「ち、やっぱりこっちか」
血の強い匂い――何処の部屋よりも、その匂いがきつかった。廊下にいるだけで、その匂いが感じ取れるだなんて余程だ。あの少年は大丈夫だろうか?武器はおろか、身を守るすべも持っていない。そんな状態であんな狂癲した男と遭遇したら……殺されるだけだ。
(しかし何だ? この気配)
感じたことのない、妙な気配だった。蛮骨はその場に鉾を突き刺すと、少年がいるであろう部屋の障子を開けた。
そこで見たものは。幾重にも折り重なった男たちの死体……それは全部、同じ刀傷。先程殺されたばかりだろう、血がまださらさらと流れていた。しかしそれらは、どれも一撃で事切れていた。急所をやられたらしい……手馴れたやり方と言えるものだった。その少し先には、先ほどまで自分が追い詰めていたあの頭分の男。こちらも、首先をばっさりと一太刀入れられている。そして、その頭分の男の死体の前には……あの少年が血だらけの刀を握り、それを支えにして片膝をついていた。はぁ、はぁと荒く息をこぼしている。
「……これ、おめえが?」
頭分の男の死体を蹴り飛ばし、その場で小刻みに震えている少年の前に立つ。反応はない。ここに今、自分がいることすら気づいていないようだった。
「おい、聞こえて」
「お、おれ……っ」
「?」
「こ、怖かったんだ。この男がおれに刀を振り上げてきて……! 殺される、って思って……気がついたら……っ」
「じゃあ、この男たちは」
「そいつらは……おれが呆然としてたら、『よくも頭を』って襲ってきたから……む、夢中で……ッ!」 
つまり。これは全部、この少年が一人でやったことだということだ。傷の慣れたつけ方に相反し、少年は血だらけの刀を放そうともせずにがたがたと震えている。少年を落ち着かせようと肩を握ってやれば、息を荒くさせていたものの素直に体を寄せてきた。警戒心を抱く暇もないほど、憔悴しきっているのだろう。
「お前、人を殺したことがねえのか?」
こくり、と控えめに少年が頷く。
「……もしかして、刀を握ったのも初めてか?」
また、少年はこくりと頷いた。少年の反応に、然しもの蛮骨も驚愕した。
(おいおい、マジかよ)
真剣なんて、とてもじゃないが初めての……剣技も習っていない童子が扱えるものではない。真剣は重い。そして、初めての者にはとにかく扱いにくい。武士を目指すもの以外は、怖がって扱えないのが普通――なのに、今は怖がって震えているとはいえ、この少年はうまく扱った……しかも急所を狙い、“確実に”しとめている。
(本能なのか?)
殺される、と思って咄嗟に起こした行動。少年のその天性の才に、蛮骨は全身に鳥肌が立つのを感じた。
(このガキ、伸びる。確実に、伸びる)
放っておけばこの才は自覚されないまま、埋もれることだろう。けれどその才を拾い育てあげれば、多分。いや、絶対に。自分より勝るとは思わないし思いたくはないが、自分と肩を並べるくらいにまでは、きっと――ふと、この少年が自分の横に立ち美しく戦う姿が瞼に浮かんだ。
「……とりあえず。お前は自分自身の手で鎖を断ち切った。これから、どうする?」
「え……?」
「おめえを束縛する奴は、おめえ自身の手で消した。自分で決着をつけたのはいいこった。……それで、これからどうするって聞いてんだ。生きるか、死ぬか? 死ぬなら勝手に死ね。生きるなら」
蛮骨は少年をまっすぐ見据える。大きな、澄んだ眸の中に自分が見えた。
「って、これは愚問だわな」
蛮骨は少年から刀を奪い、立ち上がらせた。びくり、と未だ震える少年の頭を、ぐしゃぐしゃと撫であげた。
「おめえは死にたくないからこれをしたって言ったな。夕刻、俺に“生きたいから此処にいる”って言ったな?」
「……うん」
「俺も、おめえをここで手放して死なせるのは惜しい。俺と一緒に来ねえか」
蛮骨の誘いに少年は目を見開け、そしてすぐに顔を歪ませた。それはまるで、自嘲するような苦い笑みだった。
「は……何、言ってんだ?」
「ん? 傭兵業は嫌いか? 人を殺せるし、金だってたっぷり……じゃねえ時もあるけど。とにかく、此処にいるよりは楽しいぜ」
「そうじゃないよ。何で、おれを? 昨日会ったばっかりだぜ? そんな奴を」
「そういやお前、夕刻にも『何で年下なのに兄貴なのか』つったなぁ。そんなん、関係ねえっつってんだろ。俺はお前を仲間にしたいから言ってるだけだ。いつ会ったか、何日付き合ってるかなんて関係ねえんだよ」
……強い眸。蛮骨の眸は、炎の色を吸い込んで強く、輝いていた。
この人は、やはり強い。無意識に、されど確実にそう感じていた。ふと見上げると、蛮骨の髪で隠された額に何かの傷が見えた。
「それとも、仲間になりたくねえってか? なら、この場で死んでもらうだけだ。お前は必ず強くなる。後で脅威になるかもしれねえからな」
「あんた、ごーいんだ」
「それが売りだ」
くくく、と笑い、突然、蛮骨は少年を強く抱きしめた。まるで逃がすまいという思いをぶつけるかのように――いきなりのことに驚く少年の耳に、自身の口を近づけた。先程までとは違った、低い、そして小さな声で。
「俺のものになれ。いいな」
息がかかり、ぞくりと体が震える。しかしけしてその震えが恐怖といった類ではないことは解っていた。強い力に、体が砕けそうだ。蕩けそうだ――確実に自分より年下であるのに、全てを包み込んでくれようとしているかのような抱擁。そして有無をけして許さない強固な口調に、少年はただ頷いていた。

