「おー、帰ったか」
がさりと音をたて、茂みから出てきた睡骨と蛇骨を穏やかな笑みで蛮骨が迎える。しかし、蛇骨の明らかに不機嫌な顔と睡骨の疲れきった顔を見て、怪訝そうに首をかしげた。
「おめえら、どうしたんだよ」
無言のうちに、睡骨が左手を掲げる。それは勿論同時に、蛇骨の右腕があげられることでもあった。それを見て、蛮骨が唖然といったような表情をする。
「……新しい遊びか?」
『んな訳ねえだろッッ!!』

再び、野宿の準備をしていた仲間たちに召集がかかる。また蛇骨か、と皆がうんざりした顔で揃ったが、睡骨と蛇骨のつながった腕を見てそれは一変された。平然の顔を装っているが、その中に明らかに笑いが含まれていることは蛇骨でも読んでとれる。
「笑うんじゃねえッ!!」
げし、と近くにいた霧骨が蛇骨の蹴りの犠牲となる。しかし、右腕が自由であればきっと彼は蛇骨刀の餌食となっていたことだろう。蹴りだけですんで、むしろ幸運といえる。腕をひっぱられ、睡骨が少し体を傾けた。蛮骨は興味深そうに蛇骨と睡骨に絡みつく髪を撫でた。
「しっかしよ。その霊ってのは何がしてえんだろうな? おめえらをくっつけて」
「おれが知るかよ! 睡骨、てめえがしっかりしてねえからだぞ!」
「俺はお前の鏡探しに付き合ってやったからこうなったんだ!」
互いに動きにくい姿勢のため、武器を持ち出してまでのケンカとはいかない。しかし体が近づいているだけに、言い争いも激しさが増していた。
「……ちったぁ静かに出来ねえのか」
はあ、と蛮骨が息をつく。
「出来ねえッ! なあ煉骨の兄貴、これどうにか出来ねえのか〜?」
「そう言われてもな。何なら、燃やしてみるか?」
「じょ、冗談っ!」
ぼ、と指先に火を灯した煉骨に、慌てて蛇骨が腕を引っ込めた。クク、と煉骨が笑った。蛮骨の力を持ってしても、その髪はびくともしない。腕にぴったりと絡みつき、掴む所さえないのだ。まるで、本当の腕輪のように。
「こりゃあ俺たちじゃ無理だな。ちょうどこの山を越えたところに寺があるっていうからそこで供養してもらえ」
「ええっ!! じゃあそれまでこの腕は……!」
「ま、おめえらが仲良くなる良い機会だろ」
それに、お前たちにそういうことをして霊も満足しただろう、きっともう出ては来ねえよ。蛮骨がそう宥めても、蛇骨は圧し口を直そうとはしなかった。
「ああ、面白くねえ!! 何でおれがこんな目に……! だからこの山に登るのは嫌だって言ったんだ!」
「ま、厄日だとでも思って諦めろ。それよりおめえ、鏡は見つかったのか?」
「…………あ」

