(それにしても)
異様なもんだ、と蛇骨は感じていた。ぶらぶらと城内を歩いていたが、すれ違う侍は皆口をへの字に曲げて、むっつりとしている。いかにも硬そうな奴らだ。それに人がいないのを確認して覗いた部屋の床の間には全て、一つずつ業物が飾られていた。刀や弓や槍、どれも一つとして同じものが飾られていない。
何でこんなに武器が豊富なんだよ?こんだけあったら、おれの相棒になれる業物も一つくらいあるんじゃねーの?
そう思いながらそのうちの一つを手にしたら、刃先がびよんと曲がったのには流石の蛇骨も驚いた。
更に、すれ違う女中は誰も、面包で顔がわからない。勿論蛇骨も面包をしている。敵方の人間である自分が姿を悟られないためには都合がいいとは思ったが、誰が誰かなんてわからねえじゃねえか。それでいいのか?蛇骨は他人事ながら、「変なの」と思った。女なんて気にして見たことはないが、今滞在している城でも、今まで訪れた城でもこんなことして面を隠している女はいなかったと思う。

さてそれはともかく、そろそろ情報収集に本腰を入れなくては。
――何処へ行けばいいのだろう。
(ぶらぶらしていれば、いつかいい情報に巡り合えるもんかな?)
何処か呑気に廊下を進んでいた蛇骨の耳に、ぽそぽそとした声が聞こえてきた。
「……?」
今通り過ぎた部屋からだ。障子にはうっすらとした光、影は二つ。自身の影が室内に入り込まない位置に立ち、蛇骨は耳を欹てた。
「……寄せ集めとはいえ、……いい具合だ――」
「この具合ならば勝ち戦も狙える――あの男さえいれば……」
何やらこの戦の実情を知っている者たちの会話のようだ。おれってば運がいいなあ。日頃の行いがいいんだろうな。そう考えながら、蛇骨は中からの声に更に集中した。
「……しかし大丈夫か? ……あの男、我らの完全な味方となったわけでは……」
「心配することはない。あの金瘡医は人質がいる限り、裏切らぬ……警戒心は解いておらぬが…… あの男も、人を殺す場さえ提供してくれれば他はどうでもいいと…… ――」
キンソウイ? 何だっけ、それ――必死に頭を巡らせる。うんうんと唸って、少しして答えが見つかった。
(そうだ、煉骨の兄貴が前に言ってた)
怪我ばかりする蛇骨に、「お前には専属の金瘡医が必要だな」と煉骨が嫌味を言っていたのを思い出した。蛇骨が「それって何だよ」と聞けば、煉骨は更に呆れていた……キンソウイって、医者のことだ。すると菊池家の切り札とは、その金瘡医のことなのだろうか。
それでは「あの男」の方は、誰のことだろう。
(もしかしなくとも、あいつのことかな)
ふっと、昨日対峙したあの男のことが頭を過ぎった。それにしても、「人を殺す場さえ提供してくれればいい」とは。蛮骨の兄貴がよく城主に言っている言葉、そのままじゃねえか。
(……あいつ、本当に)
おれたちに、そっくりだ。

障子から耳を離し、再び廊下を目立たぬように歩き出した蛇骨は彼なりの一つの結論を導き出していた。
医者は人質をとられて、無理矢理菊池家に協力させられている。きっとそいつは、すぐ怪我を治しちまうような凄腕なんだろう。そしてあの男、――きっと蛇骨と組み合ったあの男――は人殺しが大好きな戦慣れしている雇われ傭兵。その二人がいるから、菊池家は強ぇんだ。
(そんじゃあ、まずは)
医者の方を始末する。袖にしのばせた小刀を、蛇骨は確認した。

