「七人隊切り込み隊長っ!」

砂塵の舞う殺伐とした戦場で、場違いなほどの甲高い声があがる。戦いにあけくれていた侍たちは驚いたように、一斉に声がした方に顔を向けた。
「ぎゃああっ!」
そこに見えたのは――まるで水が涼用に振りまかれているかのように、空を切る血飛沫。戦場で血を見るのにも慣れているはずの侍たちでさえ、その多量の飛沫には一瞬顔を顰めた。そして、その血が全て地に落ちた時。一人の男がじゃり、と砂を切り姿を現した。
「へへ、いいねえ」
異様な風体、戯れ者……そんな言葉が似合う男だった。
興奮しているのか、目はうっとりと恍惚にそまり、口は弧を描いている。そして、そのまま目の前に転がる敵軍の侍の死体を、すらりと伸びたその足でぐりりと踏みつけた。自分の一太刀によって死した者にまるで敬意をはらわないその行為。しかしその場に居合わせた侍たちは、彼に対する遺憾よりもまず恐ろしさが体中を駆け巡っていくのを感じた。
「おぅ、蛇骨。あんまはしゃぐんじゃねえぞ」
「大兄貴も早く来いよー。いっくらおれが切り込み隊長だからってのんびりしてたら、全員おれが殺っちまうぜ?」
「んなこと許すかよ」
蛇骨、と呼ばれた男の後ろから姿を現したのは、これまた異様な服装に身を包んだ者たち。一見僧かとも思えるようだが、まるで慈悲を感じさせない鋭い眼差しの男に、まるで地獄絵図の羅刹を思わせるような男、白装束に身を包んだ小柄な男など……戦場でなくても目立つであろう者たちだ。そして、首領面をしているのは、見た目、一番幼い少年。戦場だというのに、彼らはその場で会話を始めていた。桃色の着物を着た“切り込み隊長”を、皆で何やら言っているらしい。『単純』だの『馬鹿は放っておいても走る』だの、からかいの言葉を蛇骨に向けている。―――敵は目前だというのに。
「敵の援軍が来たぞー!」
仲間の一人が叫んだ。しかし、七人の男たちはそれに反応するでもなく、会話をのうのうと続けている。
「ちぇ、大兄貴も煉骨の兄貴もひどいぜ」
「精進しろ。……それにな、蛇骨。てめえの戦い方、無駄が多い」
諭すような言葉を向けた後、少年はいきなり走り出した。……肩に背負っていた、大きな鉾を手に持ちかえて。迫っていた敵軍に、孤軍向かっていく。
「! 止まれ――」
向こうの指揮官の男が自軍に指示を飛ばす前に。
少年の鉾がぐるりと宙で円を描き―――軍の過半数の侍たちの体をばらばらにしていった。それは勿論、馬も例外ではない。綺麗に首を全員切り落とされている。侍達の顔は皆等しく、死のことを考える余裕さえなく絶命していった表情が張り付いている。
「た、退却――!」
敵軍の後ろに居た補佐官が、慌てて退却命令を下す。踵をかえし、何とか難を逃れた生き残りの者たちは少年に背を向け、走り去っていった。
「ん? 逃げやがった。ま、いいか。どうせ皆殺しだ」
恐ろしい――そんな思いが脳内を支配し、ごくりと唾を飲む。血の気も一瞬にしてさっとひいた。それをまるで関係ないといったように、当の本人である少年はそれだけ呟くと、傍に控える“切り込み隊長”の方に顔を向けた。
「こんな感じに、急所を狙え。それか首を切り落とす。蛇骨、てめえわざと生殺しにして楽しんでるだろ」
「だってその方が苦しむ顔が見れていいじゃん。ま、不細工な顔の奴は一瞬で殺すけど」
「馬鹿野郎。俺らは忙しいんだ、弱い者虐めをしてる時間なんざねえ」
三つ編みを揺らし、他の五人にも向きかえる。準備万端、といったような男たちに、すっと指を差し向けた。指さす方向には、無数の旗。今回の敵軍勢だ。
「おめえら、『あんだけの雑魚』何てことねえな? すぐに後を追って全員殺るぞ。もうすぐ雨が降る、急げ」
その中の一人が、蛮骨と同じように『雨』という言葉に顔を顰めたようにも見えた。そして……事実、空は曇ってきていた。まるで、男たちの恐ろしさに身を震わせているかのように。

