「ありがとうございます……!助かりました!本当に感謝しています!」
大げさと思えるほどに深々と礼をされるのにも、やっと慣れてきたな。今回の依頼主である目の前のゴルダックを前に、ジュプトルはそう感じていた。
目の前にいる初老のゴルダックは、折れそうな程に腰を何度も曲げ感謝の意をとなえている。ゴルダックはこれほどまでに背が低かったかと思えるほど、彼の姿が小さく見えるくらいだ――そろそろ、そんな彼の肩を「それほどでもない」と叩こうか。そう声をかけようとしたその時、自分のそばをふわふわと飛び回る相棒が一足先に声をかけた。
「そんなこと! ただオレンの実を集めてきただけだもの。気にしないで」
ゴルダックとジュプトルとの間に入りそんな言葉をかけた彼女は、ジュプトルの現在の相棒だ。名はセレビィ……時渡りポケモンといわれる、伝説のポケモンだ。しかし他者を近づけないような気高さは全く背負っておらず、彼女はころころと人懐こく笑っている。
「いやいや、むしろたったそれだけのことを伝説のポケモン様にしていただくなんて恐れ多かったのですが……お優しい方で、安心しました」
しかし彼女は普通のセレビィ族とは違った部分がいくつかある。一つは、一般的に知られるセレビィ族の色とは違った、桃色の個体であること。それでなくともセレビィというものは伝説のポケモンであるがゆえ普通に姿を見ることすら難しいと言われている。更に色が違うとなれば……まるで熟したモモンのような色をした彼女の姿を見た者は、総じてまず目を丸くする。

「そんなこと言わないで。今のわたしはただのポケモン。探検隊シーランドの一員だもの。もう時渡りの力すら失ってしまった、出来損ないのセレビィなのよ」
そしてもう一つは、時渡りの力を持たないということだった。


止処なく礼の品を渡そうとするゴルダックを押しとどめ、ジュプトルとセレビィはやっとのことでトレジャータウンへの帰路についた。
「あのゴルダックさん、本当に喜んでくれて良かったですね」
「そうだな。オレンの森に行けばオレンなどいくつでもあるから楽な依頼だったのだが……何だか礼までたくさんもらってしまったな」
「ウフフ、でもきっとこれ、ギルドの方にほとんどとられちゃいますよ」
「……またお嬢がうるさそうだ」

ジュプトルが肩をすくめると、セレビィはまあ、と控えめに笑った。
ジュプトルとセレビィのリーダーはよく言えば気丈な性格で、悪く言えば喧嘩っ早い性格だ。何度も師にあたるプクリンのギルドのポケモンたちと喧嘩をしている……最も、ギルドといっても正確にはぺラップ一匹と、であったが。いつだったかは、依頼金をどちらが1ポケ多くもらうかで言い争っていたこともあった。
まぁ、そのような性格だからこそ彼女は“運命との喧嘩”でも勝利をもぎ取り、自分の境遇を受け入れてああして未だ生きているのだが。彼女は自分たちが戻ってきても、それほど驚きもしなかった。
「どうせギルドの連中にとられるのならば、取りに来てくれればいいんだがな。荷物になって敵わん……セレビィ、大丈夫か?」
「ええ大丈夫。これくらい」
先を歩くジュプトルの腕には、ゴルダックが是非にと渡した数個のピーピーマックスと太陽のリボン、ゴローンの石、ずしりとした金貨袋。後に続くセレビィの腕には、癒しの種と爆裂の種、青色グミ、黄色グミ……エトセトラ、エトセトラ。
小さな彼女の体だと、それらはいつ腕の中から零れ落ちてもおかしくないほどの量。現に、セレビィの眼前は種とグミの山が出来上がっていた。これでは、視界も把握出来ていないだろう。自分で意識しているのかしていないのかは定かではないが、浮いた体もふらふらと危なげにふらついている。
「……セレビィ。荷物をこっちに寄越せ」
「え? でもジュプトルさんもたくさん荷物を持っているのに」
「いいから」
「え…… きゃっ!」
いきなり伸びてきたジュプトルの腕にセレビィが驚き、いよいよバランスを崩す。右に大きく傾いた体から、種やグミが零れ落ちる。しまった、とジュプトルが思った瞬間にはすでに、爆裂の種が二個仲良く地へと落ちていた。
パパパパパ、パン!
……マルマインの大爆発やフワライドの誘爆の威力には大きく劣るものの、小規模の爆裂でも打ち所が悪ければ悲惨なことになりかねない。
ゲホ、と息を吐けば口から黒い煙があがった。次いで、焦げになった種やグミがパラパラと二匹の元に舞い降りる。咄嗟にジュプトルの腕の中に匿われたセレビィが、鋭い悲鳴をあげた。
「ジュ、ジュプトルさん!」
「大丈夫かセレビィ? 怪我はないか」
「はい。ジュプトルさんにかばっていただいたから……そんなことより、ジュプトルさんこそ大丈夫なのですか?!」
「爆発が背を軽くかすっただけだ。お嬢に酷使されて体を鍛えていた甲斐があったな」
「嘘! すごい音がしたわ! どうしよう、今オレンもオボンも持っていないのに……とりあえず、傷を」
腕の中から飛び立とうとするセレビィの体を引き止め、ジュプトルはその場に座り込んだ。
ジュプトルさん?と怪訝そうな表情を浮かべる彼女を強く抱く。
「いや、どうも足を強く打ったようだ」
「! では、早くトレジャータウンに戻りましょう」
「しばらくこうしていさせてくれ。動けそうにない」
「でも……」
「それとも、俺を放ってお前一人で戻るか?」
「そ、そんなこと出来るはずがないじゃないですか!」
そうだろう、と言わんばかりにジュプトルは歯を見せて笑う。そうして有無を言わさず、ジュプトルは近くの木の根元にどかりと座り込んだ。未だセレビィをその胸に抱いたまま、離す素振りもない。紅色の大きな胸に体を押し付けられて、セレビィは身動きもろくにとれそうになかった。
「……えっと、わたしはこのままの体勢なんですか?」
「嫌か?」
「い、いいえ! ……こうしてジュプトルさんに抱きしめてもらうのって久しぶりだなーって……思って」
「ん、……ああ……そうだったか」