火を囲んでの夕餉の場でも、蛇骨の喚きは途絶えることを知らなかった。(「食べ辛いっつーんだ!」)蛇骨は誰かにくっつくのは好きだが、随時くっつかれるのは嫌いだ。ふらふらと単独行動を好む蛇骨にとって、動き辛いのは苦痛でしかなかった。ましてその相手が、睡骨であれば尚更だ。
(これが蛮骨の兄貴や煉骨の兄貴ならなあ。新しい趣向ってもんで、あっちの方も盛り上がりそうなのに)
そう蛇骨が思ったことは言うまでも無い。
ただ良いことといえば、変わりやすい山の天候――寒さを、接している手の甲が、少しだが――緩和してくれること。冷たい夜風が吹きすさんでも、甲に感じる体温の暖かさ。血も涙もないと言われた(血くらいあるけどさ)おれたちでも、人並みなもの持ってたんだなあって感じる。
それに、新しい発見も多々あった。こんなににもくっついていると、いつも一緒に過ごしていて何もかも知り尽くしたはずの仲間であっても、新しく気づくこともあるものだ。睡骨が食物を食べるのに最低でも20回は噛むこととか(自分はどうだったっけ? もっと少なかった気がする)よく脂汗を流し頭を抱えることとか(医者の人格に苛まれてんのか?)、とにかく、睡骨の癖みたいな――いろいろなこと。結構、知ってるつもりだったけど。
「何見てやがんだ?」
「別に」
塞がった左手のせいでろくに何も出来ない睡骨が、暇そうに蛇骨を見た。勿論、それは蛇骨にとっても同じこと。こうなっては何をするのにも難しいし、第一億劫だった。
「あーあ、この機会を利用するったって睡骨じゃなあ。誘う気も起きねえや」
「お前、せめてそういうことは思うだけにしとけよ」
ふん、と蛇骨は胡坐をかき、左手で頬をついた。すっかり辺りは暗くなり、何処かで狼の遠吠えのようなものが聞こえる。それ以外は風もなく、時々さわさわと茂みが揺れるだけで辺りは静かだった。その静かさを強調するかのように、近くで虫がリンリンと鳴き、背の方ではパチパチと焚き火の燃える音。うとうとと、眠気さえ襲ってきそうだ。
(あぁ、暇だ)
蛮骨と煉骨は蛇骨にはわからない難しいような話をしていたようだし、他の仲間にいたっては何処にいるのかさえ解らない。ふつふつと、静まっていたはずの怒りが再び湧き上がってくる。
ああ、本当に――!
「面白くねえ! 畜生あの女、今度会ったら……」
そう言いかけ向けた視線の先で、蛇骨の動きがピタリと止まった。
「……どうした」
「……あの女だ」
「は?」
「あの女だ! 今そこを通った!!」
蛇骨は愛刀を掴むと、事態がまだ読み込めず呆然とする睡骨を立ち上がらせた。睡骨が先ほど蛇骨の言った方向を見ても、そこにはただ暗闇が広がっているだけ。それこそ、蛇骨の見間違いではないかと思ったのだが――
「睡骨、何突っ立ってやがる! さっさとしねえと逃げちまうじゃねえか!」
蛇骨が繋がっている右腕をぐいと引いた。怒りからか、その顔に恐怖の色は見えない。怖がっていたかと思えば、この勇ましさ。本当にころころと表情を変える奴だ、と睡骨は改めて思った。
「睡骨!」
「解ったから引っ張るな。どうする、大兄貴たちには知らせていくか?」
「知らせたら大兄貴たちもついてくるだろ。これはおれがやりてえんだ!」
その言葉に、睡骨は蛇骨らしい、と思った。
近くに蛮骨たちはいなさそうだ。ゆっくりと歩き出し茂みを一つ超えると、二人は忍び歩きでその方向へと向かった。

進んでも進んでも、女の姿……影さえ、見当たらなかった。無闇矢鱈に進むのも、何だか気がひける。さっきの野営地に戻れなかったらそれこそ、最悪の事態というものだ。蛇骨も何を考えているんだか、さっきから額に手を当てきょろきょろと辺りを眺めるだけ。
「おい、本当にこっちなのか?」
「あってる! くそ、お前がのろのろしてっからだぞ」
相変わらずの蛇骨の言い分に言葉すら失ってしまう。蛇骨は何かを考え出したのか、あっちだ、と指をさすと右腕をぐいと引っ張った。
「待て、本当にあってるんだろうな」
「あってるっつってんだろ! 何だか寒ぃ気配がすんだよ」
「気配ねえ」
「あ! てめえ、今馬鹿にしただ――」
言い終わる前に、ぞくりと蛇骨が体を一震えさせた。それを不審に思った睡骨が声をかける前に、蛇骨は地を蹴り走り出した。自分より余程体格の違う睡骨さえ引っ張るかのような、凄い勢いで。
「おい、何だ!」
「いた、今そこに! あの女が!」
その気迫に押され、睡骨も知らず内に走り出していた。完全に把握したのか、蛇骨は無我夢中で走っている。腕をひかれるような感覚で、睡骨もその後を追った。
しかし、何だか妙だ。“何か”を感じる。
何か、とは言い難いが、何だか……誘い込まれているかのような、そんな感覚が。
「蛇骨、止まれ!」
「何だよ、今止まったらまた姿見失っちまうだろ!」
「そうじゃねえ、奇妙な感じがする! だから一旦……!」
いきなり、視界が割れた。茂みが消え、目の先にはキラキラとした星々――闇夜が広がっていた。
「蛇骨!」
気がついた時にはもう遅かった。目の前には、ごつりとした岩肌を晒し、まるで何もかもを飲み込まんとしているかのような――崖。蛇骨はがくりと足を踏み外し、驚愕の色を宿した眸で睡骨を見下ろしていた。
たった一瞬の出来事。
腕に引かれ、睡骨自身も体が引っ張られるようにして真下へ引きずり下ろされるのを感じていた。