「俺は時々医者の人格になる。あいつは俺だが、“俺”じゃない」
隊に入りたての頃、睡骨がそう言っていた。その時は睡骨の性質のことなど毛頭興味なく、ふぅんと軽く受け流した。しかし、これまでに睡骨がもう一つの人格に変わるのを実際この目で見ると。いつも比較的(鬱陶しいくらい)傍にいる姿が、ふとした時に傍にいないというのは奇妙なモンだ。特に怪我をした時に、蛇骨はそれを感じていた。

「おい霧骨、睡骨何処だよ」
怪しそうに部屋の隅で何やらやっている小男の頭を小突く。彼が振り向き様に、隙間から毒らしい奇妙な色をした液体が入った小鉢が二つ見えた。
「睡骨か? 奥の部屋にいると思うが……あいつ今これだったぜ」
と、くるりと頭の横で円を描くように指を回す。それだけで、睡骨が今医者の人格に戻っていることが無言のうちに解った。
「ったく、めんどくせーなあ」
「あればっかは仕方ねえな。それより睡骨に何の用なんだ?」
「不注意で足切っちまったから薬の一つでもつけてもらおうと思ってたんだよ」
と、普段からおおっぴろげにされている左足を前に出した。左足の膝小僧から寸下に、確かに刃物できったような横長の傷が出来上がっていた。血はもう乾きかけだが、治療するにこしたことはない。霧骨が「おお」と声をあげ、傷――否、蛇骨の足をまじまじと見つめる。
「げへへへ、相変わらず綺麗な足してんな。何なら俺が治療薬作ってやってもいいぜ」
「断る。おめえにゃ何飲まされるかわかったもんじゃねえからな」
奥の部屋へ続く襖を開ける。背で、ち、と霧骨が小さく舌打ちしたのが聞こえた。

襖をがらりと開けると、これまた部屋の隅に震える背が見えた。
当初医者の方の睡骨は、人格が戻るのを感じるといつも蛮骨たちの元から逃げだした。しかし、そのたびに蛮骨の命令で蛇骨たちが迎えに行かされる。そうしたことを何回も繰り返すうち、医者自身も逃げても無駄、と悟ったのか、人格が戻ると逃げずに仲間と距離をとるようになった。そして、部屋の隅で震えている。逃げ出さなくなったのは進歩だとは思うが、大の男がああやっていると何だか奇妙なものを感じる。ましてや、それがいつも共に戦っている男であれば。情けねぇ、と心の中で悪態づいた。
「おいお医者さまよ」
自分の呼びかけに、その背はびくりと反応した。蛇骨が面倒くさそうにそちらへ歩み寄り、ぐいとこちらを向かせる。睡骨は脅えた目で蛇骨を見た。まるで化け物でも見ているかのような――始めて会った時から、それは全然変わっていない。
「な、何のようだ。放っておいてくれ」
「いつもだったらそうすっけどな。まだ戦はねえし。けど今はそうはいかねえの」
そうして、ぐいと足を見せる。睡骨の目が更に脅えたように震えた。顔も青白くなってきている。
「おめえ血が苦手だったっけ?けどそんなに流れてねえし大丈夫だろ。何か治療してくれよ」
蛇骨の言葉にも何も反応せず、睡骨はただ脅えた目で傷を見ている。放心してしまっているのだろうか。全く使えねぇ、と思いながら、蛇骨は睡骨の体を乱暴に揺すった。
「おい睡骨、聞いてんのかよ!」
「そ、その傷は戦で傷ついたものではないのか?」
「は? ……ま、似たよーなもんだけど」
「な、ならそれは自業自得だ。少しでも、戦で傷ついていっている者たちの身にもなれ」
おどおどと、睡骨はそう言った。その言葉に、カチンと蛇骨が口を曲げる。そして、掴んでいた服の袖を離すと乱暴に突き飛ばした。その勢いで、睡骨がばたりと後ろへ転がる。
「ざけんじゃねえよ!おめえはいっつもいっつも耳障りなことばっかり言いやがる……いいから治療しやがれ」
完全に脅しの域に入っている口調だった。下から自分を覗きこむ、脅えた表情。それを向けられているかと思うと、蛇骨は小さな快感を覚えた。そして完全に諦めたように、睡骨が腰に下げていた袋から一つ二つと薬草を取り出す。包帯はあるか、と小さな声で蛇骨に聞いた。

