屋根にあがると、足元の本葺き瓦はごつごつとしていて傷ついた足には動きにくかった。しかしそれは男にも同じことだ。何よりここならば炎の邪魔も入らない。振り返れば、男はやはり蛇骨を追ってきていた。
このままこの男は、ここで殺しておきたい。男は自分の好みではないから、甚振り陵辱するつもりはない。ここまでコケにされた借りは返しておきたかったが、今は仕事を素早くこなし兄貴達に合流するのが最善だと思った。人殺しは好きだが、この変な刀で、傷を負ったままで立ち回る程自分は愚かではない。しかし。
「そろそろ観念しやがれ、山猫が。てめえにゃそれは扱えねえ」
挑発されるように男にそう言われれば、普段から気の長い方ではない蛇骨は自分の気持ちを抑えることが出来なくなる。
「うるせえ! 扱えるか扱えねえかは、おれが決めることだ。大体な、てめえさっきから猫猫うっせえんだよ。おれはな、」
蛇骨は、男を見据えた。曲刀を男に構えて――

「おれァ猫じゃねえ。蛇だ。切り込み隊長、蛇骨様だ!」

振りあげた刀は、やはり蛇骨の想定した道順を描くことはなかった。上、下、左、右……うねりにうねり、その動きは本能に支配された蛇が敵を追うかのように。意思を持ったかのように踊る刃を目で追うことは、難しい。刀が男の右腹をえぐった。それに気持ちが逸った瞬間、刀は蛇骨の左腕をも切り刻む。
「つぅッ!」
柄から手を離しそうになったが、何とか堪えた。
「もうやめやがれ! このままじゃ、てめえも一緒にくたばることになるぜ」
「ふざけんな、誰がてめえと一緒に心中なんざしてやるかってんだよ! 生き残るのはおれだっつーの!」
蛇骨は狂ったように何度も刀を振った。狙いを定めたはずの刀は、やはり反して動きを予測させない。男に傷をつけることもあれば、ただ空を切るだけのこともあった。蛇骨自身に傷をつけることもあったし、傷をつけないこともあった。その場の蛇骨の動きは、誰が見ても「滅茶苦茶な戦い方だ」と感じたであろうものだった。
しかしその中で、蛇骨は確かに手ごたえを感じていた。
(だんだん、わかってきたぜ)
仕込み刀を振るう中で、確実に、自分に傷をつける回数が減ってきていた。
自覚はなかったが、確かに蛇骨は天賦の才があった。この場に彼の兄貴分たちがいれば、その戦い方に呆れながらもしかし感じていたことだろう。「やはりこいつは、天才だ」と。ただし、男も愚かではなかった。軌道は未だ読めないまでも、仕込み刀が届かない位置を把握するまでには至っていた。気がつかないうちに、男と蛇骨の間にはかなりの距離が空いていた。
「てめえ、逃げんじゃねえよ!」
「逃げてんじゃねえ。てめえの戦い方があんまり無茶苦茶なもんだから、距離を取ってんだ」
「それを逃げてるって言うんだっつーの!」
蛇骨が近づけば、男は更に距離を空ける。そうしているうちに、……男には後ろが無くなって来ていた。後ろへ出した足が瓦当にあたると、男はついに立ち止まった。
「へへ、もう逃げられねえよ。そのままばらばらにされな!」
後がないことで、油断をしたわけではなかった。しかし蛇骨の腕の振りよりも先に、男は背を低くして蛇骨の懐へと入りこんでいた。しまった……!蛇骨がそう思った時には、男は蛇骨の右腕を鉤爪で裂いていた。カッとした焼けるような痛みに、思わず蛇骨は刀を落とす。その反動で、蛇骨の身丈以上離れた場所へ、仕込み刀は吹き飛ばされていった。右手項に、三本の爪痕が走った。咄嗟に右腕を引いたから良かったものの、そのまま突っ込んでいれば更に深く肉を抉られていたことだろう。利き腕を傷つけられたことで、蛇骨は顔を顰めた。
「俺も散々てめえに血だらけにされたんだ、恨むなよ」
男が鉄爪についた血を舐める。
「それにしてもてめえの戦い方は何でそんなに酷いんだ? 無茶苦茶すぎるぜ。そんなんでてめえ、よく今まで生きてこられたな」
「……おれァいい男と人殺しが大好きだからな。何がなんでも生き抜いて、他人をぶっ殺して、いい男を嬲らねえと気がすまねえのよ。てめえもそうだろう」
「何だと……」
「てめえもおれたちと同じだ。人を殺したくて殺したくてたまらねえ人間だ。そうして自分の快楽を満たしてんだろ」

