「戦いは終わっちゃいねえ」
戦場から帰ってきた蛮骨は、煉骨と蛇骨にそう言った。休息をとっていた兵たちに混じって詰所で酒を煽っていたのだが、疲れきっている兵たちとは違い三人は戦前と何ら変わりない様子だった。
「もっちろん。むしろあれで終わったって話なら、おれァ一人でも突っ込んでくね」
「この傷で言うな、馬鹿者が」
きつく巻かれた脹脛の包帯を煉骨が叩くと、蛇骨は悲鳴をあげた。
「しかも性懲りも無く刀を折りやがったな? ちったァ丁寧に扱うってことを覚えたらどうだ」
「ち、違うよっ! あれは、おれと組み合った奴が馬鹿力で……」
「ああ、あいつ強そうだったなぁ」
からからと蛮骨が笑うと、煉骨は居住まいを正した。
「蛮骨の兄貴……そいつ、何者だったんだ? 蛇骨は馬鹿だが、こいつとまともにぶつかりあえる相手なんてそういねえ」
「えっ煉骨の兄貴、それっておれの力認めてくれてんの?」
「阿呆」
煉骨が頭を小突いても、蛇骨は緩んだ頬を戻そうともしなかった。
「確かになあ。だが俺はあいつの顔を見てねえんだ。ま、顔を見た所で何処の某だってことなんざわかんねえけどな」
「……そんな奴がいただろうか……」
煉骨は手を顎にあて、考えこんだ。大体の敵方の数や兵種は把握していた。戦前に蛮骨が言っていたように数だけは無駄に多かったが、だが『それだけだった』。所詮烏合の衆だと感じた。だからこそ、蛇骨から目も離していた。警戒すべき人物がいるのなら、危なっかしい弟分にその旨を伝えるつもりだったのだから。
(何かしら向こうには秘密があるんだろう)
今更ながら、大将が戦を渋っていた理由を知る。知っていたのだろう、城主はそのことを。だからすぐに始めず、警戒していたのだ。最終的には部下や自分たちに突っつかれ、開戦したものの……戦で疑惑は確信に変わり、兵を撤退させたというところだろう。それに気がつかなかった自分の浅はかさに、煉骨は下唇を噛んだ。同時に、それが何なのかわからない苛立ちに。
「それよりもよー蛮骨の兄貴、次の戦はいつなんだ? 明日か、その次か?」
「……未定だ」
蛮骨の渋い顔に、蛇骨は憤然と立ち上がった。
「またお預けってことかよ!?」
「そういうことになるな」
「情けねえ……ッ! こうなったらいっそおれたちだけで攻めこもうぜ、おれたちの力なら出来る!!」
蛇骨の怒声に、詰所の空気が一瞬緊張した。兵たちが三人に視線を集める。
「まあ待て蛇骨。それだけじゃねえから、お前をここに呼んだんだ」
「じゃあ何だってんだよ!」
「お前には、手入れをしてもらう」
「! 蛇骨がか?」
「ああ」
煉骨にしては珍しく、驚きを隠さずに立ち上がった。当の本人である蛇骨は蛮骨に詰め寄る姿勢のまま、きょとんとしている。
手入れとは――敵の内部に入り込み、撹乱させる役のことだ。
「そんな謀略行為を、この馬鹿が出来るとは思えませんが。ヘマ踏んで殺されんのがオチだ」
「厳しいなあ」
蛮骨が苦笑する。確かに、戦場で暴れることしか知らない蛇骨には不相応だと考えるのが普通だろう。
「まあ聞け。兵の数では、確かに向こうが上だ。だが、こっちには俺たちがいる。だからといって、それで勢力が拮抗してるって話に何か違和感を覚える。何かしらの切り札を、あっちは持っているんだ」
……俺と同意見だったか。煉骨は蛮骨の言葉に耳を傾けた。
「だがそれが何なのか、はっきり言ってわからねえ。さっき合間見えて、あの滅法強ぇあの男のことかとも思ったが……それだけじゃまだしっくり来ねえんだ。まだ何かあるんだ。敵さんはその秘密をばらしそうにない。だったら、こっちから探ってみようってことになったんだ。それを蛇骨にやってもらいたい。中に何があるのかを探って来てくれ。原因がわかったら、それを潰してこい」
「それを……おれが?」
「俺たちとしちゃあ好きなだけぶっ殺せるから長引いた方が都合がいいんだがな。上からの命令だ、とりあえずは従うしかねえ。人手が足りねえもんだからな、一人で行ってもらう。大丈夫だ、入り込むまで俺も見届けてやる」
