「終わったぜ銀骨」
最後に腹の蓋を閉じれば終了。優しくそれが閉じられるのを感じると、銀骨はゆっくりと目を開けた。
「調子はどうだ、銀骨?何処か具合が悪いところはないか」
「ぎし、……大丈夫だ」
そうか、と煉骨が作業台から飛び降りる。ひらりと軽い身のこなしで地に降り立つと、煉骨は再度銀骨を見上げた。
「今度は背に鋸状の刃を搭載しておいた。これで遠隔からでも攻撃が出来る……扱い方はわかるか?」
「ぎし、多分出来る」
「まあ、今度の戦で実践すればいい」
ふわり、と髪を撫でられた。煉骨の炯眼からは想像も出来ないような、人間らしい暖かな体温が感じられれた。それが嬉しく目を細めると、何処からか禍々しい邪気のような……そんな念を感じた。疑念を持ち横に体を向ける。すると、ぷくりと頬を大きく膨らませ縁側に座っていた蛇骨と、目が合った。
「蛇骨?」
「あーあ、いいよなぁ銀骨は。煉骨の兄貴に構ってもらえてよ」
「構う?」
「改造されてる間、ずうっと煉骨の兄貴を独り占めできるじゃん。いいなー。おれも改造されよっかな」
「馬鹿言うんじゃねえ。おめえなんぞ改造しようもんなら痛い痛い叫びやがるだろが。敵わねえよ」
煉骨が蛇骨を一蹴する。冗談だよぅ、と蛇骨が情けない声をあげた。

羨ましい。
蛇骨は俺にそう言った。
だんだんと煉骨の手足となっていく自分を、“羨ましい”と。

「でもよー、ほんっとうに銀骨、どんどんすげえ体になってくよな」
「ああ。前は花火みたいにドーンと火薬飛ばして、鎖みてえなん飛ばして。今度は鋸刃だって?」
「どんどん人間離れしていくな」
夕飯時。いつの間にか、仲間たちの話の話題は自分になっていた。特に大兄貴と蛇骨は何処かはしゃぐように喋って自分の体をじろじろと見ている。
「ホント、見れば見るほどすげえな」
「銀骨、てめえは嫌じゃねえのかー? どんどん自分の体が変わってって」
「ぎし、別に」
「煉骨の才能もすげえけど、俺だったら死にそうになっても改造されてまでは生き延びたくねえかなぁ」
「……俺は大兄貴を改造しようとは思いませんよ」
もくもくと一人黙って飯を食っていた煉骨がぼそりと言った。そうだよなぁ、と蛮骨が笑う。
「俺は、銀骨だからこそ改造して生かしているんです」
「えー、煉骨の兄貴、そこまで銀骨に惚れこんでんの? おれはー?」
「阿呆か。……銀骨は俺を頼りにしている。改造されてでも生きたいという意思があるからやってるんです」
そう言われ、ふと銀骨は昔のことを思い出した。
煉骨と初めて会ったときのこと。
銀骨は元々、仲間内では少しは名の知れていた武士だった。戦いが好きで、乱暴者と言われて……しかし実力者。戦に出れば、手柄をとらなかったことはないくらいだった。しかし、それを恨まれて。敵や、あまつさえ仲間たちからも売られて罠にはまった――大怪我を追うような、そんな罠に。何とか殺されることだけは免れたものの、瀕死状態であったことは変わりない。このまま死ぬのだろうか、とうつろに考え野道に転がり込んでいた時……大きな十字傷を見たのだった。
“何やってんだ、おまえ?”
幼い顔立ちに、されど意志の強い瞳。自分よりも明らかに年下であろう少年が覗き込んでいた。
“……わからないか。死に掛けてるんだ”
“そりゃわかるけど。ひでえ傷だなあ……なのにまだ生きてるってすげえなぁ”
何処かきらきらとした好奇心に似た目で見られた。そしてしばらくすると、少年がいないことに気づいたのか誰かが名を呼び、近くに寄ってくる音が聞こえた。
“蛮骨の兄貴。何を”
“見てみろよ煉骨。こいつこんなに酷ェ傷なのにまだ生きてやがるぜ。しかも喋ってる”
“……生命力が強いのですね。それが何か”
“気に入った。おいお前、俺たちについてくる気はねえか”
“……?”
“おめえが生きたいってんなら、協力するってんだよ。生かしてやる。……どうだ?”
にやりとした顔を向けられた。生かしてやる――その言葉は、その場しのぎの軽い約束には聞こえないほど強く自分の耳に聞こえて。
気がついたら、自分は深く頷いていた。

