その日も、変わらない夜なはずだった。
おれは頭に快楽を感じられないほどに強く、無茶苦茶に抱かれ……そして事が終わる。頭は何の悪気も覚えずに、そのまま眠りにつく。おれは腰の痛みを感じながらまどろんでいき、いつの間にか朝を迎える――そのはずだった。

「頭ァ!!」

手下たちの、尋常ではない悲痛な叫びにも似た大声。おれも、流石に頭も――不吉なものを感じずにはいられなかった。すぐに飛び起き飛び散っていた着物を羽織る。そして部屋から飛び出すと……そこは、一面赤の世界だった。そして茹だる程の熱風。
(さっきまで雪が降っていたはずなのに)
そんな場違いなことを考えてしまうほどに。勿論、赤は血の色――そして、橙色も混ざった――炎の色だった。
屋敷に、火が放たれている。
「な、何事だ!?」
「あいつらだ、あの傭兵共が……!うぐぅ」
おれたちの目の前から走ってきた手下の一人が、妙な声をあげてその場に崩れ倒れる。その後ろから、あの少年……蛮骨があのでっかい武器を構え、無言で手下の背にそれを突き刺していた。その表情は冷え冷えとしていて余程熱の中に立っているとは思えない。大鉾には、塗りたくったかのような多量の血。それを見るだけで、何が起こったのかは自然と理解できる。
「そ、そなた……何をッ」
「仕事をしてんのさ。俺のやるべきこと」
正論、とでも言いたそうに男が武器を手下の背から引き抜き笑う。噴き上がった血が、蛮骨の足元を汚した。裸足で血を踏み、一歩二歩と蛮骨はおれたちに近づいてくる。その足が、にちゃりにちゃりと血によって糸を引く。目の前まで来ておれたちを見上げた蛮骨の笑みは、とても残忍だった。
「貴様……我らの味方となるのではなかったのか!?」
「まだ返事はしてなかったろ?」
「だ、だが金も待遇も……我らのほうが断然、良かったはず! なのに、なのに何故……!」
「あんたさあ。見縊らねえでくれよ」
ぶん、と武器をふるい。頭の鼻寸先で、蛮骨は武器を構えた。
「雇われ中の傭兵に金の多い少ないは関係ねえの。あんたにゃわからねえだろうけど、誇りってもんがあるんだ。一つの仕事を終えるまで、雇い主はぜってえ裏切らねえよ」
「くぅっ……!」
「俺たちはまだ村の農民たちに雇われ中なんでな。城を落としてほしいって依頼ついでに、この辺で悪さしてる賊共も一緒に皆殺しにしてほしいって依頼聞いたからよ」
「貴様あああ!!!!」
頭と話していた蛮骨の背後から、手下たちが数人、一斉に跳びかかる。おれがそれに気づいた時には……蛮骨は武器をそちらへと向け……一瞬の煌めきの元、手下たちの体を切り裂いていた。まるで飛び掛られることを知っていたかのような俊敏さに、背筋が凍る。どさどさ、と手下たちが多量の血を噴き出しながら重なるようにして崩れ落ちた。びくびくと痙攣を起こし震えているその躯達を、蛮骨は無常にも足で乱暴に蹴り上げた。
「話してる途中に向かってくんなって。ほんっとうに礼儀知らずだなぁ」
「ひいい!!」
頭が恐れをなし、おれを突き飛ばし……へろへろとした腰つきで何処かへと走っていった。蛮骨はその様子を横目で見ながら、武器を肩に持ち上げ……頭を、追わないでその場に立っていた。おれはというと、突き飛ばされた衝撃で尻餅をつきその場に座り込んでいた。頭の後ろ姿を、呆然と見送ることしか出来なかった。
「兄貴」
丁度蛮骨が現れた方向から、あの頭巾の男が現れた。そいつがつけている両の手甲から、糸のようなものが揺らめくのが見えた。そこからも、黒い血が滴っていた。腰には妙に大きな瓢箪を下げ、肩には何やら黒く太い筒のようなもの――うっすらと煙を燻らせ、焦げた臭いを発している――を抱えている。これがこの男の完全な戦闘態勢なのだろう。それでも頭巾の男の表情には、興奮や歓喜、ましてや罪悪といった感情は全く読み取れなかった。「人を殺しても、何も感じないのだ」という冷酷さが、確かに読み取れた。
「おう煉骨。どうだ、そっちは?」
「もろいもんだな。酔って起きねえまま殺された奴もいる。こんな楽な仕事、滅多にない」
「ほんっとうに馬鹿な奴らだもんなあ。俺たち二人だけでも落とせちまう。農民たちの援護もこりゃいらねぇな」
「全くだ。しかし兄貴。さっきのは」
「ああ、頭だ。ご丁寧に逃げやがったぜ。このガキ置いてだ」
ぽん、と蛮骨がおれの頭を軽く叩く。気さくな態度だったが、おれの瞼には先程の蛮骨の凶刃が焼き付いて離れなかった。
(おれは殺される……?)
そんなことを胸の奥で感じていた。感じていることとは裏腹に、手足は細かに震え、逃げ出そうという力もおきない。けれどもこの気持ちだけは、前の時から何も変わっていない。胸に直接競り上がってくる、ゾクリ、とした冷たい感情。
まただ。またこれだ。母が殺されたときに感じた、この妙な感情。これは一体、……。
それを考えだす前に、蛮骨は煉骨を引きつれて廊下を頭が逃げていった方向に、歩き出していた。おれを拘束したりもせず、その場に置いたまま。声をあげることも出来なかったおれに、蛮骨は背を向けたまま言う。
「どっかに隠れてな。まずは頭だ。そいつを殺ってから、お前の処分は決める」
その場に座り込んだままのおれの耳に、何処かで男たちの悲鳴が聞こえた。

