今は昔、平安と呼ばれる世の事。 ある所に、それはそれは美しく身分の高いお姫様がいらっしゃいました。その美しさといったら、花が恥じてその身を萎め、月もその姿を隠すほど。世の男たちは、競ってその姫をわが妻にと争いました。しかし、その姫は誰の妻にもなりませんでした。気位がとても高く、男を好きになどなれなかったのです。男たちが諦め姿を消していく中。一人の男が、またその姫にその心を奪われました。
なんとあなたは美しいのだろう。ぜひ、わたくしめの妻になってほしい。
純粋な思いを文にして、その姫に届けました。もちろん、その姫はいつものように相手にもせず文もかえしませんでした。しかし、その男は諦めませんでした。毎日毎日、そのお姫様に文を出し続けたのです。そう、姫がその文に目を通すのが日々の習慣となってしまったほどに。

「……くだらねぇ」
荷物の整理をしていた煉骨は、素直な感想を口にした。昔自分がまだ幼かった頃読んでいた御伽草子だろうか?きっと、内容など解りもしないで“何となく難しい文字が並んでいる”という背伸びだけで読んでいたのだろうが。今では読む気すらしない。後で燃やしておこう――そう思い本を横に放り投げた時、いきなりずしりとした重圧を首を感じた。
「なーにやってんの、煉骨の兄貴」
蛇骨の作りのよい顔が、肩越しに煉骨に覗き込む。彼がつけているのであろう花のような香の匂いが、ツンと鼻をつく。蛇骨の顔をこれ程近くで見ることは久しぶりだ。だからといって胸が高鳴る等といった馬鹿なことはない。それよりも、呆れが胸を支配する。……相変わらず、この弟分は自分にひっつくのが好きらしい。安心するんだか知らないが、こっちとしては重いだけ。こうなった場合の煉骨の一言目は、必ずといっていいほど同じ言葉だった。今回も例に漏れていない。
「どけ」
「え〜、いっつも煉骨の兄貴それじゃん。少しくらい……」
蛇骨はそういいかけたが、煉骨の激しい睨みにあいしぶしぶ体を離した。抱きついて何が楽しいんだろうか?煉骨にはどうにもそれが理解できなかった。
「大体、お前は抱きつければ誰でもいいんだろうが。俺じゃなくても」
「そんなことねぇって。凶骨や霧骨に抱きついてみろ?そのまま襲われるっての」
その前に凶骨たちが殺されるだろう、と煉骨が溜息をつく。
「だったら、睡骨あたりにでも抱きついてろ」
「おれは煉骨の兄貴だからするんだっつーの!」
蛇骨が煉骨を見つめ、まるで力説するかのように言う。その言葉に妙な感情が過ぎったが、すぐに別の感情が頭を掠った。
「それは、蛮骨の大兄貴がいねぇからだろ?」
「ん? まぁ、それはあるけど……」
蛇骨がぽりぽりと頬を掻く。蛇骨のそれを見て、先ほどよりも大きな息を吐いた。
師走、今の季節。
師も走り回るほどの忙しさだというが、それは兄貴分たちにも当てはまることなのだろうか?蛮骨も忙しさで走り回り、今の雇い主が与えてくれたこの宿にもいないときのほうが多かった。蛮骨が「いいから今日は休め、上司命令だ」と言ってくれたおかげで今日はこうして煉骨はここにいるのだが、それでもあまり忙しいことには変わりない。新年を祝う性質(たち)でもないが、少しでもすっきりして迎えようとこうして身の回りの整理をしている。こうしてたびたび蛇骨が邪魔をしにくるので、能率もあがらないが、ともかくそういうわけで蛇骨が一番に懐いている蛮骨がいないこともあり、彼はこうして煉骨にくっついている。『そういう事実』は煉骨にとって(自覚はなかったが)、何となく不愉快なものだった。
「それに寒いしよ〜暖めてー」
戦場で死神のように恐れられている男は何処へ行ったのだろう。煉骨に鬱陶しいほどくっつくその姿は、まるで猫だ。今にもごろごろとのどを鳴らしそうな――言葉にすれば、それは“可愛い”というものだ。機嫌さえ良ければ本気でこのまま「気まぐれ」で彼の思いに答えても良いくらい。しかしさっきのことを思い出し、その感情はおさえた。
「退け。お前も暇だったら自分の持ち物の整理くらいしろ。どうせ、いらないものの一つ二つあるだろうが」
「新年迎えるくらいで片付けかよー……ん?」
足元に投げ捨てられていた一冊の本に蛇骨が目をつける。あまり興味はなさそうだが、それをひろうとぱらぱらと本を捲った。
「煉骨の兄貴、何これ」
「平安時代の男女の恋愛御伽草子だ。ほしいならやるぞ」
「男女ぉ? いらねえなあ。本読むと頭痛くなるし」
ぽい、とそのまま本を無雑作に捨てる。蛇骨らしい反応に、煉骨は少し口の端を持ちあげた。
「だったら早く何でもいいからしてこい」
「兄貴ってば冷たーい……」
「いい加減怒るぞ」
へいへい、と蛇骨は片付けをする気になったのか、そのまま自分の部屋の方向へ歩いていった。やっと行ったか、と荷物に向きかえる。その多大な荷物(どこでこんなに増えたのか不明なほど)に少しうんざりしながら、煉骨は再び荷の整理を再開した。