医者の部屋は、すぐに見つけることが出来た。廊下に蹲っていると、近寄ってきた仲間の女中が「どうしたの」と声をかけてきた。女に触れられているとわかると鳥肌が立ったが、致し方ない。気分の悪さを何とか押し止め、「急に腹が痛くなってきたのです」とだけ伝えた。
「それは大変。すぐに薬を……」
「ああ、そういえば今名医がここにいらっしゃると聞き及びました。でも金瘡医ですものね、腹痛にきくお薬はお持ちではないでしょうね」
「あら、そんなことはありませんよ。あのお医者様はとても優秀で、本草学にも精通していらっしゃるの。むしろそちらの方が本業のようよ……薬草にお詳しくて、どんな病にでも効く特効薬を、忽ちお作りになられるのよ」
やはり凄腕の医者なんだな。蛇骨は面包の中で、口角を持ち上げた。
付き添うと言う女中の申し出をやんわりと断り、部屋の場所だけを教えてもらった。そこの角を曲がって、一番奥の部屋とのことだ。
(随分と地味な場所にいるじゃねえか、切り札さんにしてはよ)
お部屋に行かれるのなら、とついでに頼まれた油と灯芯を手に、蛇骨は医者の部屋へと向かった。急ぎそうになる足と逸る心を抑えるのが難しい。教えられた部屋の前に立つと、「夜分遅く申し訳ございません」と静かに声をかけた。するとすぐに、「どなたですか?」という声が中から返ってくる。
「切燈台の油と灯芯を替えさせて頂きたいのです」
「……どうぞ」
何故か、安堵の息が聞こえたような気がした。男は控えめにそう言うと、何の疑いもなく障子を開けた。顔を出した男は、蛇骨が予想していたよりもずっと若い容姿をしていた。
(医者っていうから髭面で、頑固ジジイみたいなんを想像してたけど)
見た目からすると、きっと蛇骨よりも数歳年上なだけだろう。体つきは中々に筋骨逞しく、しっかりとしている。ただ、それに反して顔は汚れを知らぬといったような――緩やかに曲線を描く眉に、穏やかな栗色の瞳。言うなれば「慈愛に満ちている」、そんな表情だ。医者は皆そんな顔をしているとは思うが、それにしてもあまりに清らかで……いけ好かない。こういうのを汚すのも一つの楽しみと言えるが、あまりに純真無垢。聖者か、赤子のそれに似ている。蛇骨にとっては、どうにも胸糞が悪い顔だった。曲がりなりにも戦場に居る者なれば、一種の生臭さを背負ったような顔なれ姿なれしていると思ったのに――。
(これが菊池家に雇われてるっつー医者か? 中々悪かねえけど、まぁおれの好みじゃねえな)
もう少し姿形でも整えて垢抜ければ女にも持て囃されるほどになるだろうが、些か地味すぎる。
「どうかなさいましたか」
「いえ。では変えさせていただきます。……どうぞ、仕事を続けてくださいな」
部屋を見渡すと、他の部屋と同じように床の間に武器が置いてあるのが見えた。ここの業物も三日月型に曲がっていて、何だか妙な印象を受けた。それからその近くには質素な葛箱。それから先程まで男が向かっていたのであろう机の上には、多数の医学書らしい本。その横に燈台があるのを見つけ、医者の男に軽く会釈をして、進み寄った。医者の男も蛇骨に「ありがとうございます」と小さく告げた後、再び机に向かった。はらり、と何やら本をまくる音が聞こえてくる。蛇骨は男の顔を見た。……その表情は、「気が乗らない」と全身で訴えていた。心ここになしといった様子が、ありありと見てとれる。
「大変ですね」
あまり喋るな、と兄貴分に言われていたのに。気がつけば、蛇骨は医者の男に話しかけていた。
「え……?」
「お医者様、大切な方を……その、人質にとられているとか」
蛇骨の言葉に、医者の男は身を硬くさせた。
「……はい……私の住む村の、子供たちです」
「お医者様のお子ですか?」
「血の繋がりはありません。親と死別した、身寄りの無い子たちです。私が引き取って育てているのですが、その子たちをこの家の兵たちが……」
事実を口にするのも悲愴といった表情で、医者の男は顔を背けた。蛇骨は無感情に続けた。
「戦に協力するよう、言われたのですね?」
「はい……私は戦は嫌いです。けれども、しなければ子供たちは殺されてしまう……結果として、私は戦に加担していることになる。その事実に、居た堪れない気持ちになる……こうなったら死者を出さないようにすることだけが私の出来る事。しかし……」
「お医者様、どうか元気を出してください。子供たちはきっと無事です。戦が早く終わるように、私も祈っております。お互いに、頑張りましょう」
蛇骨の優しい声音に、医者の男はやや頬を赤らめ「はい」と嬉しそうに笑った。
蛇骨は反吐が出そうになった。口から飛び出していった自分の言葉にも、目の前の偽善者にも。この男を滅茶苦茶に切りつけてやりたい、そんな衝動が体中を駆け巡っていった。着物袖に忍ばせた獲物を手探りで確認した。着物ごしに、鋭利なものに触れる。
(こいつを殺しゃ、仕事は完了だ)
時を見て、騒がれないように息の根を止め、ここから抜け出す。大切な大切なお医者様が死んでいることに気づき、菊池家は慌てることだろう。
“警備は万端だった。なのに、こうして殺されるということは…間謀がいるのではないか”。
そうして仲間同士が疑いあっている隙に、おれたちが強襲をかけるってわけだ。疑心が強く、結束も出来ない中じゃ、ろくな戦いも出来まい。菊池家がぼろぼろに崩れていく様が見えるぜ――興奮に、身体が震えた。
(……へまは出来ねえ)
おれを信頼して、このことを任せてくれた蛮骨の兄貴のためにも。こんな医者一人を殺るのにしくじるとは思わないが――このように小ぶりな刀を扱うのが初めてだから、手に汗が滲む。けれども、刀は刀だ。
(安心しろ、一発でしとめてやるよ……抵抗しなけりゃな)
いつの間にやら薬の調合に入っている医者の背中に語りかけるようにそう思う。するりと着物袖の中に手を入れる。……と、鞘から出掛かっていた刀の切っ先に、指が引っかかった。
「いっ……!」
鋭い痛みがちり、と走り、その部分から赤い液体がじわりと滲み出てきた。
(ち、おれらしくねえ。焦っちまった)
「どうしましたか?」
蛇骨の小さな悲鳴を聞きつけ、机に向かっていた男が振り向いた。
「いえ、小刀で少し指を切ってしまって」
「それは大変です。私が見ましょう」
「気になさらないでください。ほんの少しですから」
「そういうわけにはいきません! 小さな傷でも、菌が入れば大事になることがあります。膿みでもしたらいけない」
袋から何かの薬を取り出し、布を持って医者の男は蛇骨に近寄ってきた。随分と“積極的”だ。大人しそうな男だと思ったが、医者としての責任感みたいなものが大きいのだろうか。手当てはいいと身をさげる蛇骨の腕を掴み、半ば乱暴に指先に目を通した。
しかし、その瞬間、男はさっと顔色を変えた。
表情が青白くなり、暑くもないのに額から汗がたらりと滴ったのだ。
「……どうなさいました?」
蛇骨が聞いても、血を一点に見つめたまま、動かない。……否、手先は微かに震えを起こしている。どうしたのかとふと眺めていたが……流れる汗と、震える姿にぴんと何かが浮かぶ。
(……もしかしてこの野郎)
まさかと思うが。
「もしや、……血がお苦手で?」
「……はい。ふがいないながら……医者のくせに血を見ると体が震えてしまうのです」
そりゃあふがいない。血が怖え医者なんて、初めて聞いた。そんなんでよく戦場医としていられるな。
しかし――これは使える。
蛇骨は袖に忍ばせておいた脇差を今や隠す事なく取り出すと、医者に見せ付けるかのように左甲に切っ先を滑らせた。
「! 何を……!?」
じわり、と一本の線を描くように血が染み出してきた。じくじくとした痛みに手が少し痺れたが、目の前の男の表情を見て面白さが勝った。赤々としていて、何の混じり気もない、純粋で、綺麗な色――自分なんか、これを見ると興奮するもんだけど。
「おや、すみません。手を滑らせてしまいました」
何の悪びれもなく、血が流れ落ちる手を医者の目の前にずいと出す。目の前にある青白い顔が、更に白さを増した。そして、すごい量の汗が医者の顔を流れていく。手先だけだった震えが、全身にまわったようだ。何かに怯えるがごとく、医者は自身の体を両手で抱えた。
「うああああ……っ」
頭を抱えると、医者は呻いたまま蛇骨に背を向けてしまった。この様子では、到底蛇骨を診る所じゃないだろう。思いもよらない出来事だ。まさかそちらから隙を見せてくれるとはな――。
(都合がいいぜ。そのままにしていろよ)
ぺろりと刀についた自分の血を舐めると、蹲ってしまった医者の背後に立った。本当は、抵抗は少しくらいしてくれた方が痛めつけがいがあって好みなんだけれども。時間制限があるし、煉骨の兄貴にもなるべく早く帰ってこいといわれたし。……贅沢も言ってられない。
「へへ、お医者様。その性質が仇になったな。けど、そういうの嫌いじゃねえぜ? 酒の肴くらいにゃなる。……死にな!」

