最近朝から雨、という気候が多かった。朝はしとしと、時間がたつに従い激しさを増すというものが特に。戦いや、外で走り回っている方が性分にあっている七人隊にこれ程退屈なことはない。少し前に見つけた、鄙びた庵に待機しているより他なかった。
睡骨もまた例に漏れずその内の一人だった。医者となっている時ならまだしも、『戦いの人格』となっている 今はとにかくすることがなかった。武器を磨いたり、煉骨が朝書いていた書簡を見たり。雨というものは、人の機嫌を兎角悪くする。長く降り続く雨に、誰に苛立ちをぶつけるでもなく舌打ちをした。
部屋の縁側の柱に凭れ、外の音に耳を澄ます。更に強くなってきたのであろう、雨が地面を浩然と流れる音がした。笠は持って行っただろうが、このままだと朝出掛けて行った兄貴分たちは濡れて帰ってくるだろう。布を用意しておくか、と考えたその時、 ばたばたと近くの廊下を走る――かなり雨に濡れている――音がした。その音だけで、そういえばあいつも朝に出掛けて行ったのだった、と気付く。近づいてくるな、そんな心の声がまるで届いているかのようにその足音の主は睡骨のいる部屋にどんどん近づいてきた。びしゃびしゃ、という音と、何か文句の様な言葉を喚いている。
(にしても、相変わらず囂しい奴だ)
障子に影がうつり、刹那とそれが大きく開け放たれた。
「……むかつく!」
ぽたぽたと雫を滴らせ、髪は乱れて いる。暗緑色の垂れた前髪の間から、蛇骨は眉を吊り上げていた。
「第一声がそれか」
何故この男はここまで濡れているのだろう。まぁ、答えは簡単だが。
「てめえ、笠を持って出かけなかったな?」
「あ? すぐにやむと思ったんだよ」
予想していたとはいえ、実際に口からその言葉が出ると呆れるしかなかった。何処まで能天気な男だろう。ため息を一つつくと、睡骨は催促する(「ぼーっと見てないで早く拭く布よこせよ」)蛇骨に布を手渡した。簪をとり髪をふきつつ、懐から鏡を取り出す。雨で崩れた顔の化粧を見て、蛇骨は再び喚いた。
「今日のは久しぶりにうまくいってたのに……あぁ、むかつく! 退屈だわ、腹立つわでちっともいいことがねぇ!」
「うるせえ。腹が立つのは皆一緒だろうが」
最も、蛇骨の場合「雨が長く降り続いているから」という理由だけではないだろう。大方、下りた街で好みの男がいなかったとか、ふられたとかいう理由がつくのだろう。それの愚痴を聞くのも真っ平ごめんだ。一通り拭き終わり、(顔の化粧も全て拭い落とした)蛇骨は着替えをするために隣の部屋に入っていった。隣室で、まだ文句を呟いているのが聞こえる。それを耳障りに覚え、睡骨は顰め面を更に顰めた。
「おい蛇骨、大兄貴たちが戻ってくるまでに廊下拭いておけよ」
濡れた足でばたばたと歩き回るものだから、廊下も、この部屋の床も濡れてしまっている。しかし蛇骨は、隣の部屋から飄々と言ってのけた。
「大丈夫だって。いつか乾く」
睡骨はそんな蛇骨の言葉にもう気力もわかず何も言わなかった。とにかく、蛇骨と会話をするのは気力・体力等々、力がいる。代えの着物に腕を通した蛇骨が睡骨の部屋に戻ってきた。化粧ももう元通りになっている。
「にしてもよー、本当に退屈だよな。ここんところくな戦もねーし……雨なんてなきゃいいのに」
机の前にある障子窓を明け、外を眺める。蛇骨の願いとは裏腹に、雨はやむ気配など微塵も見せない。空は依然黒い。それを横目で見た睡骨は、声にはしなかったものの「全くだ」と蛇骨の思いに同意した。雨で自分達が恩恵を受けた覚えがない。
「だが、雨が振り出すまでは強い日照り続きだった。やっと近頃雨が降り出して、農民共は喜んでいるだろうよ。雨がなけりゃ、農民共は困る。作物が育たねえからな」
「おれの心は潤ってねーもん」
