(何故わたしは、あの時廊下に出てしまったのでしょう)
カーテンなど気にせず、そのまま寝入ってしまえばよかったのです。そうすれば、あんなことを聞かずにすんだのです。

「オイラ、お嬢様のこと好きだよ」

カーテンが優しく夜風になびいた時、そんな言葉が隣の部屋から漏れてきたのだ。都合よく、その部屋は少しだけ空いていて。
声とその内容に驚き振り返ると、ドアの隙間から優しい明かりと2人の人間が見えていた…護衛の二人。プロのボディーガードで、自分とは同年齢くらいの男の子。
今、自分のことを好きだといってくれたのは、あの黒髪の男の子…ダイヤの方。穏やかな声で、それでもしっかりと自分を好きだと。
(わたしはその時、素直に嬉しいと思いました)
異性どころか、同年齢の子と接したことの少ない(いや、むしろ皆無だった)自分を好きだと言ってくれた――好意を持たれて嬉しくない人間はいない。
自分を護ってくれる、頼りになる男の子ならばなおさらだ。
(そして同時に、不安にかられたのです)
あの黒髪の男の子のほうの告白を、手前の…ちょうど、ドアに背を向けている金髪の男の子…パールはどう思ったのか?それがすごく気になったのだ。

二人は幼馴染だ。そう聞いた。
いつも何か言葉の言い合いのような特訓をしていて、息はいつもぴったり。名コンビとは彼らのようなことを言うのだろうと感じた。
二人は優しさ、明るさ、厳しさ…色々なものを持ち合わせていて、バトルが得意ではない自分をフォローしてくれたりアドバイスをしてくれる。何より護ってくださる。
流石はお父様とナナカマド博士の選んだ凄腕のボディーガード…心の奥でいつも思っていた。
けれども、それは“仕事”上でのこと。
パールは自分に常時苛立っているような素振りを見せるし、長い間一緒にいた幼馴染が最近出会ったばかりの女を好きになるなんてきっと心良く思わないだろう―――
気配を殺し、彼の一言目を待った。沈黙が二人(いや、自分を含め三人だ)を包み、それは酷く長い時間のように思えて。

明かりがジジ、と揺れた時、眠っているポッチャマがベッドから落ちそうになるのが横目で見えた。それで慌てて、自分は部屋へと戻ったのだった。
だから、パールの反応は結局見ることが出来なかった。


その後何とか眠れはしたものの、おかげで朝食は全く入らなかった。
ダイヤの食べっぷりを横目で見て、いつもすごいですね、と心の中で感想を述べ。目の前の皿にあった焼き立てワッフルも、かけられた蜂蜜ソースがゆっくりと
流れていくのを眺めているしか出来なかった。
「旅をきちんと続けるためにも、朝食はしっかり食べてくださいね」ときつく爺から言われていたが、今日はとてもそんな気分にはなれなかった。


(…少しやつれたようにも見えますね)
ホテルにそのまま彼らと共に居るのもいたたまれなくなり、ポッチャマを連れ近くの川辺へと気分転換に出てきた。
川の中にうつる自分の顔は、はっきりと不調を訴えている。
だからといって今日は休みましょうとか、そういう訳もいかない。先を急ぐ旅だ。一日も早く、自分の使命を達成させて家に戻らなくてはならないのだから。

(もしあのまま二人の会話を最後まで聞いていたら…彼の反応を見ていたら)
彼の反応が「応援するよ」イエスでも「やめておけ」ノーでも、わたしはきっと安らかに眠りにつくことが出来たでしょう。その事実を受け止め、心の奥に閉まっておけば
いいだけなのだから。けれど、今のままではあまりに中途半端だ。
ダイヤの好意を知った今、パールは自分のことをどう思っているのか?それが目の前にちらついたまま、彼と普通に話せるほど自分は人間が出来ていない。
何せ、自分は“好奇心の強い女”だから。

