まるで傀儡師の如く鋼糸を泳がせれば、面白い程簡単に人の首が飛んだ。か細い音のみを立てて、糸は身体に絡みついていく。敵は蜘蛛に捕らわれた蝶よりも早く、絶望を感じる間もなく細切れとなる。絶対的な力の差に、煉骨は昂りを抑えられなかった。このような夜の闇の中では、糸の存在すら感じないことだろう。うっすらとした月の光は細い糸を輝かせることさえしない。鋼糸を使うには、今宵は絶好の条件だと感じていた。
だが、あの弟分はどうだろう。
眼前の兵が全て崩れ落ちるのを確認して、煉骨は周囲に目をやった。蛇骨の姿は見えなかった。蛮骨の姿も見えないが、兵達がぶつかり合う遥か向こうで、断末魔だけが聞こえてきている。きっと蛮骨はあそこにいるのだろう、と煉骨は思った。あれほどまでに重なり合った恐怖の声は、あの兄貴分にしか生み出せない。――蛇骨もあの辺りにいるのだろうか?いつも前へ前へと出て行こうとする“でしゃばり”は健在だ。それは結構なことだが、途中でまた刀が折れちまったらどうするんだか――再び迫ってきた兵達に鋼糸を巻きつけながら、煉骨は舌を打った。

「あっはははァアッ!」
舞い踊るかのように刀を振るい首を飛ばしていく少年に、勇んでいた敵兵も二の足を踏む。
戦い方が無茶苦茶で、軌道が読めないのだ。刀がどのように向かってくるかがわからない。ひゅんひゅんとした風を切る音しか聞こえてこないのに、仲間の首は次々と飛んでいく。もしや、少年は刀を持っていないのではないか?そう感じさせる程だった。しかし少年が剥き出しになった左足を地につけ動きを止めると、その手には刀が確かに握られていた。まるで絵師が丁寧に色づけたかのように、深紅に染まった刀。
死神だ――兵たちは一様に、上擦った声を出した。
「おらぁどうしたよ! 菊池家ってェのは、腑抜け共ばっかりか?!」
再び左足が地から離れた時には、すでに十の死体が束となって足元に転がっていた。すでに逃げ腰だった兵たちは、ついに悲鳴を上げて蛇骨に背を向けた。蜘蛛の子を散らすようにばらばらになっていく兵は、夜霧と土煙の中へと消えていった。すぐに姿が見えなくなる。
(フン、数が多いっつっても所詮寄せ集めだ。少し脅しちまえば、いっつもこうなる)
とはいっても、逃がすつもりは毛頭なかった。刀で風を切るようにして、不明瞭な視界の中を飛ぶように走った。柄を握れば、十分な重み。刀の調子もすこぶる良い。
(やっぱこの刀なら、おれの相棒に成り得るかもしれねえ)
兄貴分たちに早く報告したい。蛇骨は、何処か浮き足立ちながら薄煙の中を進んでいた。

