「頭ァ」
手下の声が、障子を隔てた近くの廊下から聞こえた。それで目を覚ました。……また、あんまり眠れなかった。これで、眠れなかった夜は何度目だろう。といっても数などわからなかったからたくさんだってことしかわからなかったが、未だ熟睡している頭に恨めしい気持ちだけが募っていった。男はおれを抱きしめたまま、手下の言葉にも反応しない。それどころか、手下の声と朝日から逃げるように更に布団へと深く沈み込んでしまった。これじゃあ、おれも起きられない。
(ったく、仮にも一団の頭がこんなんでいいのかよ)
思わずそう思ったが、勿論口にはしない。いつまでたっても反応がない頭に痺れをきらし、手下が部屋に入ってきた。
「頭、起きてくだせえ。あの傭兵達を連れてきましたぜ」
「あん? んなもん、適当に話つけとけよ……」
「それが……傭兵たちが頭にあわせろというので……しかも、噂は本当でしたぜ」
「あぁ?」
手下がおれの髪を持ち上げ、頭の腕からおれを無理やり引き離した。
「本当に、こいつよりも年下だ」

身形を整えて大広間に赴き、そのまま頭の横に座った。すると、集まっていた多くの手下たちの真ん中に……その噂の傭兵たちが座っているのが見えた。
“たち”、といってもたった二人。しかもどちらも、まだ若い奴らだった。一人は侍装束に身をつつみ、頭を布で覆っている男。正座をして居住いは礼儀正しかったため、一瞬坊主かと思った。けれどその鋭い目は幾多の戦場を乗り越えてきた非情さをありありと伝えていた。荒くれ者たちでさえ、男に視線を向けられて多少なりともたじろいでいるのが目に見えた。その横で立膝をつくもう一人が、……多分おれよりも年下だろう、長い髪を結った少年。否、少年というよりガキだった。悪戯っぽい瞳、眉は弓なり。はっきりとした面持で、何処か不適――美丈夫だった。噂は本当だったとおれは思った。
ただ、そいつが持っている武器が普通じゃなかった。
(何だよ、あれ)
刀でも槍でもない、少年の身丈よりも余程大きい武器。おれも多くの武士に会って来たけど、あんなものは初めて見るものだった。
「ほう、これはこれはまた大きな鉾ですな。あなた方が、あの城を落としたっていう傭兵方で?」
「ま、そういうことになるな。あんな城、造作もねえや」
口調もガキそのものだった。……けど、何処か大人びてる。「こんなガキ共が」とでも言いたそうな顔で二人を囲んでいる手下共は、わからないのだろうか。
曲りなりにも幾多の戦場を潜り抜けてきたおれはわかる。こいつらは「ちょっとばかし強い傭兵」なんかじゃない。「恐ろしいほど強い傭兵」だ。体中からキナ臭い匂い。それと、血の匂いがしみついている――吐き気がする。どうしてここにいる奴らが皆平気な顔をしていられるのか、わからねえ程だ。
「はは、流石は八面六臂と噂された方だ。頼もしいことですな」
「世辞はいい。それより、俺たちに何のようだ? いきなり怖え面した男共に囲まれてびびったぜ」
「それは失礼いたしました。何しろ礼儀を知らぬ者たちですから……というのは、他でもない。私たちに手をかしてほしい」
「……とは?」
頭を布で覆った男が短く答える。どうやら、こちらを伺っているようだった。当然だろう、こんな所にいきなり連れてこられたのだから。男の鋭い目は、全てを見透かそうとしているかのようにギラギラしていた。
「他でもない。この辺り一帯を、我らがおさめるために力をかしてほしい。中々、この辺りの農民たちが煩くて……抵抗ばかりして邪魔をして、ほとほと参っているのです。……どうだろう、それを沈めるためにもあなた方の力を貸してはいただけまいか」
「ふん。この辺りを治めるためのね……お前らこそ、この辺りで勝手ばかりしてるんじゃねえのか? 農民共が呟いてたぜ」
「それは彼らの勘違いだ。我らはいつでも正しいことしかしていない。それでなければ、お天道さまに顔向け出来ませぬ」
「ふうん」
よくもまあ、そんな嘘を平然とつけるもんだ。どれだけ近くの村を襲って、女共を強奪してきたことか。しかし勿論言葉など挟まない。おれは無関係を装って、その話を聞いていた。髪を結ったガキも何を考えているんだか、何処か楽しそうに聞いている。神妙な顔つきになっている隣の男に比べると、本当に気楽そうな……余裕、といってもいいのだろうか、そんな表情。
「ま、話はわかったけどよ。その農民たちに今俺たちが雇われてるのを知って、それを言ってるのか?」
「勿論、無理にとは言わない。だが、協力していただけるのなら前金も満足いただける額を与えよう。傭兵とは、報奨金によって価値をつけられるものなのだろう?」
「まあ、そうだな」
「我らは彼らよりもそなたたちの価値を重くつけよう。成功した暁には更に金をつける。どうだ、悪い話ではあるまい?」
頭を布で覆った男が、何やら三つ編みの少年に耳打ちをした。すると、少年は何か考えるような顔つきになって……そして。
「よっしゃ。もう少し考えさせてくれ。とりあえず、今日はここに泊まらせてくれねえかな。何しろ、村はいささか寝心地が悪ぃ」
「はは。きっと布団もないことでしょう。勿論いいですとも。いい待遇を約束いたしましょう」
頭はもう、彼らを雇ったかのような顔だった。手下たちに手をたたいて合図し、男たちを一番いい部屋に連れていくように指示をする。何人かの女たちも男たちの横につくと、胸を押し当て、気持ち悪ィほどの声で甘えていた。頭巾の男は溜息をついたが、ガキの方は気を良くしたようで女共の肩に腕をまわし上機嫌だ。
……と。
結った方のガキが、ちらりとおれを見た。まるで、不思議なものでも見るかのような目つきで。
「さぁ俺たちも部屋に行くぞ」
頭に抱き上げられ、おれもそのまま広間を去った。別段、その男の目も気にも留めず。