「へえ、そうなのか?」

いきなりそんな声が頭上から聞こえたかと思うと、軽い着地音と共に蛇骨の目の前に二つの影が立っていた。月に照らされたその姿は顔こそ見えなかったが、よく見知ったものだった。
「よう蛇骨。派手にやられたなあ」
蛇骨があっと声をあげると、後ろに控えていた方の影が振り向き……煉骨が、「お前という奴は」と強い怒りを含んだ声をあげた。
「何だってそんなに傷だらけになってんだ、馬鹿者が!」
「む、向こうだって傷だらけだよ」
「屁理屈を言うな!」
「ご、ごめんてば……で、でも兄貴たちが来てくれて、よ、よかっ、た」
兄貴分たちと合流したことで気が抜けたのか、それとも今になって失血の激しさに体が気がついたのか、蛇骨は酷い眩暈を感じた。足ががくがくとして、立っていられない。そのまま崩れそうになった蛇骨の肩を支え、「ほら見ろ」と煉骨は吐き捨てた。あいつだって同じ状態なはずなのに、と霞む目で蛇骨はもう一人の兄貴分の延長上にいる男を見た。男の体勢は崩れていない。蛮骨が蛮竜を向けても、男は気丈に爪を構えていた。
「そんな傷でまだ戦うつもりか? 随分頑丈なんだなあお前」
「フン、流石にこんなに傷を負ったのは初めてだがな」
「そうだろ? アイツは俺の弟分だからな。馬鹿だけど強ェんだ」
「馬鹿って、蛮骨の兄貴酷ェよー」と蛇骨が声をあげれば、すかさず煉骨が「喋るな馬鹿」と諌める。
男は先程までとは明らかに表情が変わっていた。昨日蛮骨と対峙した時のことを思い出したのだろう。どうしたものか、考えあぐねている様子にも見えた。
「城主は死んだぜ」
男の様子など気にもとめず蛮骨が無感情に告げると、男は少なからず動揺したようだった。瞳が一瞬、揺らいだのがわかった。それでも構える爪は、変わりない。強い視線は、蛮骨をじっと見据えている。
「というか、皆死んだ。生きてんのはお前だけだ」
唐突に、蛮骨は構えていた大鉾を下ろした。その行動に、男は勿論、煉骨と蛇骨も目を見開ける。
「お前、強いなあ」
それを気にかけることもなく、蛮骨は軽い足取りで男に近寄った。男は動かない。今動いて襲い掛かったとしても、この男には敵わないことをわかっているのだ。それ程までに、武器を構えていなくとも蛮骨には付け入る隙がなかった。
「お前、俺たちと同じなんだってな。人殺しが大好きで大好きで、たまらねえんだろ。それでこの菊池家に味方してた。でもこの家だからこそ味方してたんじゃねえ。手っ取り早く、人殺しが出来るからここにいただけだろ。でも負けちまった」
「……何が言いたい」
「俺ァ強い奴が好きだ。お前、一緒に来ねぇか?」
「ば、蛮骨の兄貴っ!?」
大声をあげた蛇骨に、煉骨は今度は何も言わなかった。むしろ、蛇骨が声をあげなければ煉骨が同じ声をあげていただろう。肩にまわされた煉骨の手が、力がこもったのを感じた。
「仲間はいくらいたっていい。二人より三人、三人より四人。増えれば増えるほど戦場で名をあげられるってもんだ。だが俺たちと並べるくらい強い奴ってのが全くいねえ。だから中々仲間を増やせられなかったんだが……蛇骨をここまで追い詰めた奴ってェのは今までいなかった。そんな奴を、ここで消すのは惜しい」
蛇骨は絶句した。「そんな奴を仲間にするなんて」と文句を言ってやりたい気に駆られたが、言葉にはならなかった。それは蛮骨が言い出したことに結局は逆らえないということをわかっていた故でもあったが、しかし何よりも――この男は強い――それを蛇骨も認めていたのだ。そのことを、蛇骨自身は意識してなかったが。
蛮骨は今や男の目の前にいた。そしてそっと、手を差し出す。

「俺なら、お前の快楽を満たせられる。一緒に行くぞ」

「……フン、勝手なことを……」
男はそう呟くと、爪を下ろした。そして俯き、……その場に崩れ落ちる。その体を、蛮骨は受け止めた。見る見るうちに、蛮骨の袖が赤く染まっていく。その様子を、煉骨と蛇骨はただ見つめていた。兄貴分が何を考えているのか、わからなかった。男を抱えて屋根を降りていった蛮骨を、二人はただ追うしか出来なかった。