だからといって、まさか自分がこんなに酷い傷から生還するとは思わなかった。次に気がついたら、自分は何処に苦痛を感じることもなくなっていた。あれほど酷かった傷が、一つもない。吹っ飛んでいた左腕には何か義手のようなものがはめこまれていたが、そこに少しも違和感も感じなかった。自身の変化に半ば呆然としていると、先ほどの剃髪の青年が目の前に立っていた。
“これ、あんたが?”
“こういうことは睡骨の方が専門だとは思うが、あまりに酷かったからな。機械を扱うのは得意だが、人を改造したのは初めてだ”
“すごいな、あんた”
“お前の生命力もたいしたもんだ。お前は強くなる。怪我をしてもただじゃ起きねえ典型だ。きっと……更に強くなれるぜ”
そこで俺は煉骨の兄貴のことを知り、傭兵隊……後に言われる、七人隊……の、一員となった。

俺は大いに暴れるのが好きだ。
そして、それで怪我をすれば煉骨がすぐに治してくれる。しかも、強くしてくれる。俺が煉骨のことを「兄貴」と呼んで尊敬するのに、そう時間はかからなかった。

“ぎし、兄貴はすげえな。俺は兄貴を尊敬してる”
“そうか”
“俺、兄貴のためなら何だってできるぜ。きっと、俺が今ここに生きてるのも兄貴のためだ”
“…………”
“煉骨の兄貴。俺のこと、自分の矛や盾だと思ってくれていいぜ。煉骨の兄貴のためなら、死んだって構わねえ”
“……そんなこと、冗談でも言うんじゃねえ”
“兄貴。俺は……煉骨の兄貴に改造されてから、この体、自分のものだなんて思ったことはねえ”

俺は煉骨の兄貴の矛。……血をあびるのは、俺だけでいい。
俺は煉骨の兄貴の盾。……傷を負うのは、俺だけでいい。

あんたはただ気高いままでいればいい。全て、俺が背負うから。
あんたを傷つけようものは、俺が片付ける。

「ここをもっと強化しようと思うが、どうだ?」
「ぎし、わかった。さっそく改造してくれ」

「今度は、俺と同じ鋼の糸を入れようと思うが、どうだ?」
「いい。入れてくれ」

「……銀骨。もう少し、自分の意見を言ったらどうなんだ」
「煉骨の兄貴の意見が、俺の意見だ」

煉骨の手によってどんどん変わっていく自分を、怖いと思ったことはない。むしろ、嬉しいと思う。どんどん強くなれて、しかも自分を助けてくれた煉骨の力になれる。改造が終わった後、自分が調子がいい、というと煉骨はそうか、と少しだけだけど笑ってくれる。それを見るのが、嬉しい。
煉骨が改造してくれた武器のおかげで敵が倒せたりすると、煉骨はよくやった、と褒めてくれる。……それを見るのが、何より嬉しい。

