不気味な夜だ、と思った。星もなく、風もない。
普段なら一つ輝く美しい月にBeautiful、の一言でも出るのだが…今日はそれすらも不気味に見える。最近夜に外に出ていないからだろうか。
…それも、普段なら隣にいる彼女がいないからか。
苦手なわけではないが、ホラーというものはあまり好かない。
そのせいか、先程ひどくケンカをしてしまい飛び出して行った彼女を探す足もどこか重く、広く続く草原をのろのろとルビーは歩いていた。
野生のポケモンたちも寝静まっているであろう遅い時間。周りに生えている木々も、何処か恐ろしい存在に見える。
一本の立派な木を通り過ぎた所でふと立ち止まった。
「…誰ですか?」
確かに感じた人の気配。…そして、何処か緊張感を持つ気配。
「何だ、気づいたのかい」
声のした方に目をやれば、やはりそこには…正直、苦手と判断してしまう女性の姿。
細い枝の上に器用に座って、いつものようにガムを膨らましながら自分を見下ろしている。とろりとしているのに、何処か鋭さも兼ねそろえた眸―――
…カガリさん…。
そう呟くが早いか、彼女は木の枝から華麗にルビーの目の前に降り立った。
「久しぶりだねえ」
社交辞令にもルビーは警戒心をあらわにする。
当然だろう、彼女には何回か痛い目に合わされてきた。この自分が強い、と判断した相手だ。
一歩、と近づいてきたカガリに対し、ルビーはとっさに腰のモンスターボールに手をやった。
「安心しなよ。…今日は何をする気もないんだ。ただ面白い話を、と思ってね」
ぱ、と腕をあげて降参のようなポーズ。
…確かにいつもならいるはずのキュウコンが傍にいないが、信用してもいいのだろうか…?
少し逡巡したが、まあ攻撃されたらその時だ、と腹をくくった。
「…良かった。極力戦いたくはないですから」
胸をなでおろし、心底、といったようなルビーにカガリも少々肩をすくめた。
「カナシダの時といい、本当にお前はバトルが嫌いなんだね。何でかは知らないけどさ」
「ええ。特にあなたみたいな強い人とはね」
「…世辞は嫌いだよ」
礼儀正しく、物腰柔らか。
観察してきた結果、今といい、普段のといい、ルビーの大体の態度はそんなものだった。
出来る限り摩擦を避け、面倒ことには首を突っ込もうとしない。正義の勇者、というタイプではないが、それでも自分の誘いの言葉を断った。
…だが。
「―――お前はどうしてそっち側にいるんだろうね?」
「…はい?」
「お前がどうしてあたしの手を拒んだのか不思議でならないよ。…お前が内に秘めてるモンはあたしと何ら違わないっていうのに」
何が言いたいのか。
ルビーは最初こそ怪訝そうな表情だったが、意味が解ってきたのだろう、段々眉をひそめるようになった。
「お前はそれを抑えているだけだ。理由は大体わかるけどね。…あの娘、…あの藍色の瞳の娘だろう?」
「……」
「昨日から一緒にいたんだろ?姿が見えないじゃないか。…あの娘は何処に行ったんだい?」
「…少し…言い合いをしてしまって」
「…駄目だねぇ。大切なモンは、しっかり繋ぎとめとかないと」
意味深な言い方をしたカガリの口調に、ルビーの胸がざわついた。
「お前、あの娘に惚れてるんだろ?心底、…それこそ、失いでもしたら何をしでかすかわからないほど。
…何で知ってるかって?ちょっとあの娘のことも調べてみたのさ。あのアクア団に単身挑んでる、凛々しい少女―――確かに、あの娘はあの娘で違った魅力があるよねぇ」
そうですよ、とでも軽く返したいところだが、そうも言えない妙な雰囲気。
…正直、この人にはあの娘の情報は知られたくなかった。
「…でも、虜になってんのはあんただけじゃないよ」
「―――どういうことですか?」
「あたしはあたしの欲望をかなえたいだけ…それに邪魔するものはいらないのさ。…ちょっと協力してもらっただけだよ。あいつもちょっとはあの娘に興味を持っていたみたいだしね」