「はは、蛮骨、そして七人隊の面々よ、いい仕事をしてくれたわ!」
上機嫌な様子で、大きな金の扇子で扇いでいる城主。勿論、今回“彼ら”を雇った張本人だ。
「とりあえず、今回派遣されてたであろう分だけの軍は皆殺しにした。指揮官の首も持って帰ってきてあるから、後で確認してくれ」
「良い良い。全くそなたたちは頼りになる!」
蛮骨が(首を包んであるのだろう)赤く滲んだ布袋を差し出しても、城主は高笑いするだけで見もしなかった。
「うちの軍の者たちも中々に屈強な者たちだと思っていたが、まだまだそなたたちには及ばぬな! 次の戦でも頼むぞ、蛮骨」
それに答えることなく、ただ蛮骨は軽く頷いた。背中からは、彼らの存在を羨望と尊敬、そして妬みの視線を感じる。しかしそれ以上に、蛮骨には気になることがあった。
「さて、蛮骨。勝利の祝いの宴を始めようではないか」
「待ってくれ。……睡骨、蛇骨は何処に行った」
城主の言葉を遮ることは本来無礼だ。しかし、蛮骨は全くそんなことを気にせず、もしくは蛇骨の方が大事だとでも言いたそうに睡骨の方を向いた。向けられた睡骨は、困ったように肩を竦める。
「さぁ。ここへ来いとは言っておいたが」
戦が終わった後、ふらふらと何処かへ歩いていったぜ。睡骨がそう告げると、蛮骨はふらりと視線を外に移した。雲があつくなり、今にも泣き出しそうだ。こんな天気の日に、よく蛇骨は“変わる”。
「探してくるか?」
「ああ……」
睡骨の申し出に、蛮骨は生返事を返した。

本殿から離れ、その隣の簡素な屋敷。そこに自分たちに割り当てられた部屋があるのだが、そこに蛇骨はいた。畳の上に足を投げ出し、倒れこんでいる。
「蛇骨」
声をかけても反応なし。眠っているのだろうか?もし、声をかけたのが蛮骨か煉骨だったら即座に反応しているのだろうけど。苛立ちを表すように大股で歩み寄り、蛇骨の肩を掴む。小さな肩は、睡骨の強い力によって簡単に引っ張り出された。
「おい、てめえ人の話聞いてやがったか。戦が終わったら本殿に来いと言っておいただ……」
振り向いた蛇骨の目に、一瞬どきりとした。死んだ魚のような目――肩を掴んだまま、睡骨は一瞬その場に硬直してしまった。
「――睡骨かよ」
「……ああ」
ぽつりと零した蛇骨の言葉に、はっと我にかえる。当の蛇骨はそんな睡骨にかまうでもなく、のっそりと立ち上がった。
「そーいや呼ばれてたっけ……大兄貴、酒残しておいてくれてっかな……」
ぶつぶつとつぶやきながら部屋を後にする。部屋に一人残された睡骨は、その後姿を呆然と見送っていた。蛇骨とはまだ一季節を共に過ごした程度の付き合いで、蛮骨と煉骨に比べれば勿論、それはまだまだ浅い。たまに蛇骨の行動が理解できない時があるのだが、今もまたそうだった。さっきまで切り込み隊長、などと戯言をほざいていたのに、あの目はなんだ?

