「大兄貴、これはどうしますか」
「あ〜…返事適当に書いておくっといてくれ」
「大兄貴、またあの大名から来いって要請が来てますぜ」
「またかよ…受ける気はねえって言っといてくれ」

夜も近づいてきた夕刻時。
普通だったらそろそろ仕事はやめて夕飯でも、という時間なのに。
首領である蛮骨は忙しさがつきることはなく、息をつく暇もなかった。
傭兵にとって忙しいということはむしろ喜ぶべきものなのだろうが、こう忙しいとどうもその感謝の念さえ失いかけてしまうものだ。
毎日毎日、自分の下に届くのは「戦いに参加してほしい」という要請の文。
女からの文はすべて蛇骨が捨ててしまうため届くことはないが、こうも色気のない文ばかりだと時に嫌気がさしてくる。
(そんなことを口にすれば煉骨に怒られるのは百も承知だが)
人を殺せということしか自分に要求しない大名たち。…当たり前のことだけれど。

あー…逃げ出したい。

そう思ったことは何度かあった。




「…お疲れ、蛮骨の兄貴」

やっとそれから解放されたのは、もう闇も深くなったときだった。
髪を解き肩に流した蛇骨が、疲れ顔で部屋に入ってきた蛮骨を迎える。

「やっと終わったぜ…んっとに戦ってのは何処ででも起こるもんだな」
「乱世だからなあ。だからこそ、おれたちも生きてけるんだけど」
「それはそうなんだけどな…こう毎日毎日忙しいとなあ…心も廃れるってもんだ」

荒んで荒んで…
最も、自分たちは荒んで心を鬼にしないといけないのだけれど。
敵に情などうつす心は必要ない。情がうつってしまえば、それは傭兵業の終わりを示唆するのだから。
戦場では、何があっても冷淡でいろ。
蛮骨がいつも弟分たちに言う言葉だった。

「…でもよー。そんなんばっかしてるとさ。…何だか自分が人間じゃなくなってく気もするぜ」
「?」
「一回さ。戦場から帰って風呂場で顔洗ってたらよ…その水に反射した自分の顔が鬼に見えたことがあった」
「…」

怖かった。
戦場では鬼と呼ばれてもいい。でも、仲間たちと一緒にいるこの時だけは、少しでも人間らしくありたい。
…愚かな願い。

「荒んで荒んで、…いつかお前をこの手にかけるんじゃないかって」
「…大丈夫さあ」

にへら、と蛇骨が笑う。
蛮骨の元にひざをつきながら近寄ると、蛮骨の体をぎゅっと抱きしめた。

「おれの前だけならさ、…弱み、見せてもいいから。“人間らしく”したっていいぜ」
「蛇骨…」

そっと、蛇骨の背に腕をまわしその体を抱きしめる。
その体は細く、とても戦場で“死神”と噂される男とは思えなかった。
そして、風呂に入ったのだろう、仄かに鼻を擽る匂いがした。自分を興奮させる血の臭いじゃなく、自分を安心させる匂い。
肩の力が自然に抜け、何かが溶けていくような感じがした。

「大兄貴…?」
「…」

頬を伝う一つの滴。
蛮骨は黙りこくり、蛇骨をひとしきり強く抱きしめ続けた。


明日になれば、また“鬼になれ”との文を目にする。
それまでは、―――この僅かな間だけは、人間らしく。…弱く、いさせてほしい。

それが例え、きみの前だけであっても。