属を増やす、と」
「だから食事にはいっさい手をつけなかったってわけか…そうだろうとは思ってたけどね。…でも、あのワインは飲んだじゃないか」
「“血のワイン”ったいね…ほんの少し、飲んだとよ。…もしかしたら危ないかもしれんと思った…でも、あんたなんかに負けん自信もあったけんね」
「はは、すごいな」

何処か友好的な笑みのように見えたが、サファイアにとってはそれも憎らしい笑みにしか見えなかった。
すぐにでも飛びかかりたい思いを、必死でとどめている。
油断は出来ない―――それは他のどの魔物を相手にする時でも同じことではあるが、彼に関してはことさら容易な行動は出来ないように思えたからだ。

彼の次の行動によって決めよう。自分に害をなそうとすればすぐにでも攻撃に入ればいい…それとも、自分をかどわかそうとするだろうか?
しかし予想に反し、彼はサファイアから目線を外した。
…そして、まるで思案するかのように(何処かわざとらしく、)あごに手を当てる。

「…間違いないね。協会はキミを実験台にしようとしているんだ」
「!?い、いきなり何を言い出すったいか!」
まるで苦しい言い訳…もしくは戯言のように聞こえた。
無防備な姿をさらすルビー。その背中に剣を突き刺せばいいものの、何故か彼の言葉に動揺してその手さえ震えてしまっている。
「ボクはまだここには来たてだから村にはまだおりてないんだ。多分、ミツルくんを預かっていることでボクの存在に気づいたんだろうけど…他に被害もなければ、特徴もわからない。
吸血鬼と一概に言ってもいろいろなものがある…何が苦手で何が平気かもわからない。
そんな状態で迂闊に吸血鬼に接するのは馬鹿のすることだからね…オトリを一人だして、退治してくればそれでよし、殺されればその死体を解剖して
ボクの特長を何か少しでも掴むつもりだ。
…もし逃げ帰りした場合でも血のワインを飲んでいる確率が高い、何らかの罪を着せてキミを処刑するつもりだろうさ」
「そんなこと…!」
「まあ協会の中でキミがとても上から信頼されているのなら話は別だけどね?どうだい?」
「……」

“けれども代わりにキミは卓越した身体能力を持っている。普通体術の会得には5年はかかるものだけどキミはわずか1年で全て会得してしまった。
…凡庸な先輩たちはソレを妬んでいるんだよ”

そんな…そんなまさか。
そんな人たちが自分を快く思っていないことは知っていたが。まさかその感情が、自分を消そうとまでしているとは…

「キミに触れられることがまずおかしいしね。…普通ハンターってのは教会なんかで洗礼を受けて身を清めるものなんじゃないかい?」
吸血鬼の場合は特に、聖なるものが苦手な場合が多いから。
ハンターの中では常識中の常識なんじゃないのかい?と、ルビーはサファイアの頭を軽く撫で、笑った。
「…その銀のレイピアさえなければ、ボクはキミをここにきた地点で殺していたよ」

ルビーが忌々し気に、サファイアの握り締めているレイピアを見る。
―――吸血鬼は銀が苦手だというが、彼も例に漏れないのだろうか? …何となく意外なように思えた。

「けれど…人間ってのは哀れだね。目的のためには簡単に仲間を裏切られる。…サファイア…だったね。自分が信じてきたものが崩れさったわけだけど、気分はどう?」
「…」
「まあゆっくりしていきなよ。帰りたければそれも良し、―――最も、今帰れば完全に殺される運命しかないだろうけど―――好きにすればいい」
「…逃げん…!あたしはあんたば退治するまでは逃げんとよ!」
「…それもいいだろう。最も、キミのような初心者に狩られるほどボクもまぬけではないけどね」

ダイゴさん。ダイゴさんなら。
きっとここにいれば明日にでも彼は不審に思って来てくれるはず…それまでの辛抱だ。


***
No.11がエルフってのはドイツ語…だったかな?まぁ深い意味はないです(w
設定はオリジ的なところが強いかな…血を吸われるだけでは仲間になりません。まぁ後々作中にて。
血のワイン→吸血鬼の血を混ぜたモン。昔そういうの聞いた気がして…それはワインを飲ませて「美味しい」といった人間を仲間にするってヤツだった気がしますが; 
…捏造多くてすみません。

・・・次章