――そのため、突如眼前に現れた影に対しての反応が、一瞬遅れた。

「!」
怯えながら逃走する兵たちを追うのに夢中で、まさか今になって自分に向かってくる奴がいるとは思わなかったのだ。煙の中からこちらへ突き立てられたものを、蛇骨は一瞬鷲の爪だと思った。あともう少し反応が遅ければ、爪は柔らかな蛇骨の首を串刺しにしていただろう。背を思い切り反らせたせいで、体勢が崩れる。瞬時に体を丸め身を回転させることで、地に倒れることだけは避けられたが――今のは、何だった?らしくなく垂れた一滴の汗をぬぐい、蛇骨は先刻目にしたものを反芻するように思い返した。
やはりあれは爪だった。けれども鷲とか、動物のそれではなかった。鈍く輝いていたからだ。自分が今手にしているものと同じ、人が作り出した業物だった!
「まさか避けるたァな」
煙の中から、低い声が聞こえてくる。眼前の煙に、ゆらり影のみが映る。随分と体格の良い、大きななりだ。先程のひょろひょろとした兵士たちとは比べ物にならない体躯。その構えに怯えは皆無、余裕すら感じられた。寄せ集めなんかじゃない、自分たちと同じ匂いを感じる……。
「てめー、おれたちと同じ雇われ兵か?」
「ふん、ってことはてめえもか。道理で動きがいいと思ったらな。しかしまさか、道楽猫が戦場にいるたァ思わなかったぜ」
「んだと、道楽猫って誰のことだよ!」
爪が再び、煙から飛び出してきた。今度は操り手である男も、煙から姿を露にする。立ち込める煙と夜闇、そして激しい立ち回りのせいで男の姿ははっきりと見えなかった。ただ蛇骨は自身を突き立てんとするその鉤爪を、避けるのに精一杯だった。素早さでは、確かに蛇骨の方が勝っていた。力を込めて振り下ろされる一撃を、体を捩って避ける。しかし、けして男が鈍重なわけではなかった。わずかに、蛇骨の動きが早いだけだった。何しろ相手はその体躯の良さにも関わらず、動きに無駄がない。随分と戦慣れしている、蛇骨よりも余程――!
「! うあッ!」
突如、脹脛がジンと痛んだ。土を掘り起こさん勢いで突っ込んできた鉤爪が、蛇骨の足を掠ったのだ。血が雫の如く飛び、再び体勢が崩れる。尻をつきながらそれでも何とか構えた刀に、男の鉤爪が絡んだ。相変わらず顔は見えない。確かな殺気を現す、豪勢な怒髪だけは見えていたが。
「お前」
男が嘲笑った。
「まだそんなに、実戦に出たことがねえな?」
「な……ッ!」
「威勢がいいのは結構なことだがな、己の力量は把握しとかねえと死ぬぜ」
ぎりり、と爪が刀を押した。男が体重を鉤爪にこめている。
――押し倒されそうだ。好みでもねえ野郎に押し倒されるなんて、趣味じゃねえな。
そんな場違いなことをうっすら考えていた。否、それどころか、このままでは刀で自分自身を切り捨ててしまうことにもなりかねない。押し比べでは到底叶いそうもない。遮二無二押し戻そうとする力に共なって、脹脛から血がだくだくと流れ出て行く。
そして―― パリンッ ――不吉な音が聞こえた。
「!!」
まさかそんな、こんな時に!
刃先三寸が、宙を舞いカラカラと渇いた音を立てて地に滑った。今蛇骨が握っているのは、無残に折れた哀れな刀のみ。あるいは、折れた刀が自身に刺さらなかっただけ幸運だったかもしれない。けれども蛇骨は、一気に血の気が引くのを感じた。目の前の男も、目の前で折れた刀に若干驚いたようだった。絡み付いていた鉤爪を、反射的に手元へと戻す。しかしすぐに、にやりと口角があがったのを見た。
「クク、運にも見放されたようだな。 ……死にな!」
今度こそ鉤爪が、蛇骨を錆にせんと牙を剥く。その勢いに、瞳を閉じることすら出来なかった。首に突き刺さる――目の前に迫る爪が、一瞬煌いた。それは薄い月光に照らされたのではない。同じく照り返す鉄に撥ね、反射したのだ――
「!」
再び、キインと乾いた音が耳に届いた。目の前の男の右手甲にはめられていた鉤爪が、正確には繋ぎとめられていた紐が、切れて吹き飛んだ。突如頭上から現れた大鉾が、目の前の男と蛇骨を遮る。それはまるで、蛇骨の盾となるかのように。
「蛮骨の兄貴……ッ」
我ながら、随分と腑抜けた声だと思った。喉がカラカラだ。声を出せただけでも良しとしたい……何とか膝をつき大鉾の影から這い出た。蛮骨は何も言うことなく、ただ大鉾を構える。目の前の男は立ち上がると、苦々しく右手を抑えた。小柄な蛮骨と並ぶと、更にその体格差は際立った。しかしその場にいる三人ともが、解っていた。
この男には――蛮骨の兄貴には――俺には――勝てやしねえ。
今蛮骨から発せられる覇気に立ち向かえる程、男は無謀ではなかった。男は踵を返し、飛んだ鉤爪を掴むと煙の中へと消えていった。蛮骨は追おうとはしなかった。あっと叫んだ蛇骨をやんわりと押し止め、「大丈夫か、蛇骨?」それだけを聞いた。蛇骨が頷くと、「そうか」とだけ言って男が消えていった方向とは逆の方へ歩みを進めた。怒っているのだろうか、背からでは伺いしれない。弁明するのも何だか阻まれて、蛇骨はただ、兄貴分にそっと呟いた。
「……蛮骨の兄貴、あいつの顔見た?」
ぼううう。何処からか、陣貝の音が聞こえてくる。第一陣の争いが、終わる合図だった。