未だ震えている睡骨の指先を見ながら、蛇骨は少しの面白さを感じていた。くるくると包帯を巻いていくその指が震えているのは、多分恐怖からだけではないだろう。まるで女のように綺麗な蛇骨のその足に、戸惑っているかのような色が表情に見える。ほんっとうに純粋なやつだな、と心の中で笑った。本当にあの睡骨と同一人物なのだろうか、といつも思う。
ふと、先程睡骨が言った言葉を思い出した。
「あのさあ、言っとくけどな、お前だって人殺してんだからな」
「あれは私であって、私ではない」
「んなこったあ知らねえよ。おれにとってはどっちも睡骨なんだからよ。理屈はねえ」
仲間と認めるのはまだ抵抗があるが、それにしたってどっちも睡骨。それに。
「こんな戦の世の中にさ、戦が嫌い、怖いなんて甘えんだよ」
「戦も嫌いだが、強い力に溺れ戦を起こす者たちも嫌いだ。弱い立場の者達を泣かせる結果でしかない」
「ってことはおれも嫌いってことかよ」
「……当たり前だ」
一瞬躊躇ったようだが、睡骨ははっきりとそう言った。へえ、と面白そうに蛇骨が笑う。
「だったらよ、さっき薬草塗ったときに毒草でも塗っときゃ良かったじゃねえか。そしたら薬草の区別なんてつかねえおれはコロリと死んじまう」
「……そんなこと、出来るはずがない」
「それがおめえの甘さだよ。お医者さま」
医者である、というくだらないことに縛られ、憎いはずの敵が殺せない。蛇骨はそんな睡骨の甘さが嫌いだった。同時にそんなところがからかいがいがあって面白いわけでもあるけど。
「じゃあよ。誰かがおめえを殺そうとしたらどーするわけ?」
「それは……」
「おめえはきっと命乞いをするんだろうなあ。それか、何でこんなことをするんだとか何とかほざくんだろ」
「…………」
「くだらねえな。……力がなけりゃ、黙って震えてりゃいいさ。力を持ったら、復讐すればいい。世の中ってそんなもんじゃねえ?」
睡骨は額から脂汗を流していた。混乱しているのか、はたまた蛇骨に恐れをなしたか――それはわからなかったが。止まった睡骨の手を早く、と苛立ちながら催促し、蛇骨は睡骨の顔を見つめた。強い者が勝ち、弱い者はそれに服従する。(蛇骨にとっては)そんな“簡単”な世の理でさえ、この男にはわからないのだろうか――いつもの睡骨とも大抵いろんな意見で衝突しあうが、“この”睡骨とはそれ以上だ。
(ま、どっちにしたっておれとこいつが意見があうことはねえな)
一生。否、きっと死んでからだって。
睡骨の何かを感じ取ったような指先を見つめ、蛇骨はそんなことを思った。

「これでいいだろう」
「お、ちゃんとできるじゃねえか」
きれいに巻かれた包帯を見て、蛇骨が満足そうに言う。確かめるように足を伸ばしたりひいたりする蛇骨に背を向け、睡骨はまた先ほどと同じように壁を向いた。
「これでいいだろう。……さっさと、どこへでも行ってくれ」
蛇骨を邪険にするように、背を向けたまま言う。
とことん、おれに背を向ける気かよ。……気にくわねえな。
にやりと、蛇骨は悪戯を思いついたような子供っぽい表情を浮かべた。

「そういうわけにはいかねえよなあ。礼はちゃんとしねえと」

びくりと震えた睡骨の肩に、するりと慣れた手つきで腕を滑らせる。右手でまず睡骨の顎を撫でると、両手でそのまま顎を持ち睡骨をこちらに向けさせた。未だおびえきったような目の中の自分を見、蛇骨は満足そうに笑った。そして、睡骨が抵抗する間もなくその口を塞ぐ。
「んんっ」
大きく目を見開け、そして苦しそうに睡骨は目を細めた。こいつ、多分“こういうこと”をするのも始めてだろうな。そう思うと、なんだか奇妙な優越感にひたった。純なものを汚すというのは、なんと面白いことであろうか。角度を変え、しつこく貪るように。普通ここまですれば、男なれば必ずといっていいほどいきり立ち、蛇骨に飛びついてくるものだが……睡骨は固まった儘だった。目を硬くつむったまま、口の端からたまに小さく声を漏らすだけで微動だにしない。
(もちっと、遊んでやってもいいか?)
着物の袖から伺うように、指をさし入れる。それが逞しい肌に触れると、睡骨は目を再び見開けた。ビク、と一回だけ大きな震えを起こし、そして少しだけ、顔の角度を変えた。おや、と蛇骨がそれに反応し目を細める。すると、次の瞬間には蛇骨は大きな圧力によって後ろへと吹き飛ばされていた。……両の手のひらで、思い切り体を押された。何とか受身を取り、転がるのは避けた。片ひざを突きふうと一つ息をつくと、睡骨を見やる。先ほどまで髪を頭上でたばねていた男は、蛇骨の目の前で髪を思い切り逆立て、目つきを幾分鋭くさせていた。羅刹、と噂される所以ともいえるその表情。蛇骨にとってはよく見知った“睡骨”が、着物の袖で口元を押さえながら蛇骨をにらみつけていた。
「……何やってんだ、おめえは」
「やっと戻ったのかよ」
蛇骨もぺろり、と口元に舌を滑らせる。そして、遊びが終わったとでも言わんばかりにつまらなさそうな表情をした。
「全く、おめえのその性質ってのはめんどくせえもんだよなあ」
「あんだけ遊んどいてよく言えるもんだ」
グキグキと、肩に手をあててもみほぐすように睡骨が首を鳴らす。そして、忌々しそうに己の手を見つめた。
「……医者の野郎、また俺を押しのけて外へ出てきやがった……くそ、鬱陶しい」
ぐ、と拳を強く握り締める。手のひらから血が出るのではないかというほどに、その勢いは強く。蛇骨は本当にわからないように、頭を小さくひねる。
「おめえらって本当にわっかんねえよな。確かに医者の野郎は腑抜けてるけど……おれはどっちも確かに睡骨だと思うけどな」
「…………」
「ま、また医者に戻ったらおれがなおしてやるから安心しろよ」
蛇骨の、いつもの“まるで睡骨の兄貴分にでもなったかのような”言い方だった。それに、睡骨も別段何も文句も言わずただ黙りこくる。
部屋から出ようとした時、蛇骨はふと睡骨に尋ねた。
「睡骨、おめえ戦は好きだろ」
「……当たり前だ」
「そっか。ならいいや」

同一人物でもこうも意見が違うと、面白いものがあるぜ。――けれど。
医者の睡骨と、七人隊の睡骨。
同一人物でありながら、顔も性格も何もかもが違うような相反した“二人”。けれど、どこか奥底では、やはり同一人物であるが故の似通ったところがあるのだ。それがどこであるか、は言葉にしがたいが。

せいぜいどっちの睡骨もからかってやろう、と蛇骨は軽くなった足で畳を蹴り出した。