やった、と思った。男は自分に背を向けていたし、自分はこの小刀をその背中に突き立てるだけだと確信していたから――それがまさか、腹に後ろ手に肘鉄を食らわされ、……小刀を振り落とされることになろうとは蛇骨は考えもしなかった。腹に加えられた強い衝撃に理解がついていかず、畳の上を滑り後退る。一瞬のあまりの出来事に、受身すらとれなかった。
「っ、うぁッ!」
結った髪に刺さっている簪が、頭への衝撃を更に強めた。意識を手放しそうなくらいの痛みにすぐに立ち上がれず、畳の上から天井を見上げる。涙と砂嵐で視界がぼやける。それらが晴れていくにつれて、目の前で、何かが光っているのが確認出来た。
(……爪?)
そして、同時に、腹の上にずしりとした感覚。
乗りかかられた、何者かに!

「誰だか知らねえが、俺を狙うなんざいい度胸だな」

髪を逆立て、目をつりあげ、筋を立てた鬼のような顔をした男が自分の体に覆い被さっている。そして、その男が手に持っている得物……獰猛な獣の爪を思わせる鋭い刃が、首にしっかりと、されど傷をつけない絶妙さで突き立てられていた。
見た事がある。……感じたことがある、この感覚を!
蛇骨は目を見開けた。