自分のために笑ってくれるのが、嬉しい。

「でもよ。そーやって強くなってくのもいいけどさ。いつか、それが命取りになるんじゃねえか?」
酒を飲んでいる蛮骨に付き合っていると、ふとそんなことを言われた。酔っているのか普通の状態なのか、その表情からは全く伺えなかったけれど。
「うーんとさ……蛇骨を見てみろよ。あいつはあの俊敏さをうりにして、着物の下の小さな胸当て以外、鎧を着込んでない。出来るだけ体を軽くしておかねえといけねえからな。けど、そのために守りが置き去りになってる」
「ぎし?」
「なんつーかさぁ。何かを得ようとすれば、何かを犠牲にしなきゃいけねえんだよな。二兎追う者は一兎も得ず、っていうしな」
ときたま蛮骨がいうことは難しくて、あまり(というか、全く)英知でない自分には理解できない。こういう会話は煉骨の兄貴との方が向いてるんじゃないか。そう蛮骨に言うと、そうだけどな、と言った。
「あいつは自尊心が高いから、お前に言ってんだよ」
「?」
「お前たちはいつも一緒に戦ってるから。いつか、“それ”が命取りになる時がきたら、煉骨を庇ってやってほしいんだ」
「……」
「勿論、敵の攻撃からだけじゃねえぜ。煉骨のことを思ってるお前なら、意味、わかんだろ」
自分は深く頷いた。

矛は、使い主を力づけるためにある。
盾は、使い主を守るためにある。
自分にとっては、当たり前のことだから。

「俺は煉骨の兄貴を守るぜ」
「俺はどこぞのお姫様か。弟分に守られるようになっちゃおしまいだ」
自分は苦笑した。どこぞのお姫様よりも心の奥は、もっぱら弱いくせに。誰よりも、そういうところは弱いくせに。
いつも気丈に振舞うあんたの弱い所を、いつも傍にいる自分は気づいてる。痛いほどにわかってるから。
「俺は、煉骨の兄貴を守る。そのためなら死も厭わねえ」
「また、そういうことを」
「俺がいつか何処かで壊れても、煉骨の兄貴のせいじゃねえよ。扱い主を守れなかった、矛のせいだから」
「銀骨?」
「だから、微塵も悲しみなんて感じなくていい。煉骨の兄貴なら、多分そういうことはねえだろうけど」
「……当たり前だ」
そういって自分から顔を背けたのは何故か。その意味さえもわかってしまうことが嬉しくて、少し寂しい。自分の腰あたりを何やらしていた煉骨は、今度は膝あたりに移動して何やらしていた。火花が、バチ、と散る。今や機械じかけになってしまった自分の体でも、煉骨の手の温度だけは感じられる。自分に触れるその体温は、暖かいから。
「ったく、死だの何だの……最近のおめえは考えすぎだ。ちったぁ蛇骨みてえに呑気でいてみろ」
「煉骨の兄貴。もしさ。もし、俺が死んだら、悲しまなくてなんていい。けれど、……ただ」
ただ――。その後の言葉は、機械音に阻まれて、煉骨には聞こえなかったかもしれない。喋り終わった後も、煉骨は無表情だった。その後は、何も会話はなかったから。
俺が死んだら。
そんなことはほど遠いことだと思っていた。何せ自分たちは強いし、そこらの武士に負けるなんて微塵も思ってもなかったから。罠にはめられて討ち首にされた時も、最期に思ったことは、煉骨は悲しんでいないだろうか、ということだった。悲しんでほしいんじゃない。悲しんでほしくない。
戦場でいつもしているあの鋭い目で、役に立たない奴だ、と言ってくれれば良かった。ただ、悲しみだけは持ってほしくなかった。
生まれ変わった後もそれは同じ。
犬夜叉とかいうめっぽう強い奴の相手になって、ついに胴体から下もなくなったけれど、後悔はしていない。この身にあるのは、嬉しさだけ。
どんどん強くなれる。どんどん、煉骨の兄貴の力になれる。どれだけ死にそうになっても、その気持ちは少しも変わってなんかいない。
死にそうになっても――変わらない。


