その日は昨夜からの大雨が続いていて、大変な豪雨だった。
どのチャンネルでもその速報や続報などを放送していて―――カイオーガ再来か、と言っている番組すらあるほど。
土地の低いところは家が水没、などという事態にもなっていて…テレビ画面にも、家の屋根などにあがって誰かに助けを求めている人々などの映像が流されていた。
同時に、その日はボクが久々にサファイアとゆっくり出来る日でもあった。
ひどい大雨だったおかげで流石のサファイアも外に出ることを諦め、ボクと一緒にいてくれることを判断したっていうのに。
ベッドの上で抱き合って少しした時に、高い音でポケギアが鳴り響いた。
無視しよう、と言ったボクを突き飛ばし、彼女は律儀にその電話を受け取って。
「ハイ。…え…。……はい、…わかったったい、すぐに行きます」
こんな時に無遠慮に電話をかけてきたのは、彼女の“先生”でもあるジムリーダー・ナギさん。
何でも近くの川が大雨で氾濫し、ヒワマキもそうとうひどいことになっているらしく。人手が足りないので応援にきてほしい、という内容だった。
面倒なことには首をつっこみたがらないボクと違い、正義感溢れる彼女がそれを断るはずもなく。
二の返事でOKの応答をかえした。
「…行くの?」
「当たり前ったい!ヒワマキの人たちが大変なことになっとうとよ、無視できるわけがなかと!」
「ふーん。…ボクとの時間を断ってでも行くような重大なことじゃないと思うけどね」
「…あんた、何言っとると?重大なことに決まっとろうが!」
昔の旅のことといい、全く、ボクと彼女にとってヒワマキは鬼門らしい。
これ以上こじれるのも面倒だったので、わかった、ボクも行くよ、とサファイアをなだめた。
「ひどかね…」
サファイアのトロピウスに乗ってヒワマキに到着した時、確かに、周辺の光景はひどいものだった。
ツリーハウスのおかげで大抵の人は助かっているが、立体的な街の構図のせいで他の低い土地の場所は完全に水没状態。
そして入り組んだ形のせいで救助も難しく、とてもジムリーダーと数人の助けではまかなえないであろう状況だった。
「ただでさえこのあたりは雨が多いし、近くの川が氾濫してもおかしくない状況だったってわけか」
「すぐに助けんといけん!あたしはジムリーダー様と一緒にとろろで助ける!あんたは…」
「わかってるよ」
トロピウスから飛び降り、同時に出したZUZUの上に乗る。
「良か!じゃあ、後で!」
トロピウスはすぐに何処かへと飛び去り、彼女の後姿も見えなくなった。
それをしばらく見送り、そして周りの光景にふうと息をつく。
…悪いけど、救援なんてするつもりは全くないんだ。
彼女との時間を裂かれたのに、助けようなんて意思ちっともわいてこない。ボクは正義の味方じゃないんだ。
むしろ、彼女に関することになれば悪にでもなれる。
適当にサファイアが“満足するように”そのあたりをぶらぶらとまわっていた。
屋根の上で救援を求めている人などに人あたりの良い笑顔をして、もうすぐ救助はきますから頑張って下さいね、とだけは言っておいたけど。
自分なりに顔はいいと自負している。微笑んだ人は皆、何処か安心した様な顔をしていた。
…手を差し出すつもりはさらさらなかった。
(…だって面倒だし、汚れるじゃないか。)
暴雨の中に傘もささずこうやっているだけでも嫌だっていうのに。
帰ったらすぐにシャワーだな、サファイアも一緒にお風呂に入れて…。そんなことを考えていると、胸のポケギアがりりりと鳴った。
「…はい?」
(ルビー?…そっちはどうね?)
