つけられたままのテレビから、騒がしい音声が引切り無しに流れていた。軽快な音楽と共に、「新作のポケモンフーズ、近日発売!」「ポケモンコンテスト、ズイタウンで開催決定!」など俗世間が好みそうな話題をレポーターが熱っぽく喚きちらしている。
けだるい午後の時間だ、暇な人間がこれらを見て馬鹿のように笑っているのだろう。アカギはテレビから流れるそれを雑音と感じながら、しかし作業を進める手を妨害されることなくいた。
テレビというものはほとんどが娯楽番組。何も考えずとも次々と進んでいく画面の中は、暇をもてあます人間にとっては最高の道具だろう。しかしギンガ団をたばねるアカギにとっては「くだらない」といった意見しか出てこない低俗なものだった。
けれども、表向きは慈善団体として活動している自分たちにとってある程度俗世間の流れを把握することもまた必要不可欠。力ある番組のスポンサーとなり資金を支出・調達することもある。更にコンテストなどによってある街に大勢の人間が集まるのであれば、そこに部下を派遣してポケモンの搾取をさせることもある。抱える崇高な目的に比べれば何と幼稚な悪事であるが、無能な部下たちが出来ることとしては最低限の仕事だろう。
そのようにして、アカギは普段からまるで音楽を聞くかのようにテレビをつけっ放しにしていることが多かった。
「では、次のコーナーです。……何と!今日のゲストは皆様ご存知、シンオウのチャンピオンシロナさんです!」
先程までとは違った、少し緊張気味のレポーターの声。それを耳にした時、書類にサインをするアカギの手は確かに速度を落とした。画面の中で、わあと歓声があがる。テレビには、マイクを片手に興奮気味にまくし立てるレポーター。その横には、見知った顔のチャンピオン……シロナ。アカギもあまり見たことのないような冷静な顔をしている。その対比が何処となく滑稽だとすら思った。簡単な挨拶を交わし、二人が椅子に座る。
「――女性チャンピオンというのは世界でも珍しいですよね。何故、シロナさんはチャンピオンを目指そうと思ったのですか?」
それはシロナにとっては聞き飽きた、ありきたりすぎる質問だったろう。それでも彼女はそんな態度をおくびにも出さず、「そうね」と少し考えるような素振りをした。
「目指そうと思ったというより……気付いたらなっていたという感じですね。我武者羅だったの」
「成る程。シロナさんは、“がむしゃら”が得意技だということですね」
ド、と笑いが起きる。画面の中のシロナも「まあ」ところころ笑っていて――
「全く、面白くないわよね」
アカギの居たデスクの左、テレビの対面に置かれていたソファから不機嫌そうな声が届く。……寝そべってテレビを見ていたシロナが、口を開いたのだ。黒のソファに散らばった金糸の髪を、指でくるくると絡ませながら。ああ、いたのか。そんな言葉が飛び出しそうになったが、すんでの所でおしとどめた。そんな言葉を、彼女は許しはしないだろうから。
今日、彼女は久々のオフだった。シロナは自分の所に来てすぐ、「疲れてるから横になりたい」と言った。それならば自分の所など来ずとも休んでいれば良いと思うのだが、彼女はそういう思考に至らなかったらしい。自分の言い分を遮断し、ソファに寝そべっていた。あまりに静かだったため眠っているのかと思っていたが、どうやらテレビを見ていたらしい。
そんな自分のうつるテレビを、シロナはびしりと指さした。
「このレポーター、カンナギの実家にまで取材申し込みしてきたのよ。それがしっつこくて!おばあちゃんや妹が参ってたから、仕方なく承けたけど……まぁ見事につまんない話しかしないの」
「それはわかる。このお前の顔を見れば」
不満など露知らず、“テレビの中の”シロナは変わらず穏やかに微笑んでいる。微笑んではいるが、目は真っ直ぐ前を見据え冷静だ。テレビの前で自分に頬を膨らませる感情豊かな面はかけらも見られない。しかしこの画面の中で微笑むシロナは、まさしく人々が望む憧れのチャンピオンの姿なのだろう。人は憧れを抱く偶像に人らしい感情を求めない。むしろ、完璧でこそあれと望む……。
「所でシロナさん。シロナさんは美しくてプロポーションもいいのに、全く浮いた噂がありませんよね?どなたか気になる男性はいたりしないのですか?」