「おーい、何処にいんだよー? 隠れてねえで出て来いって。真っ向から俺とやりあおうぜ」
すぐ近くの廊下から、ぺたぺたと歩く音とそんな声が聞こえた。どうやら、一人らしい。しかし、あの少年、一人だけでも恐ろしい……本当に、噂は真のものだったのだと信じざるを得なかった。あまりにケタが違いすぎる。頑張ればどうなる相手でもない・・・勝てない。とりあえずあった刀を震えながら握る。震える手が、刀をカタカタと言わせていた。それはとても小さな音……しかし、それだけでも少年に居場所がばれてしまうのではないかと思う。この自分の心の臓の鼓動でさえ、今は煩いものでしかなかった。
頼む、このまま行き過ぎてくれ……!
頭は障子の傍で必死にそう願っていた。
「おーい、本当にさあ。俺たちも暇じゃねえんだよー。さっさと終わらせて次の仕事行きてえんだからさ。……出て来いって!!」
蛮骨の鉾が頭の頭上ぎりぎりを過ぎ、障子を切り裂いていった。金切声にも似た声を出し、頭は畳に体を投げ出す。
「うわあぁ!!」
「あんた気配出しすぎ。バレバレだぜ?」
勢いで部屋の奥に跳ねだされる。蛮骨は残りの障子を足で蹴破り、中へと入ってきていた。譫言に何かをつぶやきながら、頭が蛮骨から少しでも遠ざかろうとする。
「もういいか? 覚悟いい?」
「た、頼む……! た、助けてくれェ……!!」
「おめえらだってそういっておめえらにすがった農民、殺してきたんだろ? 自業自得」
「そ、そんな……っ」
「おめえら、悪いことはしてねえって言ったよな?お天道さまに顔向けできねえって言ったよな? もういいじゃねえか。もうおめえはお天道さまを眺めることもねえんだ」
蛮骨が大鉾を構える。声にならない声を発しながらゆっくりと後ずさっていた頭は、ことりと、背に何かがあたるのを感じた。ちらり、とそれを横目で見……にやり、と笑う。
「死ぬものかぁ!!」
「!」
そこに倒れていた、死した手下の体……それを持ち上げると、頭分の男は一気に蛮骨へと投げつけた。一瞬だけ、蛮骨の視界が覆われる。目の前に飛んできた体を鉾で斬りつけその場に落とすと……そこから、頭の姿は消えていた。
「火事場の馬鹿力ってやつか。死ぬ前の人間ってのは本当、何でもしやがるな」
頭が逃げ出したであろう目の前にある障子から、蛮骨はまた廊下に出た。すると、もあ、とした陽炎が視界を揺るがせた。そして、茹だるような熱さ。確実に、炎の勢いは強くなっている。ふと、脳裏にあの少年の姿が浮かんだ。
(……まさか、あいつ)
蛮骨は先ほどの場所へ向かい、廊下を走りはじめた。

「おい、お前……!」
廊下に根差したかのように動けなかった体が、びくり、と跳ね上がるのが自分でもわかった。恐る恐る後ろを振り向くと、目の下の傷が目にはいり――髪を振り乱した頭が、真っ青な顔をして立っていた。目は血走っている。そんな姿を、見たことはなかった。
「あいつは……」
「あいつは鬼だ。勝てない、勝てない……っ 死ぬ、死ぬ」
ぶつぶつと、何かを呟いている。気が狂ったのだろうか。刀を握り締め、頭はおれの周りを歩いていた。
(死ぬ?)
おれが?ここで?
ふと、おれの中に不思議な感情が沸いて出ていた。
「死ぬ、死ぬ……っ けど、俺は一人じゃ死なねえ……!!」
すらり、と炎の光を浴びて、頭の手に握られた刀がおれに向けられる。頭はいっぱいに広げた目で、おれを見下ろしていた。刀を向けられたのに、おれは声が出なかった。それが恐怖からか、驚きからか……わからなかったけれど。
「なあ、お前も一緒に死んでくれるだろ!? おめえ、俺に一生ついてくるって誓ったもんなぁ! 死んでくれるだろぉ!?」
かたかたと震える刀の切っ先が、おれの喉元に近づいてくる。おれは全身が震えるのを感じていた。
殺される? 殺される? ここで、死ぬ?
先程から燻り続けていた冷たい感情がざわめく。おれの胸の中で再び何かが起こり始めていた。あの時と同じ。母が血だらけになり、ゆっくりとおれの目の前で倒れていく……あの時と。名前も知らない感情がおれの中で入り乱れて……外に出ようと、暴れだしていた。
出てくるな、と思うこともなかった。ただおれは、受け入れていた。体の震えは未だ止まらなかったが、心は妙に落ち着いていた。

「安心しろ……俺もすぐに行くからなぁ!!」

男は血走った目でおれを見、……刀を振り上げると、一気にそれをおろした。