転機は確か、それから少し経ってのことだった。

昔っから長閑だ、長閑だと言われ続けていたこの村に、ついに……というのも奇妙だけれど、狼藉者たちが現れた。近くの山から国境を越え、すぐ近くにあったこの村に目をつけたのだろう。そいつらは、世から閉ざされたこの小さな寒村に現れるや否や、暴虐の限りをつくした。
金目のものは全て奪い、男は殺し女は連れ去る。この村にたいした抵抗力などあろうはずがない。むしろ、今まで無事だったのがおかしいくらいだ。そいつらの手によって、あっという間にこの村は落ちた。
勿論、それはおれの育った宿も同じこと。
女しかいないこの宿は、恰好の獲物だっただろう。狼藉者たちは戸を蹴破り中へと入ってくると、きゃあきゃあ騒ぎ逃げ惑う女達を手当たり次第捕まえ始めた。抵抗する女を殺す者。それも良しとそのまま部屋へと連れ去り弄ぶ者――男たちはまるで飢えた獣のように宿の中を走り回り、目に入った女を捕まえ身も心も蹂躙していった。

怒号が響く喧騒を聞きながら、おれは一人、部屋の押入れに隠れていた。その頃のおれに、勿論戦う力などあろうはずもない。ただ恐怖に震え、襖の隙間から女たちが甚振られているのを見ているしか出来なかった。
母は何処にいったのだろう、無事なのだろうかという気持ちは少なからずあった。でもそれ以上に、見つかったらどうなるんだろう、という気持ちの方が大きかった。それは何処となく、母に殴られたときの感情に似ていた。嬉しさでも、悲しさでも、怒りでもない奇妙な感情。その感情に、幼い頃のおれはまだ名前をつけられなかった。
突然シャ、と襖が開く音がして、部屋に誰か入ってくるのが見えた。紛れもなく、それは母。奇妙な程落ち着き払い、艶やかな髪も振り乱してもいなかった。いつもと、全く同じ。まるでこの部屋に何かを取りに来ただけのような、穏やかさ。
そのあまりの“変わらない姿”に、「母さんはまだ生きていた」と安堵することが出来なかった。むしろ不安に似た感情が胸を過った。
母は迷うことなく部屋を進み、おれのいた押入れの襖を空けた。そして、その中に隠れていたおれを見下ろす。そして口数なくおれの髪を引っ張り引きずると、乱暴に部屋の中央へ落とした。おれが驚いて母を見上げると、それと同時に三人の男たちが部屋に入ってきた。にやにやとした――いつも母が相手をしている男たちよりも余程たちの悪そうな――いけすかない顔の男たち。賊だ、とすぐわかった。
「へえ、こいつかぁ。幼子は肌が柔らかいっつーしな。刀で切ったらどんな感触なのかね」
「いっつも汚え男ばっかだからなァ。一度試してみたかったんだ」
男たちは皆、明かりでキラリと輝いた、刀を持っていた。びくり、と反射的に体が震えた。
母は何を考えているのだろう。
恐怖で動き出せず、おれが縋るように母を見上げると。同じく、母はおれをちらりと見た。こんな緊迫した中だというのに、母はやはり、――無気力な――何もかもを諦めたような、そんな目をしていた。
「母さ、ん」
「そんな目で見るんじゃないよ。あたしはどうしてもやれない。……やらないんだ」

――その時。

……おれは喉から引きつったような声が出たのを感じた。母は、着物の袖から細身の小刀を取り出すと、その白い首筋へとあてたのだ。つうと、首筋にあてられた小刀が、部屋の明かりで照り返しを起こす。
「! おい、てめえ!?」
「あたしはお前を助けない。お前なら、これからどうすべきなのかわかるはずだ」

お前が仮にも、あたしの子なら。

おれに微笑みかけた母は、それが最初で最後だった。それは嬌笑にも似た笑み、……そしてそのまま、母はその刀を首へと刺し込んだ。
途端、ゴプ、と口から血が溢れ出し、そして首元からもシャア、と“それ”が噴き出す。その口元には笑みさえ読み取れた……目の前で倒れていく母の姿。おれは、ゆっくりとした流れの中でそれを見ていた。確かに、時が止まったような、そんな気がしたのだ。
眼前に倒れた母は痙攣さえせず、すぐに顔から生気が失われていく。眸は今度こそ虚空を見つめ、二度と動くことはないのだと悟った。『静』となった母、その中でただ血の噴き出しだけが『動』を保っていた。びゅうびゅう、と噴き出す血――おれの体にも容赦なく飛び散って、着物に紅の模様を描いていった。