本格的に梅雨に入ったのかもしれない。それからずっと、暫く雨の日や愚図ついた天気の日は続いた。そしてそれに比例するかのように、蛇骨も何となく表情が変わっていった。「雨なんてかったるい」と言いながら騒ぐ日があれば、死体のように黙り込んで畳の上に寝転がっている日もある。今日は、後者の方だった。蛮骨の隣に寝転がり、先ほどから一言も言葉を発さない。雨の日は仕事もないし、外に出るのも億劫なので仲間たちも同様に部屋に残っているのだが。普段煩い蛇骨が黙っていると、何となく全体も静かな雰囲気になってくる。
「蛇骨、怠いのか?」
畳の上に顔を伏せているので、蛇骨の表情は伺えない。もしかしたら寝ているのかもしれないが、蛮骨は小さく声をかけた。
「……そう見える?」
「ああ。全身で表してるな」
蛮骨が笑う。蛇骨はそっか、と小さく呟いた。
「うん……怠い」
「そうか。俺今からちょっと街に出っけど、行くか?」
ふるふる、と蛇骨が横に首を振る。
「じゃあ何か欲しいもん、あるか?」
「……前の宴で大兄貴に酒注いでた女が着てたみてえな……綺麗な着物」
前の宴、というのは初戦の勝利を祝ったあの宴だ。蛮骨にはやはり上等な女が隣につき、常時酒を注いでいた(蛇骨は勿論文句たらたらだった)のだが、その中でとても見事な着物を着た女がいた。きっと城下の御職女郎か何かだったのだろうが、それには目を見張るものがあった。蛇骨辺りなら気に入りそうだな、と思ったものだったが、やはりその通りだったみたいだ。しかしあれはかなりの上物。値も相当張るものだろう。蛮骨……むしろ煉骨が許すだろうか、と思ったが。
「ああ、あれか。わかった、見てきてやる」
蛮骨の承諾の言葉に、煉骨は口を挟まなかった。意外だ、と思ったが……そういえば、最近煉骨は蛇骨に関して何も言わない。いつもなら、「ちゃんとしろ」などと矢を飛ばすように叱り付けるというのに。部屋を出て行こうとした蛮骨が、ふと思い出したかのように部屋の中の蛇骨に再度視線を向けた。
「蛇骨、それで明日の戦出られるか?」
蛇骨はそのままの姿で、肯定も否定もしなかった。……緩慢に、少し体を動かしただけで。部屋の外で、しとしとと霧雨が続いていた。

「ええい、蛮骨、まだ出陣できぬのか!」
金の扇子をばたばたと仰ぎ、いらついたように城主が言う。丸々と太ったその体に、不釣合いな輝く鎧。何となく玩具のように見え、世辞にも似合っているとは思えねえな。蛮骨は場違いにそんなことを思いながら、城主に向きかえると軽く膝をついた。
「仲間の一人が朝から行方が知れねぇもんで」
「もう敵は迫っているのだぞ!急がぬか!」
軽く会釈をする。そして、後ろに控えていた煉骨に体をむけた。
「蛇骨は見付かったのか?」
「今睡骨が街に聞きに行っている」
煉骨がそう言うが早いか、再び背の方で城主の怒声が飛んできた。仕方ない、今回は蛇骨抜きで行くか――蛮骨がそう思いかけた瞬間、睡骨が飛ぶような勢いで走ってきた。
「大兄貴、蛇骨らしき影が森に消えていくのを見た奴がいる」
「森?」
森、というのはこの街の外れにある鬱蒼とした木の群のことである。この街の守り神の祠があるとかで神聖な場所とされているのだが、木が狭しなく並んでいるため昼間であってもとても暗い。そのため誰も近寄らず、その上その守り神さまがうろついているとかいう怪奇な噂もたっている。蛇骨がそれを目当てに面白半分に行ったとは彼らは考えなかった。
「何しに行ったんだ蛇骨の野郎は」
「さぁ。話によると何だかよろついた足つきだったとか」
「またアレか」
煉骨がふぅと息をつくと、蛮骨はぴくりと反応し――二人の間を通り抜け、いきなり走り出した。
「大兄貴?!」
それを追うように睡骨も走る。残された煉骨は冷静にそれを見送り、やれやれと肩をすくめた。たまったものではないのは城主である。
「蛮骨! ええいそなたでもいい!どうするのだ、戦の方は!」
「蛇骨が帰ってからじゃないと大兄貴は帰ってこないでしょう。……ま、戦の時間に間に合うことは保証できませんね」
「何だと! ええい蛮骨も……雇われた身としての責任感はないのか! たかが仲間一人にこだわって……!」
たかが一人。その言葉を城主が吐いた途端、煉骨を始め、後ろについていた面々全員が、ぴくりと小さく反応した。明らかに今、彼らの空気が変わった。後ろに控えていた部下たちはそう感じたのだが、城主は頭に血が上っているせいで気がつかなかったようだ。
「……傭兵としての自尊心はあるだろうが、責任感はないだろうよ。特にあんたらみたいな、そんなこと誓っても何の得のねえ野郎に対しては」
「何!?」
煉骨が怒り狂っている城主を嘲るかのように横目で見、は、と笑う。
「戦にはどっちにしても間に合いそうにねえ。……俺たちはこの辺でおさらばさせてもらうよ」
「なっ……お、おいそなた……」
「俺たちはあんたたちみたいに時間に追われてねえ。一人の子供のために立ち止まる時間だってたっくさんある。だがな、あんたらみてえなんにその時間を使うのはおしいな」
ぐぐ、と城主が怒りで顔を真っ赤にする。煉骨はそれを見る前に踵を返し、行くぞ、と銀骨の肩を叩いた。
「ぎし、大兄貴に怒られないか」
「大兄貴が先に走り出したのだからないと思うが……まぁその時はその時だな」
彼にしては珍しく、煉骨が苦笑する。それを覗き込み、銀骨はぎし、と言葉を続けた。
「俺が煉骨の兄貴の立場でも、多分ああ言った。だから、その時は俺も一緒に怒られる」
「……もの好きな」
煉骨は少し驚いたような顔をした後、表情を戻し視線の先にある木の大群を見据えた。

