鎖で拘束された身は、酷く衰弱していた。
まるで毒を盛られたかのようだ。否、今現在この瞬間も、毒を盛られ続けているのと同じだろうと実感していた。
……目の前で荒く息を吐く男が、ゲーチスに愛を囁き続けている。
青年は優しく絡みつき、ゲーチスの体に口づけを落としている。酷く興奮しながら、しかしそこに荒々しさは皆無、傷つけないようにしている。
それは間違いなく、愛だった。
ゲーチスにとって愛の言葉など、猛毒にも等しいものだった。
「父さん。父さん、父さん……」
まるで懇願するかのように、男は"関係性"を連呼する。
いっそ名前を呼び捨てにしてくれたほうが、どんなに気が楽になるか。
男の、その慈しむかのようなその言葉で、嫌でも実感させられるのだ。
目の前で自分に欲情するこの男が、自分の息子なのだと。
蝋燭の灯に妖しく浮かび上がる、透き通った白い肌。
精巧なアンティーク・ドールのように、恐ろしく整った顔立ち。
仄かに高揚する頬は男が興奮していることを具に伝え。
桜桃の唇は、ちらりと赤い舌を隙間から見せ。
女のように細く、しかししなやかに骨ばった肢体。
若草の長髪は無造作に跳ね、しかし男の顔に妖艶な影を落とし。
すらりと伸びた指先は、堪えきれぬ愛を吐き出そうと熱を帯びている。
全ての要素が男の美しさに作用し、色を与えている。
確信出来る。間違いなくこの男はバケモノだ。人間ではない。
人ならば誰でも持ち得るはずの闇が、この男にはない。
何処までも純粋で無垢で、心も体も綺麗すぎる。
傀儡として操るならばその純粋さは都合の良いものであったが、このように自分自身に向けられるとなると。
「愛しています」
青年は黒く真っ暗で、しかし透き通った瞳でゲーチスにそう囁き続ける。
気持ち悪い。 ぞくりと、肌が粟立つ。
青年の双視の黒い球体に映る自分は、滑稽な程怯えていた。
ゲーチスは愛を知らなかった。知ろうとも思わなかった。
人々から畏れ、敬われることは多々あった。それがとても心地よかった。
欲を発散する為商売女を抱いたことはあったが、愛されたことも、愛したこともなかった。だからこそここまで来ることが出来たと思っている。
夢を成就する為にはそれは邪魔なものだった。だから愛を欲したこともない。
2年前、野心を阻まれ多くの部下が去っていき。数か月前、またもや野心を打ち砕かれ全てを失い。
そうしていよいよ独りになった時、自分は空虚の存在となった。
気が狂う程の屈辱の中で、青年は再び眼前に現れた。
憎しみの言葉を、絶望の言葉を、罵りの言葉を吐くと、確信していた。
それがまさか、「愛しています」だとは誰が予想出来ようものか。
切り刻まれ痛みを与えられた方が、拷問された方が、余程気分は冷静でいられただろう。
このように優しく愛されることは、死よりも残忍だ。
ゆるゆると吐き気を催し、冷たい汗が流れていく。視界が揺らぐ。いっそ、意識を失いたいとすら思った。
青年はゲーチスに跨り、その身を擦り寄せる。胸に顔を被せ、腕を回す。その動作はゆったりとしていて緩慢だが、臆しているわけではない。
ただ愛おしいと思っているのだ。華奢な恋人を抱く、婚約者のように。
青年がゲーチスの上で身動ぎするたびに、ゲーチスの黒衣が捲られていく。
青年はゲーチスの衣服を脱がすつもりも、自身が脱ぐつもりもないようだ。しかし布を隔てた上からでもわかる。青年の男としての部分が激しく興奮し、いきり勃っていることが。
体を密着させ、青年は腰を揺らす。硬く怒張するものが、腹に擦られている。
まるでそれは欲を吐き出したいかのように……一種の本能のようにも見えた。
「――バケ、モノめ。実の親に劣情を抱くなど、と」
とっくに枯れ果てた喉から絞り出すように罵れば、青年は目を見開く。
そしてにこりと綺麗に、微笑むのだ。
まるで、「嬉しい」と伝えているかのように。
「父さん……今更、僕を愛してほしい等言いません。ただ僕に、愛させて下さい。父さんを」
そしておおよそ"息子"としての立場を超えた、愛を与えるのだ。
指先は熱を籠らせ輪郭をなぞり、髪を梳かす。瞳はうっとりと潤み細められ、ゲーチスを捉える。
唇に、唇を重ね合わせる。角度を変え、何度も。何度も。
柔らかく啄むような口づけは言葉無くとも、深い愛を伝える。
ただ、ゲーチスにとってそれは冷たいものでしかなかった。
「……父さん。僕、とても幸せです」
青年の暖かな言葉が、ゲーチスを侵していく。
心臓が凍りつくような怖気を、ゲーチスは薄れゆく意識の中で感じていた。