ああ、またこの感情だ。
名前さえ知らない、奇妙な、変な、感情――体が無性に熱くなってくる。

「ち、この女自尽しやがった」
「ったく、面倒くせえ。あらかた良い女は捕まえたし、金目のものもこれ以上なさそうだ。さっさとこいつ殺して本陣に加わろうぜ」
「そうだな」
男たちが、一斉に刃を向ける。おれはというと、この奇妙な感情をもはや抑えられなくなっていた。まるで枷を解かれた猛禽が、狭い籠から飛び立っていくかのように。母の真っ赤な血を指ですくい、唇へと運ぶ。かさついた口にそれを小指で塗りつけると、何だか解らないがツンとした嫌な匂いと、反面滑らかな潤いを感じた。
自然に、顔が緩む。心がすっと落ち着いてくる。

(おれは知ってるんだ。やり方を)

母の体から目を離し、おれは男たちへと体を向けた。明らかに態度の変わったおれを何事かと見すえる男たちに、おれは出来るだけ笑みを――妖艶に、笑って見せた。体を柔らかく構え、細めた目で見やる。足をくねらせて畳に投げ出し、身に纏っていた着物を崩してみせる。男たちの表情が変わったのが、一瞬にして読み取れた。こくり、と唾を飲む音が確かに聞こえた。

「殺さないで……おれの体、好きにしていいからさ」

母が言おうとしたことが、このことかどうかは知らない。ただ、おれは気づいたらそれをしていた。興奮を抑えられない男達に性急に手を引かれ、数人の女たちと共に宿を後にする。外に出て頭領らしき男と合流すると、すぐに宿に火がつけられた。真っ赤な炎は、全てを飲み込んでいった。だけど、おれの中には何の感情もおきなかった。
悲しみとか、後悔に似た念。それらは、一切なかった。
思ったことはただ一つだけだった。

(ああ、何だか母さんみたいだ)

それからの生活は、とても落ち着いたものだったとは言えない。男に体を預け、その日その日を生かしてもらう。母と、同じことだった。男に抱かれるのはそんなに嫌ではなかった。大人しくしていれば無事でいられるし、時には少し抵抗してやるのも面白かった。男共は皆おれに夢中になり、鼻息を荒くして獣みたいに覆い被さってくる。乱暴にされる痛みは多少なりともあったが、抱かれる痛みよりずっと、おれは殺されることの方が怖かった。
男達に抱かれれば、生かしておいてもらえる。“そのこと”が、重要だった。痛みなど、二の次だった。
汚え男たちに抱かれることが、当時おれの生きる道だった。それを遮られればおれは死ぬ。ある意味、必死だったのかもしれない。
唯一つ、それを遮る大きな障害があった。……女。
手管など貧しく、ただでかいだけの胸や尻を武器にして男たちの前で色目を使い、誘惑する――男はおれから目を離し、そちらへと目を移す。それが幼心に、気に入らなかった。
「男とは元来、そういう生き物なのさ。お前なんて、女の代わり。二の次なんだよ」
おれのことを矢鱈眼の仇にしていたある女が、ある時おれにそう言ったことがあった。紫色の、全く似合ってもないハデなだけの着物を着て、おれに見下したような目を向け、そして男には吐き気がする程媚びた目つきをする女だった。その女もいつぞやに男共の嫉妬に巻き込まれて、殺されたようだったけれど。
――ともかく、女は嫌いだ。“あれ”は、おれから、おれの生きる道を奪う。
そんなものを、どうして好きになれるだろうか?