「…まあまあ。とりあえず“死にそうな人”はいないよ」
(そうとか…じゃあ一旦司令塔ば帰ってきて。少し休むったい)
「…了解」
ああ、やっと終わりか。
でもまだ後片付けやら何やらあるんだろう、今日はここに泊まっていくことになりそうだな――――
ZUZUをボールに戻し、ぬかるみの土の上を歩いて司令塔まで戻った。
ヒワマキ内を流れる川は依然増水し土嚢もいつ崩れるかわからない危ない状況。注意しながら行かないと…
足元に気をつけながら道を進んでいると、ふと女性の姿が目に入った。
川の中に足をすべらせでもしたのだろうか、いつ沈んでもおかしくないほどに衰弱しきっていて…それでもどうにかして陸に這い上がろうともがいている。
彼女も自分に気がついたようだった。
「た、助けて…っ!」
「…嫌です」
自分でも少し驚いたほどにすんなりとその言葉が出て来た。
本音というか、本心というか。…その時のボクは自分が思っていた以上にイラついていたのかもしれない。
「え…?」
「何処に、ボクがあなたを助ける義理がある?ボクはあなたに何の恩もない、…今初めて会ったんだしね。それに、あなたに手を差しのべたら服が汚れる。時間もとられる。
…よって、ボクがあなたを助けていいことは何もない」
「そ、そんな…!がはっ」
力尽きた様にその女性は増水した川の流れに流されていった。
泥水で溢れかえり、視界は最悪…女性の姿は瞬く間に見えなくなっていった。
「悪いね」
何の後悔もなかった。
さあ、すぐに帰らないと。…愛しい彼女が待ってるんだ。
―――サファイアと少しでも長く二人っきりで時間を過ごしたいんだ。ボクの願いはたったそれだけ。
…これ以上、それを邪魔するようなことはしないでくれ。
…そのためなら、誰が死のうがボクの知ったことじゃない。
「…あ、お疲れったいルビー」
ジムリーダーが何人か机に頭を寄せて話し合っている近くに、サファイアはいた。
雨と泥水に濡れてちゃんと乾かしもしなかったのだろう、美しい栗色の髪は未だに雫を滴らせ、ぼさぼさで。
そんな状態で居られて、ボクが平気なわけがない。
カバンからクシを取り出して、いきなり何を、と怒る彼女を無視して髪を整えてあげた。
「本当ならちゃんとお風呂に入って髪を洗ってから整えてあげたいんだけどね…それに体の隅々まで綺麗にしてあげたいけど?」
「よ、余計なお世話ったい!」
顔を真っ赤にして怒るサファイアにくすりと笑いを漏らす。
それから窓に目を向けた。…相変わらず雨は止みそうにないが、勢いは先程よりかなり弱くなっている。
明日には状況も幾分よくなるだろう…救助もしやすくなるに違いない。
お疲れ様、今日はもう休んでくれ、というナギさんの言葉に甘えて用意してもらった寝室にひっこむことにした。
「…でも、意外ったいね」
「?何が?」
「あんたが救助を手伝ってくれたことったい。いつもだったら“嫌だ”、“汚れる”ば言うとやろ?」
「ああ…」
救助なんて大それたことしてないけどね。…むしろ、見殺しにしてきたけど。
サファイアの嬉しそうな顔を見るのはこっちとしても嬉しかったから、何も言わないことにした。
「…まあ、サファイアが頑張ってるのを見たからね…手伝ってあげたいな、と思っただけだよ」
心にもない言葉。自分でも笑えてくるほどの嘘だった。
「ルビー…」
サファイアがとても嬉しそうに微笑む。(サファイアのこんな優しい表情久々だよ)
ボクも“優しげな”表情を浮かべて、サファイアを見つめ返した。
「だからさ、…ご褒美頂戴?」
サファイアの肩を両手で掴んで、ベッドの上にふんわりと倒れこむ。
一瞬だけ彼女の目は大きく見開かれたが、すぐに「予想していた」とでも言わん様な表情になった。
頬を少し紅潮させて、覆いかぶさっているボクを見上げる。
今日だけは抵抗しないであげる。
そう体で表しているのか、彼女は胸の前であわせていた腕を静かにおろし、体を預ける様に力を抜いた。
少しまだ濡れている服をはだけさせ、肌にはりついていた髪をどかせる。
先程の続きを、と思いながらサファイアの細い首筋に顔を埋めた。
背後から聞こえるぱらぱらと降る雨音と彼女の甘い声をBGMに、何も考えることなく彼女を貪った。
変なことに邪魔されたからね、それを取り戻さないと。
今度から行為に入る前には、サファイアのポケギアは切っておこう。扉に鍵をきつくかけて、ポケモンたちも何処かに置いておいて…
何より彼女が行為中に変なことに意識を向けない様に、ボクに集中させるようにしなくちゃね。
…もっともっと、彼女が何もかもを忘れて快楽に溺れるようにしなくては。
暫くして、サファイアが高く啼いて背を仰け反らせた時、
――ふと、脳裏に先程見殺しにしてきた女性の姿が過ぎったが、それはすぐに記憶の彼方に消えていった。