「オイラ、お嬢様のこと好きだよ」

そう言われた時、一瞬言葉を失ったのは何故だろう。昔からずっと一緒だった幼なじみにそういう人が出来て、素直に驚いたからだと思いたい。
何せ、自分の幼馴染は食べ物(と、漫才)以外に興味を持たない人間だ。
たまに自分があの子可愛いよな、と彼を小突いても、「うん、そうだねぇ」といつもの調子を崩さなかった。(そして、その手にはいつもお団子やらパンやらが
しっかりと握られていた。そちらのが大事だとでも言わんばかりに。)
それがあの日、…テンガン山への旅を決めた日、あのガイドの女と出会った時…ダイヤは食べ物と漫才以外に、もう一つ興味を覚えるものが出来たってのか。

黙っているのは性に合わないと何とか言葉を考えたが、「…そうか」としか捻り出せなかった。
そこでダイヤが何を思ったか知らないが、「でもパールも大好きだよ」と言い出した時やっと、自分は調子を取り戻すことが出来たのだった。




「…何だってんだよ」
湖のほとりに腰を下ろし、遠くを眺める。薄い霧の先に、広大な森がうっすらと見えていた。
ハクタイの森だ―――深い森。一日で越えられるかどうかも微妙だ。昨日もお嬢様お望みの超高級ホテルに泊まり(彼女はそう思ってないだろうが)、
朝からビュッフェを楽しんだ。
ほぼ貸し切り状態、ホテルマンも「いつでもお申し付けくださいませ」とばかりにずらりと自分たちのそばに並び、まるで重要なお客様扱い。
慣れない待遇に食べられるものも喉を通らず、早々にホテルを抜け出してきたのだった(図太い幼馴染はそんなパールに構うことなく、未だ食べ続けている)。
「そーいやこの先に川があったっけなぁ。サルヒコ、ちょっと散歩にでも行くか」
こんな調子のままじゃ、幼馴染もお嬢さんとも普通に話など出来ないだろう。すっきり気分転換をして気持ちを切り替えねば。
横に付き従う相棒は、ニカッと笑ってパールに同意の意を示した。尾の炎が元気よく燃え盛っていて、今日も元気一杯、やる気満々といった所だ。


川はサラサラ、そしてキラキラ。風も無く穏やかな流れで、水中のコイキングやケイコウオはすいすい泳いでいる。
ヒコザルは水中を身を乗り出して覗き込み、興味深そうに魚たちの姿を眺めている。
「はは、あんま乗り出すなよサルヒコ」
炎タイプが水の中へ落ちたらシャレになんないからなあ。あのお嬢さんにどんな目で見られることやら。
そんな悠長なことを思いつつ、ふと周りを見渡した―――少し離れた所に、自分と同じように散歩に来ている旅人たちや、走り回る森の野生ポケモンたち。
そして水辺ギリギリの所に危なっかしく立っている、華奢な少女の姿――。

「!」

それを目にした瞬間に、自分は走り出していた。そして、川辺に立っていた彼女の腕をグイと引き寄せる。振り返った彼女…お嬢さんはとても驚いた表情をしたが、
すぐにそれは消えうせた。
眉一つ動かさない、あの無愛想な(ダイヤは否定するが、オレにはそう見えるんだ!)表情に戻ってしまう。少しばかり、堪能させてくれたっていいのに。
いや、そんなことどうでもいい。自分に腕をつかまれそこをじっと見つめている彼女に、何か言わなくては。
「あー…もう朝食は食べたのか?」
「…ええ、十分にいただきました」
「………」
「………」
「…自殺すんのかと思ったぜ」
「…そんなことなどしません。テンガン山へ参らなければなりませんもの」
彼女は凛とそう言い、パールに腕を放させた。「…ですが、ありがとうございます。ぼうっとしてたのは事実です」、とだけパールに伝え。
危険な目にばかりあうこのお嬢さん。自分から向かっていく時もあるし、危険が彼女に迫ってくる時もある。
どちらにしても、彼女は世間知らずで危険にあいやすい人間なのだろう。何でそんな人間がガイドとして働いているのかは甚だ疑問だが、そこは置いておいた。

(お嬢さん、か)