視界に森を捉え、ただ足を早ませる。何を急いているのかは自分でもわからなかった。
「蛇骨の野郎……何だって、面倒なことばっかりしやがんだ」
街を突っ走っている最中、睡骨が独り言のように言った。前を走っていた蛮骨はそれを聞き流さそうとしたが、ふと口が開いた。
「多分、ガキが泣き喚くのと同じだ。あれでも、自己表現の一つなんだろうよ。あいつは、母親とか誰かに我侭を言ったりする期間がなかっただろうから」
そのことはちらちら聞いたことがある。酒が入った時、彼自身が辛い過去だった、と面白半分に語っているのを何回か聞いたことがあるが……その言葉に違わず、辛いものだったらしい。
「だからさ、あいつは出来る限り俺たちが甘やかしてやんないといけねえんだ。それと、教育も。全然、あいつはまだガキだからな」
そこまで話すと、森の入り口まで到達した。そして睡骨の方を振り返る。
「ここだな。おし、睡骨帰っていいぜ」
「いや、俺も行くつもりだったんだが」
「何か知んねえけどおめえがいると蛇骨は肩に力が入るからな……悪ぃけど帰っててくれねえか」
その言葉は的を得ていた。いつからかは知らないが、蛇骨はやたら自分を目の敵にし、張り合ってくる。蛮骨がその場面を見ていつも苦笑しているほどだ。“仲間同士、少しは仲良く出来ねえのか?”と。
「……解った」
睡骨は何か言いたそうだったが、それを飲み込んだようだった。蛮骨は彼が言わんとしたことは何となく理解できたのだが、それを保障できるかわからなかったのであえて言及しなかった。