「そうですね……」
瞬時甲高い音が響き、画面上に“衝撃の回答はCMの後!”といった仰々しいテロップが並ぶ。……シロナはリモコンに手を伸ばし、チャンネルを変えた。一転、穏やかな音楽と共にシンオウの景色が画面一杯に映る。そのあまりの変貌に、一瞬面食らったほどだ。
「あら?何、アカギ気になる?私が何て答えたか」
目を丸くするアカギに気づいたのか、シロナは手を口にあてにたりと笑う。からかう素振りの入った彼女に、アカギは一つ息をつくと彼女から再び書類へと目をずらした。
「……もっと興味持ってくれてもいいじゃない!」
「私が粘らずとも、お前は言いたそうな顔をしているのでな。今にも口から零れそうだ」
シロナの頬がぷくり、とまた膨らんだ。年不相応な少女のようなそれに、アカギも苦笑せざるをえない。
「赤い糸、って言ったのよ」
シロナはソファから身を乗り出し、小指をアカギに突き出した。
「勿論いるわって答えたの。『彼と私は、赤い糸で繋がってるの』って言ったのよ。……そう、その顔!あのレポーターも、一瞬そんな顔をしたわ。それからすぐに“赤い糸!ロマンチックですね”ってありきたりな言葉を紡いだけれど。そういえばポケモンに持たせる道具でも『あかいいと』なんてものがあったわね。
……ああ、勿論そんなつまらない冗談じゃないわよ。きちんとした、私とあなたの小指に繋がる赤い糸よ」
くるくる。シロナは金の髪をほっそりした小指にからめる。目の錯覚か、それが自分の小指に絡み付こうとする触手のように見えた。思わず、手を強く握り締める。
「……まさか私の名を出したわけではないだろうな」
「まさか、そこまではしないわ。いくら私でもそこまで無節操じゃないわよ。……まあ、もう少しって所で口から出てきそうだったけどね」
ソファから立ち上がり、シロナはアカギの座るデスクの机へと身を預ける。書類の上できつく握られているアカギの拳を包むかのように、シロナは手のひらで覆った。そして、小指を突き立てることも忘れなかった。
「鈍感なあなたでも赤い糸くらい知ってるでしょ?運命の人間、それこそ前世からの結びつきかもしれない……私、アカギとはそういうものを感じてるの。ねえ、見える?私とあなたの赤い糸」
「そんなものはない。……ない方が、お前にとっても幸せだろう」
「嫌よ。そんなの嫌。私アカギが好きなんだから。もし繋がってないなら、私結んじゃうわよ」
チャンピオンである彼女はまるで子どものように舌をぺろりと出し笑う。
――何故彼女は、このように微笑めるのだろう。何故このように真っ直ぐ愛情を向けられるのだろう。
それでなくとも、自分と彼女は立場がまるで天と地のように違う。かたやシロナは人々の安寧を約束し、世界を統べる
自分たちは、けして褒められた関係ではない。昔からの知人であるといえば聞こえがいいが、お互いそのような言葉で許されるような地位にいない。もう自分たちは子どもではない。しかも二人の間を友情だけが結んでいるのではないとすれば……。公になれば、必ず咎められるだろう。特に彼女は――裏切り者、とすら叫ばれるかもしれない。
けれども彼女は。きっとシロナは、そのようなものにも臆さないのだろう。彼女は皆の糾弾を笑い飛ばす。「だから何なのだ」と。人々の冷たい視線など、もろともしないだろう。
「私が欲しいのは人々の祝福や賞賛じゃないわ。あなたの愛よ」
いつだったか、シロナはそんなことを言ったことがあった。
彼女は自分の前で、子猫のように人懐こく笑う。けれども、子猫のように怯えはしない……。
「ううん、赤い糸だけじゃ嫌よ。外でおおっぴらにデートしてみたり……教会で結婚式をあげてみたり。望むことはいくつでもあるわ」
それどころかシロナは、この現状にさえ不満を持っている。自分からの塞き止めがなければ、彼女は今すぐにでも自分の腕を掴んで外へと飛び出していくに違いない……。
「……私を困らせないでくれ」
「ええ。今はまだ……このままでいいわ。小指の赤い糸のままで。でも……そうね。あとはこの薬指に婚約指輪があれば最高なのだけど」
同じくほっそりした白く細い指を、アカギに突き出して。不満を吹き飛ばすかのように、満面の笑みでチャンピオンは微笑った。
13.赤い糸
(つながってるかな?/結んでやろうか、今ここで)