「なぁ、あいつ見たか?」
「あいつ?」
「頭の横にいた赤い着物着た奴だよ。めちゃくちゃ上玉だったぜ? まるで人形が座ってるのかってくれえ整った顔だった。こんな田舎に珍しいぜあんなの……そこらの村から連れてきたタマじゃねえな」
「また兄貴はそういうことを……何処かの花街からでもつれてきた、頭の女なんじゃないのか」
「それにしちゃガキだったし、ぬくぬくと育ってきた顔ではなかったがな。……気になるねえ。俺、キレーなもん好きだから」
少年はクク、とさも面白そうに笑みをこぼした。

男たちの待遇は、それは良いものだった。部屋は勿論、夕餉だって酒だって高級なものばかり。手下たち……団の一員でさえ、滅多にお目にかかれないものばかりだ。また何処からか奪ってきたのだろうな、とふと思う。こんな盗賊たちに、この傭兵たちは本当に力を貸すのだろうか。おれの疑心とはうらはらに、少年は目の前に並ぶ饗饌に目を輝かせていた。
「おお、豪華だな」
「でしょう。腕によりをかけてあなた方のために用意いたした」
早速料理にとりかかるのか、と思えば、少年は酒にまず手をのばした。それを見て、目ざとく頭が横から口を出す。
「ほう、酒を飲まれるので?」
「ああ、大好物よ。やっぱり酒を飲んで威勢をつけねえとな。……ほら、あんたも飲めよ」
「はは、これはどうも」
頭は軽く会釈をして、少年の突き出した酒を杯で受け取った。何だかこのまま宴にでもなりそうな勢いだ。やってられねえ、とおれは頭の目を盗んで広間から出た。

廊下に出てすぐに目に入ったものは、はらはらと降る雪だった。
ああ、どうりで寒いはずだ。元々寒い地域だけれど、こんな薄い着物で、この寒さが防げるわけがねえ。自然と震えが起こったが、おれは景色が見たくて縁側へ更に近寄った。闇夜に降る、白い雪。黒と白の調和がすごく綺麗だ――雪は好きだ。見飽きた部類に入るとはいえ、何の色にも染まっていない無垢な白がおれは気に入っていた。昔と今、大分自分は変わってしまったが、昔からこの思いだけは変わらない。
母が仕事をしていて、暇だったおれが一人で窓から外を眺めていると大抵雪が降ってきていた。細かな、明朝には積もるであろう雪が。
(綺麗だなあ)
幼心に、そう思っていた。いつも見ているものなのに。見れば毎回、そう思ったものだった。