「馬鹿が」
呆れた睡骨の言葉を背に聞きながら、ふと蛇骨は言う。
「大兄貴と煉骨の兄貴は出かけたんだよな……他の奴らは?」
「知らねーよ。誰も彼も皆自分勝手、好き勝手。ここにいないことだけは解るがな」
「なんだ。結局お前しかいねーのか」
「悪いか」
別に、と蛇骨が呟く。 こうなったら、睡骨でもからかって暇を繕おうか。そう考え視線を向けたその先に、睡骨の武器であるかぎ爪が置かれていた。ふと、目にとまる。
「なぁ、その武器って人を切り裂く時どんな感じがするんだ?」
「あ?」
「おれの蛇骨刀は振って刀が戻ってくる時の肉片の感触しかねーけど、それってもっと感触するんじゃねーの?」
直接切り裂くんだからさ、と蛇骨がいささか熱っぽく言う。蛇骨の悪い趣味だった。戦いが大好き、殺人が大好き、人の悲鳴が好き、血が飛沫をあげるのを見るのが好き、人の体がばらばらになるのを見るのが好き。睡骨も戦いは好きだが、蛇骨の様な悪趣味は備わっていない。自分には、少なからず理性がある。血を求め、たびたび蛮骨の命令に背いて勝手に前線に繰り出していく蛇骨とは違う。睡骨は命令に従い、必要以上の殺戮は(命令されない限り)控えている。無論それは慈悲ではない。仕事をこなすためにこれ以上の動きが必要か必要じゃないか、それだけの判断だ。
目を輝かせ自分を見る蛇骨に、睡骨は面倒くさそうに目を向けた。
「……だったら何なんだってんだ」
「どうせ暇だしさ、少し貸せよ。試してえ」
間髪入れず睡骨は駄目だ、と言った。
「えー、何で!」
「間接戦ばかりしているおめえに、扱えるわけがねえ。距離感が掴めずに自傷すんのが落ちだ。それに、何処で試してくるってんだ」
「そんなの、街でに決まってんだろ。大丈夫だって。森の中にでも誘い込んで、それからばれない様にやるから」
恐ろしいことをさらりという蛇骨に、睡骨は何回目かも知れぬ溜息をついた。蛇骨の大丈夫、が本当に『大丈夫』で終わったことはない。きっと面倒なことになるだろうし、一応蛮骨から蛇骨に変なことをさせないように言われた睡骨は、蛇骨を睨みつけた。
「駄目だっつってんだろうが。離れやがれ」
「いいだろ〜! ちょっとでいいから貸せって」
「しつこいぞお前!」
睡骨が背に隠したカギ爪を取ろうと、蛇骨は腕を伸ばす。その蛇骨の体を押し、睡骨は何とか蛇骨を退かそうとした。取っ組み合い寸前の押し問答。誰も指摘しなかったから睡骨自身気がつかなかったが、その姿は傍から見ればまるで菓子を取り合う子供の喧嘩そのものだった。
「楽しそうだなぁ、お前等」
障子のところに、いつの間にか帰ってきていた蛮骨が笑いながらそれを見ていた。後ろでは、呆れた様に煉骨が額に手を当てている。
「蛮骨の大兄貴!」
「雨続きで暇してるかと思ってたけど、あんまりそう思ってなさそうだな、二人とも」
「暇に決まってんだろ!あぁもう、退屈ったらありゃしねぇ」
やっと睡骨から蛇骨が離れ、蛮骨に近寄る。睡骨は思いっきり蛇骨につかまれた服の乱れを直し、帯に武器をはさんだ。
「それで、だ。蛇骨、良かったな。次の雇い主が決まったぜ」
「……ってことは」
「戦に借り出される。霧骨たちが戻ってきたら、すぐそっちへ出発するぞ」
よっしゃー!、と喜びの叫びをあげる蛇骨の横をくぐり、睡骨が部屋から出ようとする。廊下に足を踏み出した瞬間、蛮骨に声をかけられた。
「命令遂行、お疲れさん。お前、蛇骨の面倒見てるときが一番命令をきちんと遂行してるよな。蛇骨と二人っきりで楽しかったか?」
そう言ってにこりと微笑む蛮骨の真意は、計り知れない。
「……冗談だろう」
睡骨は肩をすくめ、三人に背をむけると廊下を奥へと歩いていった。面倒て何だよ、と蛇骨が喚いているのが背に聞こえていた。