おれは母を自尽させたあの男たちと共に生きて、ヤってヤって、そしていつか何処かで野垂れ死ぬもんだと思っていた。けれど一緒に行動し始めてあまり月日も経たないうちに、あの狼藉者たちは他の賊のヤツらに襲われて、戦って、そして死んだ。全滅だった。そしておれはまたその狼藉者たちを倒した山賊共の手に渡って、そして、またそいつらが全滅して。
そんな感じで、おれは賊の手から賊の手へ、と何回も物のように渡り歩いた。悲しかったか?そのようなことは一度もない。そのたびに、おれは男を蔑んで笑っていただけだった。
(どんなに強くて勇ましい男でも、誘ったらころりと落ちちまう。男って面白ェな)
どうか殺さないで。この体あげるから。涙を浮かべて肌をさらせば、飢えた男達は皆息を荒くしておれに飛びついてくる。
ああ、何て単純だろう。こういう生活も、悪くないかもしれない。むしろ、面白いとすら思えるようになった。

それからまた暫くして、やっと少しだけ落ち着くことが出来た。生活様式じゃない、ひとつの団に、ということ。それなりに名をあげていた賊共におれの身が渡ると、おれはそいつらと、覚えているだけでも三つの季節を共にした。今までそのように長く居たことはなかったから、こいつらと一生暮らすかなとすら思い始めた頃、ある噂を聞いた。ある夜、おれが行酒をしていると、男たちが一言、二言話を始めた。
「聞いたか? ここから少し行った所、あの城が落ちたとよ」
「へえ、初耳だわ。あすこ、めっぽう強えって噂じゃなかったか? 何処の軍をもってしても相手にもならなかったとか」
「ああ、そういう話だったけどなあ。何でも、あの城の主の重税に耐えかねた農民たちが傭兵を雇ったらしい」
「へえ。それが手助けを。んじゃあ、めちゃくちゃ強い男たちの集団だろうなあ」
「いや、その傭兵がたった二人らしいぜ。それでいて、軽く30人分は働くとか……なのに、まだ二人ともガキだって噂だ」
「ほぅ。噂は恐ろしいもんだわ」
ああ、何せ、その中の一人はこのガキよりも年下だという噂だ。全く、噂ってのは尾ひれがつきまくる。男の一人が、おれの頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。
「頭はどう思いやすか。噂が本当なら、今雇っといて損はねえぜ。あの城が落ちたことでこの辺の統治はバラバラ。その噂の傭兵を引き込んだら、俺たちがこの辺りを治めることも可能やもしれねぇ」
「ああ。農民共が雇ってるって話だが、何せ金はこっちの方が持ってる。金さえちらつかせれば、傭兵なんていちころだぜ」
手下たちから話をふられた頭――目の下の傷が特徴的な――は、真っ赤な杯を傾けると、よし、と膝を打った。
「そうだなあ。おいお前ら、明日っからそいつらを探しに行け。んで、その傭兵たちを雇って来い。お誘いは丁寧にな。何せ、強え傭兵様らしいからな」
「違いねえ」
男たちは野太く笑うと、誰ともなく酌をしていた女達を引き連れ部屋から出て行った。それぞれ出かけたり、女達としっぽり床を共にするのだろう。その姿を見送りながら、おれはその噂をぼんやり考えていた。
おれとそう変わらない年齢で、それでいて、とても強い――傭兵。そもそも傭兵だなんて言葉をその時のおれは聞いたことがなかったが、話の流れから「殺し」をする奴らなんだということはわかった。城を落とすってのはそういうことだ。戦い、人を殺して、そして金を貰う。そうして生活をしているのか――
(何だか、似てんな。おれに)
そう感じたのは何故だったか、わからない。

「何を考えている?」

「え……あ」
意識を戻すと、頭分の男が自分の腰を抱き寄せていた。ごつごつとした手で、おれの腰に手をそえて着物をつかみ、半ば乱暴に、性急に……今にも貪りつきたいという色がありありと見えた。おれが体を捩り近くに寄ると、頭分の男はおれの顔面に息をはきかけ、にやにやとした熊みてえな顔を向けた。漂う酒の臭いに、むせそうになる。何とか顔を顰めるのだけは抑えられた。
「いえ、何でも……」
「ならいいがな。お前は俺のものだからな。逃げ出そうなどとは考えるな」
「勿論です。あの時から、おれはあなたにずっとついていくと誓ったのですから」
自分でも反吐が出そうな言葉。顔がひきつってやいないかと思ったが、どうやら大丈夫だったらしい。男は満足そうに笑うと、おれをその場に押し倒し裾に手を差し入れた。
後はただ、男の胸に体を預ければいいだけ。そうしたら、布団に連れて行かれて……事が終わるのを待てばいい。流されていれば、いつの間にか終わるんだ。あとはただそれを待てばいいだけ。
本当、楽なもんだ。きっとおれはこうやって人生を終えるんだ――。

明日来るという傭兵のことも頭から消えかけ、おれは目を閉じた。