「……大丈夫なんですか?」
「ああ」
確信に近い声音に、煉骨は黙った。いや、元より蛮骨の言い出したことに反対したとてそれがひっくり返された試しは無い。彼はいつも「提案」のように自分たちに話をするが、実の所それは「命令」とほぼ同意義だった。戦前蛮骨の作戦を聞かされる蛇骨は「ふーん」と言いながら、とりあえずそれに従う。よく理解していないことは丸解りだ。煉骨だけが「それは無茶だ」と思っている。しかしながら、蛮骨の策が失敗した例はなかった――。だからこそ煉骨は強くは反対しない。
「わかったか、蛇骨? わかったら、これから手筈を説明する」
「ああ、勿論! やってやるぜ!」
「よし。その前に、お前が覚えとく言葉が一つある。“菊池家自慢の立派な松の木に、実が宿るその時まで”……だ」
蛇骨はその言葉に、首を傾げた。おれの頭が悪いからかなと隣の兄貴分を見上げたが、煉骨も「……何ですか、それは?」と訝しげな表情。蛮骨はただ、にやりと笑っただけだった。

暫くして夜が明け、再び暗闇が辺りを覆うのを待って蛇骨は女中の格好に着替えた。大手に赴くまでの廊下で、何人もの兵が蛇骨の姿形に目を見張った。髪を結い上げ俯き加減、項を晒して廊下を進む“百合の花”が振りまく色香は、尋常ではない。まだ大人に成りきっていない体格の少年の姿は女と大差無く、男の目を射止めるのに十分だった。蛮骨と煉骨が両隣を固めていなければ、すぐにでも声をかけられていたに違いない。
「なあ蛮骨の兄貴。こういう格好は嫌いじゃないけどさ、女の振りはごめんだぜ」
蛇骨の言葉を聞きながら、女の格好をするのと、女の振りをすること、何処に違いがあるのだろうと蛮骨は思った。

戦場で堂々と振舞い存在感を示すのも得意だが、元々そこらの足軽よりも軽装である三人は忍びこむことも同じように得意だった。闇に紛れ、夜に生きる動物の生活音に紛れ三人はいとも容易く菊池家の領地に入り込んでいた。表門には篝火が焚かれ、数十人の兵が徘徊している。櫓にも、同じく見張りが立っていることが確認出来た。しかし一人などはふああと大きな欠伸をしていて、緊張感の欠片すらない。自分たちは戦をしたくてピリピリしているというのに、あの態度は何だ。蛇骨は苛立った。
(こっちだ)
煉骨が、蛮骨と、彼に手を引かれる蛇骨を手招きして誘う。搦手門の位置は把握していた。背を低くして茂みの中を進めば、搦手門はすぐに見つけることが出来た。流石にこちらは警備が薄い。三人の兵が見てとれたが、それを目にするが早いか煉骨が宙に手を翳した。蛇骨があ、と思う間もなく警備兵たちの首が三つ、あらぬ方向へと飛んでいった。声の一つも、あがらなかった。
「おおー兄貴すげえ! 早いなあ」
血の滴る鋼糸を手繰り寄せ、煉骨は茂みから出た。それにあわせて蛮骨、蛇骨も低くしていた背を正す。門に寄りかかるようにして倒れている首のない体を、煉骨は蹴飛ばし地面に突っ伏させた。
「蛮骨の兄貴。俺はこの死体を隠しておく。その間に蛇骨を中へ」
「ああ、わかった。頼んだぜ」
蛮骨は蛇骨の手を引いて走った。その途中で、蛇骨はふと周囲を見渡した。随分立派な松の木がたくさん生えてやがるな……そう思った。
本丸へはすぐに辿り着けた。手燭を持った一人の女中が廊下を進み、そして角を曲がっていった。壁に映ったゆらゆらとした炎の光がだんだん小さくなり、そして消えた。それを確認してから、蛮骨は蛇骨を廊下へ上げた。ここに来るまでについた裾の泥をはらってやりながら、蛇骨を見上げる。
「そいじゃあ、頼んだぜ蛇骨。とりあえずは情報収集。何かわかったらすぐに行動だ。くれぐれも怪しまれねえようにな」
「あいさ」
「……俺が一緒に行けりゃあいいんだがな。俺ァそういう変装にゃ向かねえ」
「蛮骨の兄貴、演技とか苦手だもんな。大丈夫だって、ヘマなんかしねえ」
任せてよ、と明るく振舞う弟分に、蛮骨は穏やかに笑みを向けた。
拳を交わした後、二つの影は一瞬、重なり合った。