切り裂かれ宙に飛んだ赤い飛沫に、一瞬時がとまった。
自分の上にのっていた煉骨は、いつの前にか地に伏せていて。苦しそうに身を震わせながら、肩を抑えていた。
ドクドクと、冷たい大地に暖かい血が流れていく。続いて、ダン、と自分に乗る音と重み。すぐ近くに、鋼牙とかいった名の妖怪が立っていた。
例えようのない怒り。血が逆流するほどの、とはこのことを言うのだろう。体が震え、あまりの激しさに目の前がぐらぐらとゆれる。自分でも意識しないうちに、忘れかけていた言葉を発していた。
ただ夢中だった。怒りに身を任せていた、といっても過言じゃない。そしてまた何処かで、ああ、死ぬかもな、とも冷静に考えていた。地面に叩きつけられて麻痺しかけている耳に、煉骨の震えた声が届いた。

煉骨の震える声を聞きたくはなかった。
自分が知っている煉骨の声は、いつも自信に満ちた声だから。
煉骨の恐怖の混じった眸を見たくはなかった。
自分が知っている煉骨の眸は、いつも自信に満ちた眸だったから。

それを自分に見せ付けた鋼牙。どうしようもない怒りが、溢れてきた。

殺させない。
自分の身を呈してでも、彼だけは。

意識が消えかかる瞬間に思った。
彼は大丈夫だろうか?自分は彼を救えただろうか?彼はまたあの強い姿を取り戻してくれるだろうか?
ふと、煉骨が走り出す姿が見えた気がして、安心した。
後はただ、そのまま進んでくれればいい。
口にしていなかったが、煉骨が何を思っていたかなんて、自分にはわかる。それがたとえ煉骨の身を滅ぼそうとしていることであっても、自分は止めはしない。俺は、否定しない。思うままに、進んでくれればいい……。そこに感情はいらない。
悲しまなくていい。悲しまれると、自分が死んだ意味がない。ただ。

煉骨の兄貴。もしさ。
もし、俺が死んだら、悲しまなくてなんていい。
けれど、ただ――。


「は、は……」
傷を抑えながらやっとここまで歩いてきた。ふらふらと、足元がおぼつかない。傷からの出血はとまったが、ふと目をおろすと、肩には爪傷が三本、胸に向かって流れるようについていた。
「くそ、あの野郎……ッ!」
鋭い爪を持つ妖怪の男が、目にはっきりと浮かぶ。この俺が、あんな妖狼なんかに!募る怒りの思いを拳として握り締めると、ズキ、と小さな痛みが手のひらにおこった。
ああ、そうだ。
ゆっくりと手を広げる。小さな欠片が手の上で、淡く、桃色に輝いていた。銀骨の四魂の欠片。どこか控えめに輝くそれに、ふと思い出した。昔、生前――銀骨が自分に言ったこと。

煉骨の兄貴。もしさ。
もし、俺が死んだら、悲しまなくてなんていい。
けれど、ただ――。

その先の言葉は聞こえていた。ただ、自分が反応しなかっただけ。出来なかっただけ。銀骨は“聞こえてなかったのか、別にいいけど”といったような表情だったから、その場はそれで終わったけれど。
「……そんなこと。冗談でも言うんじゃねえよ」
否、冗談じゃないから余計性質が悪い。彼の直向な思いが、自分にはとても痛かった。ずっと反応できないでいた。今になっては、反応したってもう遅い。
彼はもう、いない。

自分のことを引きずる必要なんてない。自分のせいだと責める必要なんてない。悲しむ必要はない。
ただ、ただ。

「……銀骨……」

ただ、自分が死んだら。
……一粒でいい。たった一粒でいいから、涙を流してほしい。

役目を終えた矛に、一粒の潤いを。
役目を終えた盾に、一粒の慰めを。

「……一粒なんて器用なこと出来るか、馬鹿」

自分の気持ちなど露知らず綺麗に輝き続ける欠片を、そっと目元に近づける。冷たい無機物が、何処かほのかに暖かく感じられた。