戻ってきたこの世界は、大所帯だった。いつでも何処でも仲間のポケモンがあふれ、特にトレジャータウンのポケモンたちは新入りである二匹を暖かく迎え入れてくれた。暗い未来でいつも敵に追われていただけに、ジュプトルとセレビィは優しいポケモンたちに囲まれ幸せだった。
しかし、思いを寄せ合う関係としては不都合なことも多く……気遣ってくれる者も少なからずいるものの、多数は「未来の英雄」である二匹をいつだって放ってはおかなかった。
そのようなわけで、最近は二匹きりになることも少なく仲間として接することの方が多かったのだ。
そんな時間を埋めるかのように、ジュプトルはセレビィを胸に包む。セレビィももはや異を唱えることなく、素直に身を預けた。
「何だか不思議。……心臓の音が聞こえます」
「生きてるからな。別におかしなことではないだろう」
「そうですね。……わたしたち一度は消えた存在なのにって思ったら、何だか不思議な感じがして」
セレビィの声は、何処となく震えていた。胸の中に納まっているため表情は伺えないが、……泣いているのだろうか。
「ねえジュプトルさん、わたしってこうして生き返っても良かったんでしょうか」
「何故そのようなことを言う?」
「だって、わたしは“森の神‐セレビィ”よ。これでも昔は、稀有な能力を持つわたしを取り合って争う者たちがいたほどなのよ。
それなのに、今となっては芽を息吹かせることも出来ない。時渡りすら出来ない。セレビィとしての存在意義全てを失ってしまったのにこうして生きている。まるで、神様が生き恥をさらせといっているかのようだわ」
「馬鹿な。その神とは一体誰だ?」
「……わかりません」
「俺もわからん。わかっていたら、生き返ってすぐ会いに行っていただろう。俺の最も愛しい者を俺と共に生き返らせてくれて感謝する、と伝えに」
セレビィが顔をあげる。金に輝く三白眼は、されど優しく微笑んでいた。
「その内どれが欠けていてもきっと俺は神を罵倒していただろう。俺だけが生き返っていれば、このような生などいらぬ、と。お前が俺のそばにいなければ、何故共にではないのか、と。
だが、実際にはこういう結果になった。だから俺は心臓がこうして動いてるだけでこれほど嬉しいと思う」
「ええ、私も嬉しいです……」
セレビィは頬を染めながら、されどしっかりと答えた。これだけは伝えなければならないとでも言わんばかりに。
「……ジュプトルさん。変な話だって思うでしょうけど、わたし、未来にいた時心臓が動いていないと思った時があったんですよ。暗黒の時代であってもわたしは生きていたのに、そんなはずないだろうって思いますよね。でも、あの時は確かにわたしそう思ったんです。わたしに、もう心臓はないって。消える覚悟をした日から、わたしは死んだも同然だった。何故って、わたし心臓をジュプトルさんに預けていたから」

口を挟もうとしたジュプトルに、セレビィはかぶりを振った。
セレビィが一息つき、 ジュプトルの胸にかかるペンダントに触れる。それは、「森の宝石」とうたわれた翡翠のごとき輝石だった。かの少女が身につけていた「海の宝石」と対をなす宝。闇の中であってもなお輝くその宝をつけた二人を目にした瞬間、セレビィはそこに同じく輝かしい未来を見たのだ……。
「お嬢とジュプトルさんの決意を聞いて、わたしも協力しようと誓った時からわたしの心臓はジュプトルさんと共にあったんですよ。その時から、わたしの心臓は、もうわたしのものじゃなくなった。ジュプトルさんが消える時には、わたしも共に消える覚悟だったから……
でも今こうして生き返って、わたしの心臓はまたわたしのものになったんですね」
ゆるやかな曲線を描くセレビィの頭を、ジュプトルは撫ぜた。それに気づき、セレビィは子ども扱いしないでください、と頬を膨らませる。すまん、と謝りながらもなおジュプトルは手を止めない……風が優しく吹きつけるかのように。
「こうしてお前に触れることが出来るのも、生きているからこそだ」
セレビィは目を見張った。
「セレビィ、俺たちは生きている。その事実に変わりはない。一度は消えることを覚悟した俺だが、今は違う……お前と共に生きたいと思ったんだ。もう消えるのはごめんだ。お前には、俺と一緒に生きてほしい。俺の相棒として、ずっと俺の横にいてほしい。だからもう泣かないでくれ」
頭から移動した鍵手は、セレビィの大きな瞳をぬぐった。透明できらきらとした美しい雫が一つ、ジュプトルの指をすべる。
セレビィは何度も、何度も強く頷いた。言葉はなく……。いつになく雄弁だったジュプトルも、それ以後何も話さなかった。ただ胸の中の存在を、愛しげに抱き続けただけで。


15.抱擁
(心臓の音が聞こえる/生きてるからな)