「よう。雪見てんのか?」
ふいに声をかけられ、振り向く。音……というか、気配を感じなかった。しかし、あの結ったガキがおれのすぐ後ろに立っていた。
「寒ぃと思ったら降ってきやがったな。お前、そんな薄い着物で平気なのかよ?」
「……」
「ま、それを俺が言っても仕方ねえけどな。お前、名前は?」
「……」
「そんな細っこい腕だし、戦いに身を投じてるわけでもなさそうだな。……何でここにいるんだ?」
「……」
「はは、味方か敵か解らねえやつには何も喋らねえってか? いい根性だ」
口を噤んだままのおれに気を悪くするでもなく、ソイツは笑った。こう見ると、本当に何処にでもいるガキにしか見えねえのにめっぽう強え傭兵だというから不思議だ。まあ、顔はそこらにはいない整った顔だったけれど。
「ま、いいや。そういう奴はよくいるしな。しっかしよー雪って久々だぜ。結構いろんな所まわったけど、この辺は特によく降るんだな」
「……いろんな所を?」
「あ、やっと喋った。……そうだぜ、俺は傭兵だからな。いろんな所行って、そうやって生きている」
「……楽しい?」
「ああ楽しいぜ。人を殺すのも好きだし、それで俺の名があがるのも快感だ。そういうお前はどうなんだ?」
「おれ……? おれは、……」
「何だよ。楽しくねえのか?」
黙り込んだおれに、少年が首をかしげる。適当に“楽しい”って答えちまえばいいのに、おれは何となくその言葉が出せなかった。それを否定と受け取ったのか、ソイツはおれの顔を覗き込んだ。
「駄目だぜー? 人生、少しでも楽しく生きねえと。一度きりなんだぜ」
「……無理だよ。楽しくなんて生きらんねえ」
「何でだよ」
「ここで生きているから」
「ここにいることが楽しくねえのか?」
暫く考え、おれはこくりと頷いた。途端、少年が呆れたように溜息をついた。
「お前攫われてきたのか? だったら逃げだしゃいいじゃねえか。俺たちから見りゃあんだけ隙だらけの奴ら……出し抜くなんざ易すぎるぜ。何でこんなところにいることに甘んじてるんだよ」
「簡単に言うな。ここから逃げ出して……おれが何処で生きていけるってんだ? 逃げ出したって、何処かで野垂れ死ぬだけ……だったら、ここで大人しく生きてた方が利口ってもんだろ」
「ふぅん。おめえ、見た目と違って結構執念深いんだな。死にたくないってか」
「見た目……?」
「ああ。何か、目に感情がねえ。無感情な目してるぜ」
そう言われ、おれはどきりとした。
無感情な眸、だって?いつかおれが母に感じた、それと同じものなのか?
「けどよ」
少年が続けた。
「おめえ、 “逃げたい”って思ってんだろ。でも、どうしたらいいか解んねえ。だから、ここで大人しくしている……」
「……?」
「おめえ、誰かが助けてくれんのを待ってんじゃねえのか? そんなんじゃ、どっかで野垂れ死んだ方がマシだな。甘えんなよ。生きたきゃ、足掻け」
目の前にいた少年が、いつの間にか目つきを変えていた。先程までの何処か懐っこい目とはまるで違う。怖いと思わせる眸……「経験者」の目だ。
「……おれに、どうしろってんだよ」
「自分で何とかしろ。連鎖を断ち切ればいい。自分を縛り付けてる枷を、自分でぶった切れ」
少年が胸の前で何かを斬るような仕草をする。……その手つきが、妙に生々しかった。
(このガキ、何処かで“これ”を経験してる)
じゃないとこんな眸、とても出来やしない。

「兄貴」

広間の障子が開き、少年と一緒にいたあの男が顔を出していた。一緒にいたおれに一瞥をくれたが、すぐに視線を外した。男の顔は青白いままで、仄かも赤くなっていない。酒は一滴も飲んでいないようだった。頭巾の男の呼びかけに、少年がおう、と答える。
「こっちの収集がつかねえ。そろそろ、部屋に戻った方がいい」
開けられた障子の隙間から、酔った男たちの野太い笑い声が聞こえてきていた。
「ったく、すっげ酔いようだなあ。ま、そうだな、そろそろ戻るか」
頭巾の男はそれだけ伝えると部屋へと戻るべく、暗がりへ消えていった。大鉾を手にその後を追おうとする男に、おれは単純に疑問を抱いたことを聞いてみた。
「あんた、“あれ”の兄貴なのか?」
「ん? 俺、そんなに老けて見えるか? あれよりは年下だぜ」
「じゃあ、何であいつはあんたを兄貴って呼んでるんだ?」
「単純だ。俺が強いから。年齢なんざ関係ねえよ。そんなんで判断するのは空け者だけだ」
にっと笑い、少年は踵を返す。しかし、ああ、とすぐに振り向いた。
「んで、おめえ名前は?」
「名前なんてないよ。あいつらにも“ガキ”としか呼ばれてないし」
「へえ? 母親はどうしたんだ。母親にはつけてもらわなかったのか」
「“つけないことが、あたしの最後の愛情だから”だって。おれのこと、蛇みたい、とはよく言ってたけど」
「ふうん。所でてめえ、男か?」
「そうだよ。それで、あんたの名前は」
そこまで言ってから、おれは驚いた。何でおれはこいつの名前を聞こうと思ったのだろう。しかし目の前の男は聞かれたことを、さも自然な流れであったように受け止めていたようだった。
「俺は蛮骨。さっきの奴は煉骨だ。どうだ、格好いいだろ?」
そう言って笑った顔に、先程の恐ろしさは皆無。懐っこい、ガキのような表情に戻っていた。
「じゃあ、俺は行くぜ。今はお前も、ゆっくり寝とけ」
その言葉に含まれた意味を、おれは何となく感じてはいたが完全に理解は出来ていなかった。去っていく少年の横顔は、表情がまた変わっていた。それは冷え冷えとした、静かな色だった。