「蛮骨の兄貴」
火によって完全に崩れ落ちようとしている屋敷から脱出すると、あの煉骨とかいう男が門前にたっていた。無事だったのか、といったような顔で蛮骨を見た後、少年の方をちらりと見た。すぐに、何故ここにいるのか、といったような顔つきになる。
「兄貴。そいつは」
「戦利品さ。いただいてきた」
後ろに隠れていたおれを前へと出し、ずいと男の前に押し出す。煉骨はまるで物を見定めるかのような鋭い目で、目の前の少年を見下ろしていた。鋭い視線に射られ、少年はただ身を竦める。
「煉骨、これからおめえの弟分になるガキだ。仲良くしてやれよ」
煉骨は賛成するでもなく反対するでもなく、ただ、深く息をついた。

蛮骨と煉骨が雇われていたという農民たちの村に帰ると、多くの農民が村の前で待っていた。鍬や釜を持って農民たちがそれなりの武装している所から、いつ二人から参戦の要請が来るのかと待っていたのだろう。蛮骨と煉骨の姿を見ると、農民達はざわめきたった。
「とりあえず、仕事は全てこなした」
「そうだったか……それはありがたい。やはり、意志があるとはいえ我らは戦い慣れていないから恐ろしかったのだ」
「俺たちにとっても部外者はいない方が戦いやすいからな。丁度良かったよ」
「それでは、約束の金を払おう……こちらへ」
報酬の話になり、農民たちが村の中へ入っていく。その後を追おうとする煉骨に、蛮骨が小さく耳打ちをした。
「煉骨、そっちの話は任せた」
「何を?」
「ほら、このガキ。少し休ませねえと」
見ると、確かに少年は何処か朧げな眸をしていた。無理もない。昨夜一晩、随分といろいろなことがあったせいで、心身ともに疲れ果ててしまったのだろう。
「しかも着物は血に汚れてるときたもんだ。こんなんを連れてちゃ農民共も怖がんだろ」
「……わかりました」
煉骨は何か言いたそうな雰囲気だったが、何も言わずにそのまま農民たちの後を追った。さて、と蛮骨が向きを変えて少年の手を引く。
「こっちだ」