想像はしていたが、やはり暗い。そして頭上からは鳥か何かの禍々しい鳴き声が聞こえる。鳥の言葉なんて自分にわかるはずもないが、何故かそれらの鳴き声は自分をどうやって喰らおうと鳥たちが仲間と話し合っている様に聞こえてならなかった。物騒な妖怪がいきなり出て来たっておかしくない。
(我侭っつても……まぁ程があるかな)
妖怪に襲われたって別になんとも思わないが、物騒であることには変わりない。さっさと蛇骨を回収して帰るに限る――戦にはどうせ間に合わない、煉骨がうまく対処しているだろう。そんなことをぶつくさ考えていると、ふと足元に足跡が見えた。ぬかるみにうっすらと…まだ新しい。――蛇骨のだろうか。それに沿って進むと、ふっと視界があけた。
「……蛇骨」
探していた人物が切り株にもたれるように座り込んでいた。地面は乾ききっていて、頭上からは梢から漏れた数筋の日の光。それはまるで蛇骨にむかって差し込んでいるようだった。
「おい?」
「……大兄貴がいる……まぁた変な夢」
「夢じゃねえっつんだ。見ろちゃんと」
ぺちりと頬を叩かれて、空ろな目で蛇骨が蛮骨を捉える。
「大兄貴……?何でいるんだよ」
「そりゃこっちの台詞だ。何してんだおめえ」
蛮骨の言葉に少し厳しさが含まれているのを感じ取ったのか、蛇骨はその空ろな目であたりをきょろきょろと見渡した。
「……おれ、またやっちまったんだ」
自覚はあるらしい。蛇骨はこんな体調の時、いきなり姿を消して仲間を驚かせたことが何回かある。それが何故かわからないが…蛮骨もきつくそれを注意しないので、その癖は今も続いてるのである。
「ったく、前っから聞こうとは思ってたが――何でいきなり姿を消すんだ、お前は」
今回の戦も間に合わなかったぞ。声には出さなかったが、蛮骨の表情はそう言いたげだった。
「何でだろ……よくわかんねえけど。不安なんかも」
「不安? お前が?」
おおよそ、蛇骨に似合わない言葉だ。
「自分でも思う。けど……何か、雨の日って憂鬱になるんだ。昔を思い出して。煉骨の兄貴に教えてもらった言葉でさ、『天耕雨読』って言葉があるんだけど。他の言葉はさっぱり忘れちまったけど、これだけは覚えてる」
蛇足ながら、意味を並べる。天耕雨読……天気のいい日は畑を耕し仕事に精を出し、雨の日は読書に勤しむ……勤勉な人物に似合う言葉である。
「おれを『所持してた』奴らは天気の日は盗み、雨の日は遊び……って感じだったからさ。言ってみりゃ、『天盗雨遊』……みたいな?」
何となく言いたいことはわかった。ようするに、雨の日に蛇骨はそいつらに――。それを思い出して、蛇骨は体調を崩すわけか。
「だから雨の日はよく逃げたんだよ。そのったびに奴らに見付かって殴られたけど……そん時のがまだしみついてんのかも」
「それと不安と何の関係が」
蛮骨の問いかけに、蛇骨が少し目を伏せて自嘲気味に小さく笑った。
「雨の日に抜け出して……んで、誰かが助けに来てくれんのを待ってんのかもしんねえわ。我ながら馬鹿みてぇ」
奴らじゃない、誰かもっと安心の出来る人物が探しに来てくれるのを。そのときの習性が未だにこの身にしみついて離れられない。精一杯甘やかして蛇骨の昔を清算してやろうと思っていたが、足りなかったのか。蛮骨の頭にちらりと怒りが過ぎった。
「……じゃあ、これっからもお前は雨の日になったら抜け出す可能性があるってことか」
少し間をおいて、蛇骨はこくり、と控えめに肯いた。
――と、蛮骨がいきなり背の大鉾に手をやり、蛇骨の細腕を引いた。何事かと目を上げる蛇骨の瞳にうつったのは……左手で蛇骨の腕を掴み、右手で大鉾を構える蛮骨の姿。間違いなく、自分の腕を傷つけようとしている。腕を切り落とされる?ひやりとした汗が滲んだ。
「大兄貴っ!? ……つぅっ!」
そう声を上げるが早いか、ちりりとした痛みが腕に走る。何をするんだ、と抗議の声をあげようとした瞬間……目に飛び込んできたものは、同じく傷をつくった――勿論今、自分と同じ時――蛮骨の腕。
蛮骨の考えが理解できず、呆然としていると。彼は薄く笑い、その傷ついた双方の腕をぴたりとくっつけた。じわり、としたなんとも言えない感覚がその部分に起き……何となく、彼の血が自分の中に入り込んでくるのを感じた。勿論、そんなこと経験したこともないから憶測であるが。
「……何してんのさ、大兄貴?」
「俺の血を流して込んでる」
「そりゃあ見ればわかるっつーの」
無理矢理蛮骨を引き離し、傷ついた部分を見る。傷ついた上に、幾滴かの血が付着しているのが確認できた。蛮骨はというと、蛇骨の腕を覗き込んで……どこか照れくさそうに頭を掻いた。
「俺は煉骨みてえに頭がよくねえ。お前を不安から解放できる、うまい言葉が見付からなかったもんだから。俺の血を混ぜて俺のもんだってことがもっと明白になれば、いもしないお前の『所持者』の影から逃れられんじゃねえかと思ってな」
蛮骨は言葉で何やらと誰かを言いくるめたりするのは苦手だった。……どちらかというと言葉より行動派だ。そして蛇骨は、そんな蛮骨の行動が嫌いではなかった。
「まじないみたい」
蛇骨が口の端を僅かにあげて笑った。傷ついた部分に舌を這わせ、ぺろりとそれを舐め取る。
「それに探して欲しいんだったらいつだって探してやるよ。……そんくらい」
「……ありがと」

不安に駆られて何処かに逃げ出してしまうのなら、追いかけてやる。いつも傍にいる、なんていう約束はしない―――多分、出来やしない。こういう身の上だし、いつ自分たちに何が訪れるかわからない…もしかしたら、離れてしまうかもしれない。ただ、追いかけて探してやろう。何処までも探して、その腕を掴んでやる。
だから、安心して不安がればいい。

傷を舐め取った舌に、ざらりとした血の後味が残った。