あいつ―――それが誰であるのか、検討がつかないわけではなかった。
でも、そうは思いたくない…
しかし、カガリはおいうちをかけるように記憶の炎をともし、“その”人物を暗闇に浮かび上がらせた。
揺ら揺らとした炎の中に、確かに浮かび上がる人物。少し前、自分に忌まわしい過去の映像を思い出させたあの幻想の男―――。
「!!」
「面白いことに、こいつもあの娘の虜になってんのさ」
「…っ今何処に!!」
「さあ?仲間といえど全てを把握してるわけじゃないからね。どっかであの娘としっぽりやってんじゃないかい?」
カガリが卑しく笑う。
一度手合わせをしているだけに、ルビーはホカゲという男に手加減が全くないことを十分に承知していた。
「―――あの娘に手を出すことは許さない…!」
闇の中でもはっきりとわかるほどに、その紅い眸は輝きを増し。…眼前のカガリの姿を、まるで捕食者のように鋭く捕らえる。
ゾクッ…
一瞬で、全身に怯えにも似た鳥肌がはしった。
「そう…その目だ!あたしはお前のその目が好きなんだよ!」
正義を忘れ、憎しみだけを身に宿した時にするその眸。
まさしく、獣そのもの―――我を忘れ、戦いや欲に身を窶した時にする貪欲の眸だ。
憎め、憎め。
―――そうすれば、お前はどんどんあたしと同じような人間になっていくんだ。
しばらく互いに睨み合っていたが、それを先にやぶったのはルビーだった。
ふ、と目を閉じ、くるりとカガリに背を向ける。
「…睨み合ってても仕方がありませんね。…サファイアをすぐにでも探した方が得策だ」
「場所に心当たりがあるのかい?」
「…馬鹿にしないでください。あの娘のことならわからないことはないですよ」
発信機でもつけてあるのかねえ。
そうかい、と呟くと、元いた枝に再度カガリは飛び移った。今日はこれ以上こいつに執着するつもりはない。…本当に、少し話がしたかっただけだから。
あっさりと身をひいたカガリが少々気になったようだが、ルビーも追及することなく、歩き出そうとする。
…が、立ち止まり、一度空を仰いだ。
「…あなたがボクに何を望んでいるのかは知りませんが。…ボクの実力は、前にあなたと手合わせをした時の、…本当にあれだけです。
―――理性を保っていられる間はね。
ボクの本当の実力を知りたければ、…ボクの理性を崩すようなことをしてみればわかりますよ」
どんな目をしているのだろう。
後姿からそれは計り知れなかったが、その言葉は何処か脅しのようにも聞こえた。
「それは是非知りたいね。…でも、そんなことをしたらあたしはきっと、ここに立ってすらいられないだろうね」
「……」
子供とはいえ、こいつの内を安く見ているわけではない。
今はまだ理性や常識にとらわれて本領を出せていないが、両手足の全ての枷が外れたら、きっとこいつは鬼になる――――
ルビーは何も言うことなく、…カガリのほうを振り返ることもなく、何処かへと走り去っていった。
確かな足取りだ。本当に発信機でもつけていたのかもしれない。
そんなことを思いながら、カガリも空を仰いだ。
白い月、暗い中にただ一つ空に輝くモノ。
自分と似ている、とふっと思った。
何もかもに無気力で何かにこだわったことはあまりなかった。そんな中で、ふっと浮き出てきたあの気になる子供。
闇の中に、一つ輝くモノ。
(ただの遊びのつもりだったのにね)
気がつけば、もっと知りたいと思っていた。…それこそ、この身を呈してでも、と。
「…ばっかみたい」
恋焦がれる生娘じゃあるまいし。自分はそんなタイプじゃない…
暫く考え込んだあと、カガリはポケギアをとりだし、あるナンバーを手馴れた手つきで押し始めた。
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