そう言って連れてこられたのは、廃屋かと思うほど粗末な宿だった。自分が昔住んでいた宿も結構結構貧弱な宿だと思ったが、ここはそれ以上だ。一目で、この村の貧しさが見てとれる。周りを見上げ立ち尽くしていると、近くの井戸から水を汲んできたのだろう、蛮骨が二つ、桶を持っていた。
「ほら、脱げ」
突慳貧にそう言われ、慌てて着物を脱ぐ。するとそれとほぼ同時に、ばしゃりと冷たい水を頭の天辺から乱暴にかけられた。
「つめた……」
「我慢しな。ふぅん、白いな肌。雪を欺くってやつだな」
もう一つの桶を縁側に置き、顔を洗えと促される。蛮骨は部屋に上がったが、すぐに何かを持って戻ってきた。
「おめえが着てたこの着物はもう駄目だな。ぼろぼろだ」
着物はあちこちが破れかけていた。今まで全く意識はしていなかったが、これほど酷い着物だったのかと少年は自分のことながら驚いていた。
「とりあえず、これ着とけ」
全身を拭いている少年に袴をなげると、すぐに少年は袖を通した。この袴は自分のでそれ程高価なものではないが、先程のよりは幾分もマシだ。どうやって着るのかさえわからないような少年に手ほどきをし、着終えると、蛮骨はまじまじと少年を見た。
「今はそれで我慢しとけ。これからいい着物をたんと買ってやる。お前綺麗だから、そんなモンよりもっと派手な奴のが似合いそうだな」
手で招くと、少年は部屋にあがってきた。そして蛮骨の前に座り、じっとその眸を見つめる。……次に何をしたらいいのか、とでも聞きたいかのような目で。蛮骨はそれをすぐに察した。
「何でも好きなことすりゃいいんだよ。お前はもう自由なんだから」
「うん……」
「ま、今は寝とけよ。お前が起きたらすぐにでも出発するから。これからは足腰も鍛えねえとな」
促されるままにその場に横になった。上目遣いで蛮骨を見ると、優しい微笑みを返された。あの時の冷たい顔は何処に行ったのだろう。この男は、表情がいくつあるんだろう……それでも強い安心感に満たされ、目を閉じた。自分の頬に添えてくれている蛮骨の手の体温が心地良い。上がってきた太陽の柔らかな光が室内を満たす。涼風が少年の髪をゆらした。
「これから色んなことを教えてやるからな。世の中の道理とか、楽しいこととか、面白いこととか……生きていくための方法も」
蛮骨がそう呟いているのが聞こえたが、重い眠気に支配されてきて、それに反応する力もなかった。
「名前もつけねえといけないな。……蛇みたい、か」
その後も蛮骨が何かを言っていたような気がしたが、耳には届かなかった。心地よい、安心し穏やかな雰囲気の中で、少年は意識を手放した。
このように優しい心地を感じたことは、初めてだった。

「だからって“蛇骨”、は少し安直なんじゃねえの、大兄貴?」
蛇骨は苦笑しながら兄貴分を見た。言われた方の蛮骨はというと、む、と口を曲げた。
「何だよ。気に入ってねえのか」
「ううん、気に入ってるよ、めちゃくちゃ。でも、これって結局おれの母親からの言葉で決めたのか?」
「いや。きっかけはお前の母親の言葉だけど、最終的に決めたのは俺の意思だぜ」
「そうなの?」
「蛇っつーのは”再生”とか“生死”とか、“永遠の命”の普遍的象徴だしよ。何か縁起いいだろ? 蛇を神の使いにしてるところもあるっつーし」
「何か、大層なもんだな」
「おまえはそれを名にするだけの価値があるよ」
からかう素振りでもなく真顔でそう言われて、頬が熱くなるのを感じた。蛮骨はそれに、と続ける。
「名前に動物の名前が入ってるとな、魔よけになるんだぜ。あん時のお前は何かに食われちまいそうな、弱々しいヤツだったからな。俺はおまえを守ってやりたかったんだ。ま、今じゃそんな必要もないけどな」
「へぇ、そうなんだ」
「お前の母親もその辺を考えて言ってたんじゃねえの? 他人を騙してでも、殺してでも、何をしてでも生き延びてほしい。まるで、“永遠の命”を手にしたかのようにずっと生きてほしいと」
「……そっかなあ」
「ああ。子供を愛さねえ母親なんざいねえよ」
愛、ねえ。何だかとてもむず痒かったが、そう言い切られて反論する意思を失ってしまった。もしかしたらそうだったのかもしれないし、そうじゃなかったかもしれない。けれど考えたとして母がいない以上、その問題に答えなど出ない。何より、もはや考えるのをやめたかった。自分は元々過去に縛られるのは苦手だし、過去がどうだからと気にする性質でもない。考えを張り巡らせることで枷が生まれるのはごめんだった。

雪が降れば、やはり少し古傷が痛むかもしれないが――兄貴分たちと、仲間たちと……今現在、“此処”で生きているということ。そして、此処で楽しく生きること。
それが今の自分にとって、一番大切なことなのだから。