ある程度を自分の手持ち袋にいれ、いらないものを箱に入れる。つい最近書いていた自分の武器の強化設計図(勿論完成、成功)を最後に箱に入れると、ふと周りが静かなことに気づいた。普段から騒がしさの中心である蛇骨が傍にいないと、こうも静かなのか。変なことに感心しつつも、妙に苦い感情が過ぎったのもまた事実だった。それを振り払うかのように、いらないものの入った箱を持ち上げると庭へと足を向けた。庭で焼き払ってやる、丁度気分も鬱屈していた所だった。
と、足に何かがぶつかった。
「?」
見ると、さきほど蛇骨が放り投げたあの御伽草子だった。煉骨に蹴られ、頁が捲られている。さきほど煉骨が呼んだ頁より、後の頁のようだ。何となく塵箱を置き、座り込んで続きに目を通した。

――今日文がくれば百日目となる、いわば記念の日。その日も姫は朝目覚めると、女房たちにいつものようにその男から届いているであろう文を見せるよう言いました。しかし、今日はその文が届いていないとのこと。そしてそれはその日に限らず、それから文はぱったりとこなくなったのです。その文を読むのが習慣となっていたお姫様は暫くしてからそのことを不審に思い、従者に男のことを調べさせました。それによると、その男は九十九日目の朝、姫への手紙を書いた後戦地へ赴き、戦死したとのこと。それを聞き、お姫様は初めてその男を自分が愛していたことに気づいたのです。
あぁ、あのお方に優しくしていれば。あのお方の妻になっていれば。
後悔は涙となって落ちていきます。そのお姫様は悲しみのあまり、その後入水されました。これは遠い遠い平安の世の哀しいお話。

そこで御伽草子は終わっていた。最後の頁には、泣き崩れる女の後姿が描かれていた。それにしばし目を奪われる。
優しくしていれば。
女の悲痛な叫び声が間近に聞こえたような気がして、はっとする。煉骨は立ち上がると、箱も持たず廊下を進んだ。

殆ど意識せずに向かった先は、蛇骨の部屋。障子を乱暴に開け放った。そこに蛇骨の姿はない。いたような気配はあるのだが(散らかってはいるし)、姿影がないのだ。障子も閉めず、すぐにそのまま廊下を奥に進む。
「……蛇骨?」
思いつく部屋全てを開け放ち――閉めることさえ忘れていた――徐々に速度を速める足を止めようともしなかった。気がつけば、廊下を折り返し蛇骨の部屋の反対側。もう少しで声を荒げそうになったその瞬間、近くの部屋からなにやら言い争いをする声が聞こえてきた。聞き慣れたそれに、すぐに障子を開ける。そんなに強く開けたのか、驚いたような顔の睡骨と――蛇骨が煉骨を見上げていた。
「……煉骨の兄貴?」
二人共が、きょとんとした目だった。もしかしたら自分はそれ以上だったかもしれないが……。
「どうしたんだ、煉骨の兄貴」
睡骨も何か妙なものでも見たように怪訝そうに煉骨を見た。
「……いや、何でもねぇ」
蛇骨の部屋の奥は睡骨の部屋。そんなことを確認しなかった自分に呆れを感じた。単なる御伽草子に心乱されたことに煉骨は心の中で嘲笑し、そのままその場から立ち去ろうとした。しかしその前に、蛇骨は赤と桃色の着物二枚を手に持ち、半ば呆然としている煉骨の腕にしがみついた。
「それよりさー煉骨の兄貴はどっちの着物がいいと思う!?睡骨の野郎、ちゃんと答えねーんだよ!」
「どっちでも一緒だろうが。阿呆らしくて答える気にもなれねえよ」
睡骨は呆れを全身で表している。腕にしがみつき返答を待つ蛇骨の頭に、煉骨はやんわりと手を添えた。
「赤」
『……え?』
「俺は赤の方がいいと思うぜ」
睡骨も、問いをした蛇骨本人さえもよもや煉骨が真面目に返答するとは思っていなかったのだろう。先程と同じように、目を丸くしている。煉骨は気にしていない。それだけを答えると、蛇骨の腕を緩やかに解き部屋を後にした。障子を閉め終える寸前に、一言残して。
「蛇骨、今日だけなら相手してやる。暇なら後でこい」
障子が閉まると同時に、蛇骨と睡骨は互いの顔を見合わせた。