(でも、もし、万が一)
彼もわたしに、好意を持っていてくださったなら。
(まるでそれは、古いお伽話のようです)
昔読んだことがある。全く違うタイプの2人の男性が1人の同じ女性を好きになってしまい、それぞれ違うやり方で女性に愛を伝えていく。
女性は、どちらの男性にも惹かれていってしまう。
そして、そんな自分に自己嫌悪を抱き、自殺をはかる―――女性は命こそ助かったものの、その後どちらの男性にも二度と会うことはなかったという。
(そういえば、その話に出てくる2人の男性も旧知の仲…幼馴染でした)

いや…寓話に自分の姿を重ね合わせるなんて、馬鹿げている。
早くホテルに戻らなくては。二人が自分を待っているかもしれない。何せ今日越えようとしているハクタイの森は広大。通り抜けるのにどれくらいの時間を要するか
わからない。もし森の中で野宿なんてことになったら…考えるだけで、不安になる。

…と。いきなり、強く右腕を掴まれた。

反射的に肩がびくりと跳ねる。思わず腕に抱いたポッチャマを落としそうになった。
恐怖を抑え振り返れば…パール。金色の、跳ねた髪が特徴的な彼。ひどく焦った表情をしている。どうしたのだろうと一瞬思ったが、瞬時に察知した。
ああ、水辺に近づきすぎていたわたしを心配して駆け寄ってきてくれたのですね。「ありがとう」の言葉が出る前に、照れくさそうに彼は口を開いた。
「あー…もう朝食は食べたのか?」
「…ええ、十分にいただきました」
「………」
「………」
「…自殺すんのかと思ったぜ」
「…そんなことなどしません。テンガン山へ参らなければなりませんもの」
そう、恋にだけ身をやつすお伽話の女性と自分は違う。自分には目的がある。彼らは父が雇った凄腕のボディーガードであり、自分は護られる者。
彼らに護ってもらいながらテンガン山へと到達し、その暁には報酬を渡してサヨウナラ。

それだけの関係であればいいのだ。  けれど。

「…ですが、ありがとうございます。ぼうっとしていたのは事実です」

無言の間が辛くて、彼に掴まれた腕をゆるやかに放した。
パールの瞳は「何だよその態度」という色と、「それでも自分が心配だ」という色が混ざり合っていて。その瞳に、自分はいつも感謝と陳謝、そして一種の愛しさを覚える。
少し乱暴だけれど、自分を助けてくれる人。いつも笑顔で優しくて、自分を助けてくれる人。そんな対極的な、ボディーガードの2人。
自分は…どちらも、好きなのだ。
それが俗に言う恋愛感情なのか、それとも信頼からくる友愛なのかそれはわからない。友達への愛情など持ったことがない。ましてや異性への愛情など。
だからこそ混乱するのだ。

(あの日、彼らの話を立ち聞きさえしなければこんなに悩まずにすみましたのに―――)

川が美しい。キラキラしていて、まるで太陽の輝きを吸収しているかのよう。
この輝きは宝石として閉じ込めることも叶わない。どれ一つとして同じものはない、明日はまた違う輝きを放つ、一過性のものなのだ。

そんな美しさの中に身を投げてしまえば、わたしは楽になれましょうか。
もしそのようなことを今したとしても、後ろにいる彼は全力でわたしを助けてくださるでしょう。そしてわたしはまた、彼に感謝と陳謝、愛しさを募らせていくことになるのです。
旅が続けば続くほど、その思いは溢れんばかりになっていくでしょう。

(それが飽和したら、どうなるのでしょう)

保護・庇護の関係が崩れれば、どうなるのでしょう。それは、この旅の終わりを示すものかもしれません。
旅が全てである今のわたしにとっては、ぞっとするものです。

…わたしは家紋に刻むためのアクセサリーを探すことだけを考えていればいいはずだったのに――どうして、こんなににもボディーガードの2人に思いを
裂かねばならないのでしょう。
どうして、わたしの部屋の隣であんな話をしていたのでしょう。わたしが寝ている間に、してくださればよかったのに。
…そんな八つ当たりを、彼らにしていた。