自分はあまり女を意識したこともなかったが、どちらかといえば好みは“明るい女”だった。愛想が良くて、よく笑う女の子。そういう子に、好印象を抱いてきた。
けれど、そんな色恋事よりも漫才の方がずっと大事だった。
街角でくっつきあい肌の温度を確かめ合う恋人たちを見るたびに反吐が出る思いを感じ、「ああはなるまい」と目をそらしてきた。
あまり何を考えているのかわからない相方・ダイヤも前述した通り、食べ物以外に興味を持つことはなかった。何の疑問を持つこともなかった。
そんな感じで、今までダイヤと共に将来の夢を目指し、自分は漫才のネタ探しに没頭してきたのだ。

それが。 その均衡が。
今目の前で川の反射に照らされる気高い少女に。 お嬢さんに。  破られたのだ。

(…幼馴染なら、応援すべきなのかな。 やっぱ)
そんな経験ないからよくわかんないけど。


「…なぁ、お嬢さんさ。ダイヤのこと、どう思うよ」
するっとそんな言葉が口からこぼれてしまって、言い切ってからハッとした。

オレ、いきなり何言ってんだ!?そんなこと急に言われたって、お嬢さん困るだけじゃねーかよ!

「…どう…とは?」
彼女は、横目でオレの方を振り返っている。お嬢さんは感情を滅多に出さない女だけど、その目は明らかに困惑の色が出ていた。
ああ、やっぱり困ってる。
「あ、いや、そう深い意味じゃなくてさ!…ダイヤが、お嬢さんのことを気に入ってるみたいだからさ」
「…好意か嫌悪かでいえば、好意です」
さすがのお嬢さんも少し逡巡したように、一間あってからそう答えた。
「そ、そか」
答えてくれたことにまず驚いた。彼女の性格ならば、こんな質問、「知りません」とつっけんどんに返されても仕方ないと思ったからだ。
そして、彼女いわく“下々の者”であるオレたちに一応は好感を持ってくれてたんだな…と。
って、何“下々の者”になりきってんだ、オレ。

「…あ、じゃあ」

「あなたは、どう思いますか?」

言葉を遮られ、彼女のいきなりの言葉に面食らった。


「……へ?」


その時のオレは相当なマヌケ面だったと思う。このお嬢さんには今まで驚かされることがたくさんあったけど、その中でもその言葉は最大級のものだった。
しかし、お嬢さんの顔が先程のオレと同じように「しまった」といったような表情だったのは気のせいだろうか?
「それって、どういう」
「いえ…いえ、ごめんなさい。何でもありません」
お嬢さんはポッチャマを抱え、逃げるように川辺から立ち去ろうとした。消えそうなその背中にパールは胸のざわめきを感じ、反射的にその腕を掴む。
先程よりもその力は強かったのだろう。彼女は小さく声をあげ、パールを正面から見上げた。
ディープブルー、何処までも続きそうなその深い瞳に、痛みを訴える色と、今にも泣き出しそうな色と、少しの脅え。
“無愛想”な彼女は表情こそ豊かではないものの、この瞳は。彼女の振る舞いは。
いつだって豊かで華やかで、凛として。そこらの女が作ろうとしてもとうてい作りえない、生まれついての輝き。生来の宝石を、彼女は身に持っている。

ダイヤが好きになったのは、そんなお嬢さんの姿。

気がつけば、その華奢な少女をパールは己の胸に引き寄せていた。
人間は愛しいと思う存在を無意識に胸に抱くという。パールの意地からすれば「こんな生意気な女を愛しいだなんて」と思う所だが、今は従うしかない。
パールがポケモンの出そうとしている技を瞬間的に察知することが出来るように。これは、本能に近い感覚なのだから。
「離し…!」
「悪い。鬱陶しいかもしんないけど…ちょっとだけ」

自分でも滑稽と思うほどに、情けない声だった。震えていた。お嬢さんはそんな自分に呆れたのか、我慢してやろうと思ったのか…胸の中から動こうとはしなかった。
有難い、と思った。今お嬢さんに離れられたら、この熱をあげる頬を見られてしまうだろうから。

「お嬢さん」という存在は、「自分の幼馴染ダイヤモンド」という一人の人間を魅了した。
そしてまた、「自分」の心をもつかんで離さない。

幼馴染のことは好きだ。そして、このお嬢さんのことも。きっと、同じくらい。
暖かな胸の体温を感じながら、幼馴染の告白に言葉を発することが出来なかった理由をパールはひしと感じていた。
それはまるで、苦い木の実をゆっくりと嚥下するように。