「本当に先生は、ミクリさんのことが好きやったとね」

目の前の無邪気な弟子は、あどけなくそう言った。


終末のお伽噺


二人で木陰に座り、藁籠から取り出した飲み物を飲んでいた時だった。
それは優雅なお茶会というようなものではない。サファイアがヒワマキの自分の元にいきなり現れ、バトルの特訓をしてほしいと溌剌に言い放った。自分もたまたま暇を持て余していたから、それに応じた。そうして始まった特訓の、今は単なる休憩時間である。
サファイアはモーモーミルクに砂糖を加えたものを飲み、自分はただの“おいしいみず”を彼女に付き合い少しずつ口に運んでいるだけだ。この光景に、優雅さなどない。そんな優雅ではない休憩時間に、彼女がせがむので少しばかり自分の昔話をしてみせた。
喋りながら、つまらない話だなと我ながらに感じていたが、目の前の弟子はそう思わなかったらしい。まるで宝を見つけた冒険者かのように、目をキラキラと輝かせている。

「ううん、過去形にしたら失礼ったいね。先生はミクリさんが本当に好きやとね!」
「ちょっと待て。どうしてそう感じる? 確かに子どもの時はミクリとたくさん遊んだり修行をしたりしたが、本当に友達としてだぞ。実際に恋仲だったのは……わずかだ」
しかもこの物語は、破局という最悪な形で幕を閉じている。ハッピーエンドが常であるお伽噺−フェアリーテイルにはあるまじきことだろう。
「時間の長さなんて関係なかよ! 先生の話ば聞いてたら幸せな気分になったったい」
「幸せ?」
「うん! 先生の話、どの部分を聞いてもキラキラしてすごく綺麗ったい。ミクリさんと一緒に冒険したとか、修行したとか、ケンカばした部分だって! 羨ましかよ〜!」

(羨ましい?)
再びキラキラと瞳を輝かせるサファイアに、自分は理解が追いつかなかった。
幸せ?綺麗?
むしろ、どろどろとして汚いものだ。彼の類い稀なる才能に嫉妬し、そんな才能を持たない自分に絶望し、自分を好いてくれた彼を傷つけて遠ざけた……そんな思い出であるのに。

(わたしは)
お伽噺が、嫌いだった。
否、最初は好きだったかもしれない。しかし物心が少しずつついていくと、お伽噺の中にいるお姫様がどんどん嫌いになっていった。
「誰か助けて」と願うだけで、万能な魔法使いが助けてくれる。端麗な王子様が迎えに来てくれる。最後には、必ず幸せになる……そんな、お姫様が。女が。
わたしはこうはならない。誰にも頼らない。男には負けない。強くなってやる――自分の力のみで、地位や名誉をつかむことこそ幸せであると考えていた。しかし。そうして虚勢を張り続けた結果が、この結末だ。
私は本当に望むものを、自ら突き放してしまった。

「それにしても、ミクリさんって情熱的な人ったい! 水タイプば専門的に扱う人やのに、素敵とね。……アイツも、見習ってくれたら良か!」
話によれば、サファイアの想い人は未だ彼女に対して素知らぬ態度をとり続けているらしい。何故彼がそのような態度をとり続けているかは自分には不明だが、サファイアは未だ気づいていないのだろう。
彼の瞳が、常に何処をむいているのか。飄々とした態度をとりながらも、彼が常に何を気にしているのか。全てに鋭敏な少女ではあるが、自分に対して向けられている感情に対しては鈍感であるらしい。
「……フフフ、キミたちにはまだまだ未来ある子どもだ。ルビーだって、ずっととぼけ続けることは出来まい? キミがずっとそばにいれば、必ず自分の感情に対して素直にならざるをえなくなるだろう」
「むう……そ、そうやろか」
「そうだとも。キミの一番の武器は、その熱情さだ。わたしとて、それにおされたことがあったほどだ。ルビーならなおさらだろう」

そんな自分の言葉にうんうんと唸り、時折頬をぽっと桃色に染める少女はとても可愛らしい。
野性的な少女だと彼の少年は呆れながら言うが(それでも、その口調にはもちろん愛しさが感じられる)、自分から見れば目の前の少女ほど愛らしい少女はいないだろうと思う。
そして、羨ましさすら感じる。
無邪気な彼女のようにいられたら、私はきっともっと早く幸せになれていた。彼女のように、好きな相手に対して素直に「好きだ」と伝えていれば、私は今でも彼のそばに何のわだかまりを抱えることなく居られた――
結局自分はじっと待っているお姫様よりも、ずいぶんと愚かだったのだ。

(そんなわたしが……フェアリー・テイルの姫君を馬鹿にする資格はないな)
そんな自嘲を水と共に喉に押し込むと、隣に座っていたサファイアが「思いついたと!」といきなり立ち上がり、同時に自分の腕をひいた。思わず反動で立ち上がると、彼女は更に腕を強く引き何処ぞへと走り出した。
「サ、サファイア?!」
「先生はあたしたちのことば未来ある子どもって言うけど、先生だってまだまだこれからったい! 今からルネに行って、ミクリさんに会いに行くったい!」
「な、何だって!?」
「カイオーガとグラードンの事件は全部終わったけん、でも先生たちはこれからったい! 話は、まだ終わってなかよ!」

(終わって、ない?)

サファイアに強く引かれた腕は、痛みすら持って熱くなっていく。
しかし、もっと強く熱いのは。




パラ、パラ、パラララ……しおりの外されたページが、勝手に捲れていく。
続きのページは、未だ真っ白だ。何も書かれていない。ここに何を書き込むのか、誰が書き込むのか、いつ書き込まれるのか、どういう結末であるのかはわからない。
今ただわかるのは、これで“終わりではない”ということだけだ。

少年少女は、愛を紡いでいく。