「…なぁ、お嬢さんさ。ダイヤのこと、どう思うよ」

いきなり自分の悩みの当事者である彼の名前を聞かされて、心臓がドクンと音を立てた。
「…どう…とは?」
そう言うのが精一杯だった。もっと、円滑に答えられればいいのに。
“ボディーガードとして頼りに思っています。もちろん、あなたも。”…そんな気のきいた一言が出てこない、自分の不器用さを恨んだ。
「あ、いや、そう深い意味じゃなくてさ!…ダイヤが、お嬢さんのことを気に入ってるみたいだからさ」
知っています。だって、その話を盗み聞きしてしまったのですもの―――そうはっきり言えば、彼はわたしを批難するだろうか。
「…好意か嫌悪かでいえば、好意です」
「そ、そか」
ああ、どうしてそんなひねくれた言い方しか出来ないのでしょうか。彼はわたしの返答を不服と思いましたでしょう。もっと適した言葉や表現はありましょうに…
今の自分はまるで数少ない言葉すら知らない、何も話さぬ人形のよう。
喉がカラカラに渇いていて、彼が望む、そして自分が望むような言葉が全く出てこないのです。

辛い。痛い。 …お願いですから、もうその話題を出さないで。

そう叫びたいほどだった。


「…あ、じゃあ」

もう。 
           言わないで。

「あなたは、どう思いますか?」


彼の大きな目が、わたしの唐突な言葉によって更に見開かれた。

「……へ?」

彼の反応は最もだった。わたしの口から滑り出した言葉に、彼は驚いただろう。そして何より、自分が一番驚いた。
わたしは今、何と申したのでしょうか!?そんなことを言われても、彼は困るだけでしょうに!
「それって、どういう」
「いえ…いえ、ごめんなさい。何でもありません」
手で口を覆い、そんな苦し紛れの言い訳しか出てこなかった。
目の奥がツンとして、熱くなる。胸が痛む。泣きそうだ。涙が今にも零れそう。そんな所を、他の人間になど見られたくない!ボディーガードの2人には、尚更!
逃げようとしたわたしの腕を、強い力が引き戻す。力強いそれに、思わず振り返った。
瞳と瞳がぶつかる。彼の目をしっかりと見つめたのは、これが初めてかもしれない――パールの目は、とても綺麗だった。
きっと、彼の幼馴染の目もとても綺麗なのだろう。川の照り返しの美しさなど比にならない。どんな大富豪にも買えぬ宝石があるとすれば、彼らの瞳のことなのだろう…
ダイヤモンドとパール。彼らに初めて会った日の夜、名乗られたその名を反芻しながら「美しい」と素直に感じたことを思い出す。

いたたまれない。

けれども逃げ出そうとしたその体は、再度強く引き寄せられた。一瞬、何が起きたのかわからなかった。ぬくもりを感じ、心音を耳に聞き、それからやっと意識が戻ってくる。
「離し…!」
「悪い。鬱陶しいかもしんないけど…ちょっとだけ」
――懇願の声。彼のそんな声音、初めて聞いた。愛おしさを感じる。「大丈夫ですよ、わたしはいつでも、あなたのそばに」…そんな声をかけたいと思うほどに。
けれども今彼に必要なのは、きっとそんな言葉ではない。

胸に抱かれ、濡れた目をこすり、そしてはっきりと自覚する。

(好きです。わたしは、あなたが好きです。そして、あなたの幼馴染が好きです)

雇い主が雇用者に抱く感情ではなく、人が友に抱く感情ではなく、もっと深い想いを。 お伽話のお姫様が、月夜に王子への愛を謳うような切ない想いを。
―――いや。
どんなお話でも王子様は必ず一人だ。お姫様とくっつくはずの王子様が2人もいるなんて聞いたことがない。”運命の人”は1人であるのが不変の法則なのだから。
ましてや2人の男性を同時に好きになってしまう女性が、幸せになどなれるはずがない…。

(では、わたしは。わたしのものがたりは)



幸せな結末ハッピーエンドを、決して許さないだろう。