「それは…」
…や、”それ”じゃない。…そいつ、か。
いつものように神楽が蛇骨と一緒にいると、久しぶりに屋敷に顔を出した奈落が何かを腕に抱えていた。
傍には神無、そして腕には”それ”…赤子。…何て不似合いなものか。
「あんたが子供なんてねぇ。何処の女に孕ませたんだい」
そんな冗談も奈落に通用するわけもなく。神楽の言葉は完璧に無視され、奈落はそのまま蛇骨の前に立った。
いつもの通り意識が朦朧としている彼は、ゆっくりと奈落に顔をあげ…不思議そうな目を向ける。
…赤子という存在も忘れてしまっているのか。
「これを抱け」
「……」
そうとだけ言って、奈落は子供を蛇骨の腕に抱かせた。
あたしは何が何だかさっぱりわからない。あれは何だい、と傍に立っていた神無に尋ねた。
「あれは、奈落自身…白霊山の中で、生み出した」
そういえば、あいつ中で何やらやってやがったな…あれをつくってたのか。
それにしても、あれが奈落自身、とはね…どうりで、子供にしては生意気な目つきをしてるもんだ。
「にしても、何のために作ったんだ?」
「犬夜叉を倒すため…かごめを利用するため。…でも、まだ作り出したばかりで、“力”がうまくいくかわからない…蛇骨で、試している」
「力?」
「人の心の闇を見つけ出す…それを利用する」
相変わらず神無は淡々とだけ言う。文になっていないから解釈するのに一苦労だが、何となく理解は出来た。
心の奥底に眠ってる人間の闇を探し出して、それを利用して操るってわけか。どんな人間にも、…聖者でも心の闇は必ずある。
…丁度、先の白心上人がそうだったように。
成る程…奈落がやりそうなことだぜ。
蛇骨が心で何考えてるか見つけ出したいのか。…そういえば、最近蛇骨は昔の記憶の端々を思い出すことがたまにあるから。
完全に思い出すのを恐れてるってわけね。
だが…今の蛇骨は記憶を無くしてただ奈落に操られているだけの、いわば廃人だ。闇なんか見付かるのか…?
神楽が見守る中で、蛇骨の腕の中で大人しく抱かれていた赤子がゆっくりと目を開いた。
「…どうだ」
「見える…見える。闇だらけだ」
赤子はさも面白そうににやりと笑い、奈落を上目遣いで見上げた。
「普通の人間が抱える以上の闇を抱えている。悲しみ、虚無感、懊悩…こやつ、顔には出しておらんが心の中では悩み悶えておるわ」
「それは…」
「くく、まるで今にも泣き叫びたいようよ。心が引き裂かれそうじゃ。解放してくれって叫んでおる…」
正直、それを聞いて驚いた。
表情には全く出ていないのに…こいつ、そんなことを考えてたのか。…やはり、無理矢理感情を奈落に殺されてるだけなのか…
神楽が今見ていても、蛇骨は感情のない瞳で畳を見つめているようにしか見えなかった。
「おや。無闇に叫んでおるわけではなさそうだな…誰か特定の人物に助けの声を叫んでおる」
「………」
「わかっておると思うがお前じゃないぞ」
あたしにその人物の特定はつかなかったけど、奈落には何かしら検討がついているようだ。
顔がみるみるうちに嫉妬で歪んでいく。…珍しいもんだ。
「だがそれを表に出す気はないようだな…奈落、お前が押し込んでおるのか?」
「……」
「しかし、ここまでであれば…何かきっかけがあればすぐにでもこいつはお前から離れていくぞ。記憶が戻るのにそう時間はかからんだろう」
その言葉を聞いた途端、奈落はその赤子を蛇骨から奪うようにして引き離した。
これ以上言葉を聴いていたくなかったのか、それはどうか知らねえけど。
「神楽」
「何だよ」
「こいつはお前に任せる。白霊山を出たらかごめを誘き出してこれを使って利用しろ」
「何であたしに。あんたはどうすんだよ」
「お前が暇そうだからだ。蛇骨はしばらく一人にしておく…お前に何か余計なことを言われてもかなわん」
神楽の質問には一切答えず、それだけを一方的に告げると奈落は姿を消した。神無もいつの間にか姿を消している。
全く、あたしは”子守り”なんて柄じゃねえんだけど。
ふと見ると。…蛇骨はまた朦朧とした瞳で、何処か違う方向を見ていた。
「くく…闇に染まった心か。わしはこういう者は好きだぞ」
「あんたにまで好かれたらこいつは壊れちまうよ。…もっとも、もう壊れてるが。…蛇骨」
ふらり、とその瞳が神楽の方を向いた。
「ここから逃げたいって思ってんのか?泣き叫びてえのか?」
「…わからない…」
そう言った蛇骨は無感情なはずなのに。
…何処か、今にでも泣きだしそうにさえ見えた。