「そうか…サファイアとケンカをしたのか」
「…はい…すみませんでした」
「謝るべきは、私にではないだろう?」
ルビーの方を振り返ることなく、何処か淡々とミクリが言う。 そんな指摘にもルビーはしゅんと頭を項垂れ、「そうですね」、と呟くばかり。
おかしな光景だ、と思わずにはいられなかった。
どこか大人びていて生意気な物言いばかりをしていた我が弟子、彼が、こんな年相応らしい落ち込み方をするとは。
いや、むしろもっと子どものようだとすら思う。まるで友達と些細なケンカをして回りに八つ当たりをしてしまい、親に怒られた幼児のようではないか―――
ハンドルを握りながら、ミクリは思う。
「…彼女はボクのライバルです。違う価値観のせいで出会えばお互い嫌味ばかり、それが当たり前になっていて…」
バトルをけなした。ホウエンをけなした。正義のために戦うなど、と、彼女の考え自体をけなした。
…彼女に酷い言葉をはいた。
そして――彼女に、涙を流させてしまった。
「女の子を泣かせるなんて男として失格ですよね」
乾いた笑いと共にルビーはそう言ったが、ミクリにはその言葉の中に「男としてのあり方」以上にこめられた気持ちがあると気づいていた。
サファイア…“彼女を泣かせたこと”が、ルビーをここまで変えさせたのだ。
他のどの女性を泣かせたとしても、彼が罪悪感を感じることはあるにせよ、ここまで思いつめることはあるまい。
(我が弟子ながら、面白いことだ)
ヒワマキでサファイア、あの元気な子と出会った時は彼はまるで「出来れば出会いたくなかった」とすらとれるような態度だったのに。
ここまで彼を落ち込ませることが出来るほど彼女は大きな存在だったのか。
そして、それは自分自身にも覚えのある事柄だった。
闇雲に強くなることを望んでいた過去…チャンピオンになることが自分のトレーナーとしての一番の頂上だと思っていた。
しかし、ナギが自分の届かない所へ行ってしまうのではないかと不安を覚えた時… 自分は、最高の地位よりも彼女の傍を選んだ。
「…確かに、女性を泣かせることは男がしてはいけないことだ。 けれど、それは誠意に謝れば済むことだ。何なら私が仲介してもいい。
…しかしルビー、それだけでは済まない…
否、済ませたくないと思っているから、キミはこうして私に手紙を送ってきたんじゃないのかい?」
ルビーが目を丸くする。 …そして、また顔を下に俯かせた。
「…おかしいんです、師匠。あの子の、涙が」
頭から離れなくて。
勝手な勘違いをして、怒鳴りたて、(おおよそ女の子らしくなく、)衣服を脱ぎ捨てて…少し前の自分なら、そんな彼女に呆れ果ててもいいくらいなのに。
あの子の泣き顔が、どうしても。
自分の心をジクジクと疼かせ、彼女の泣き顔がどうしても目の奥に焼きついて消えない―――
「どうしても、」
どうしても。
「…あの子はボクの価値観とは対極の位置にいて、あんな子、反発の思いさえあれ、謝りたいという思いが…
…好きだなんて感情が…」
こんなににも、この胸に競りあがってきている。
ざあ、ざあ、ざあ、ざああ。
ミクリはそんな弟子の告白を、黙って聞いていた。雨音だけが、いやに車の中にも響いてきていて。
「…私が一人のジムリーダーとして言うなれば、“色恋事にかまけている場合じゃないだろう”と言うべき所だけれどね」
「!」
「キミの師匠として言うなれば、その気持ちは大切にしてほしい」
「師匠」
ミクリにも思い当たる所があるのだろうか。バックミラー越しに、にこりと笑った師匠と目があった。
「ルビー、人間は弱い。面倒なことに首を突っ込みたくない気持ちもわかる…だがね、自分にとってとても大切な人がそれに関わって涙を流した時…
私たちは動かなくてはならない」
「……」
「世のため人のため、なんて大義名分はかかげなくていい。ただ、大切な人を思う気持ちさえあれば…キミは今自分が何をすべきなのか悟れたはずだ」
「師匠…」
雨はまるで悲鳴をあげるかのようにエアカーに涙を打ちつけている。ワイパーをかけていても、すぐに視界が悪くなってしまうほどだった。
鬱陶しい、そして恐ろしい。これが古代ポケモンの力なのか―――ミクリが小さく舌打ちをした瞬間。
「…ボクは、戦います」
激しくなってくる雨足をまるではねつけるかのように、ルビーは強くそう言った。