「……ミクリさま、参りました」

まるで闇を落としたかのように、暗い室内。いつもならミクリ自慢の美しいランプが灯を燈しているはずなのに、今はそれがないためだ。
唯一の光は、窓から漏れる月光。
それによって、ベッドに座っているミクリの姿がかろうじてぼんやりと見えているだけだった。
ドアの開く音と小さい声に反応して、ゆっくりとミクリが頭を上げる。

「……えるな……?今日はいいなの“番”じゃなかったかな……?」
「いいなはまだ体の調子が悪いらしくて……その……」

ミクリさまのお相手を満足に勤められそうになく……、と言い吃る姿がとても愛らしい。
きっと今ここに明かりがあれば、彼女の頬は真っ赤に染められているのも確認できたことだろう。
さすがこのルネでも1,2を争う美貌の少女――そして、才女。
元々は有能な秘書のようなつもりで雇ったはずなのに、それを私は……
そんな考えを思いそして振り切りながら、ミクリは穏やかな声で立ち止まった彼女においで、と声をかけた。
少々戸惑いながらも彼女はゆっくりとこちらに近づいてきた。

「だからきみが代わりに来てくれたというわけか。……悪いね、えるな」
「いいえ……!私たちはミクリさまのことを敬愛しています。少しでも、ミクリさまのお慰めになれれば……私は……」
「……ありがとう」







「……っ、ミクリさま……っ」

熱に浮かされた彼女たちの顔を見ていても、そこに思い浮かぶのはたった一人の想い人。
かつて同じように、私の下にいてその美しい紫の髪を散りばめていた人。

嗚呼、忘れなければ。せめて、この一瞬だけでも。
目の前で私のことだけを考えてくれている彼女に悪いと思いながらも、幻影は濃くなっていくばかり。
まるで既視感――否、“経験したことがある”のだからデジャ−ビュではないのだが。

いつか、彼女たちの1人が話しているのを立ち聞きしたことがある。
“ミクリさまはまだあの女を忘れることが出来ない。ならばせめて、忘れさせるお手伝いだけでもして差し上げたい”
……そしてそれを聞いておきながら、私は知らないふりをしている。
彼女たちの純粋な思いを利用して、それを慈しみ汲み取る様でありながら……結局は、“代わり”としているだけ。

「……えるな……」
「……はい……っ」

同情か、愛おしさか。ぽつりと出た言葉にさえ、彼女は反応してくれる。
勿論それは彼女だけでなくて、他の3人も同じ。

――それでも。


(……ナギ……ナギ…………ナギ)

心中に呟くは、たった一人の名。
自分は決して快楽に我を失うことなく、いつもこうやって冷静でいる――事ある毎に彼女たちを抱いても、晴れるのはその時一瞬だけの劣情だけ。
長い間燻り続けているこの疼きは、更に肥大していくばかり……








「……それでは、ミクリさま……お休みなさい」
「待って、えるな。……髪飾り、忘れてるよ」
「え……あっ」

ベッド脇の机に置かれた小さな髪飾り。月光に照らされ反射をおこす宝石が散りばめられ、丁寧に細工の施されたそれ。

「これはムロのものかい?」
「はい。この前ムロの友人が送ってくれたもので……綺麗だから、気に入ってるんです」

まさしくそれは美しい宝石の原石がまれに掘りだされる、ムロの名産ともいえるものだ。よく友人もそこに珍しい石の発掘に行っている。
……そして、ミクリ自身ナギに何回かあげたこともある。
紫色の綺麗で長い髪によく似合う、と褒めたら、何を言っている、と照れながらもつけてくれた記憶もある。

「……成る程。きみによく似合ってると思う」
「ミクリさま……」

褒められて嬉しそうにはにかんだその顔でさえ、記憶の中のナギの笑顔とかぶる。

「では……。明日はジムリーダーの召集会議ですよね?ミクリさまも早くお休み下さい」
「ああ」

そういえば、そうだったな。自分でさえ忘れていることをよく覚えてくれている……流石は、“有能な秘書”だ。
月に一度の、ジムリーダー召集会議。緊急なことがない限り、召集はこれのみ。
近づかないでくれ、と言われて以来、おおっぴらにナギの前に姿を現すことが出来る、唯一の日。





ナギ……私の想い人。
少しばかり長い就任年数だからといって、協会から言い渡された責務を細い体で一身に背負い、誰に頼ることなく頑張っている。

ああ、疲労の色が顔にありありと見えるよ。ちゃんと眠っているのだろうか?

「……ミクリ!」
「ん……」
「どうしたんだ?先ほどからぼんやりとしているようだが」
「……いや」

別離を申し込まれたあの時から、きみが私をまっすぐと見つめることがあるのはこういう仕事の場だけ。
紫水晶の瞳に見つめられることが、昔はとても嬉しかったのに。今では暖かささえ感じられないのは、私の気のせいなのだろうか?
まとめ役として、あなたはどう思う、あなたの意見は、とまるで他人だ。

「……ナギ。そういえば、長いことキミに触れていないな、と思って」
「、馬鹿なことを言わないでもらえるか!」

周りの者たちは事情を知らぬ故、またミクリさんの冗談が始まった、と軽く受け止めていたが。
ナギは柳眉を逆立て、怒りを露にした。


まだ、私がナギと恋人同士だと言い切れた頃。何回か、彼女を抱いたことがある。
(鳥使いは皆そうなのかもしれないが)細身で決して豊満なわけじゃなく、どちらかと言えば男を満足させるには不足の体といった感じだったのかもしれないが――
それでも、私にとってもはそれは何にも変えがたい幸福なことで。
快楽よりも何よりも、その時、確かに私は幸せで満たされていた――

あの時から、私は変わった。
臆病で、これ以上きみに嫌われることを恐れ無理強いをすることも出来ず。
おどけた真似をして感情を押し隠し、一ジムリーダーとして最もらしいことを述べ、……そのような形でしかきみの傍にいることを許されない。

私が今きみの影を求め、あのようなことをしていると言ったらきみはどう思うだろうか?
汚らわしい、と軽蔑するだろうか。そこまで私のことを、と少しでも私に振り向いてくれるだろうか。私には関係のないことだ、と振り返りさえしないだろうか。



何処で歯車は違ってしまったのだろうな。

「変わってしまったとしたら、それは互いの考え方だ」

あの時、きみはそう言ったけれど。
しかし、……どれだけ醜い生き方をしようとも、どれだけきみとの距離が開こうとも、……




ナギ、私はきみを愛しているんだ。