わたしのご主人様――プラチナ・ベルリッツは、ベルリッツ家の次期跡取りであり、年は齢12歳。
あのナナカマド博士の右腕をつとめられる程聡明で、なおかつ閉月羞花な麗しい方。令嬢にありがちな驕慢さも持ち合わせておらず、丁寧で、されど凛とした佇まい。そこには高貴ささえ滲みでている。その“ステータス”は、いずれ名望あるベルリッツ家を纏めていくにふさわしいことを如実に物語っていた。トレーナーとしての訓練はされていないから、最初はすることなすこと不安定で危なっかしかったが、その熱情に裏付けられた並々ならぬ努力によって培われた彼女の昨今の成長には、目を見張るものがあった。
少し世間知らずな所に瞑目すれば、彼女ほど有望で完璧な少女はいないと言っても過言ではないだろう。気高さを持ち矜持高いポッチャマ族であるわたしでも、彼女にならいつまでも付き従いたいと思っている。

そんな嬢様……プラチナ嬢様に、あんなボディーガードたちは似合わない。

第一印象は、最悪だった。
名前をダイヤモンドとパールとかいった、プラチナ嬢様と同い年くらいの二人の男。バトルもけして強くない(あんな実力で、プラチナ嬢様を守れるとでも思っているの?)、下品(ゲラゲラと笑ったり、バシバシと暴力を振るったり、いつでも変な掛け合いをしている)、そして何より平凡な顔立ち。何処をとっても、彼らはプラチナ嬢様のお付としてふさわしくないステータス。プラチナ嬢様が、名を名乗らなかったのも頷けるというもの。ため息がつきる日はなかった。
けれども。
わたしはそれ以上に、プラチナ嬢様にふさわしくないポケモンだった。
荒ぶる野生ポケモンたちから彼女を守ることすら、満足に出来ない。プラチナ嬢様をたびたび危険に晒してしまう。自尊心に見合う実力がなくて、自己嫌悪に心が狂いそうだった。
そんな時、プラチナ嬢様から提案されたジムリーダー戦。苦戦こそしたものの、結果わたしは勝利することが出来た。わたしはちっぽけな自尊心を、何とか保つことが出来た。それもこれも、共に戦ってくれたプラチナ嬢様のおかげ。
そして、あの人のおかげ。

「すっかり自信取り戻したみたいだな。よかったな」
ジム戦後、あの人はそんなセリフをわたしに言った。優しい笑顔や、優しい声音で慰めるように言ったのではない。それはただ、ひょんと口からすべり落ちただけのような色を持つものだった。でもわたしは、そんな言葉にどれだけ救われたことだろう。いつものわたしだったら、余計なお世話と思い気にもしなかっただろう。でもその時わたしは、確かに彼を見た。真正面から見やることは出来なかったけれど、精一杯の行動をとってくれたあの人の横顔を見た。
そして、彼の友が語る言葉をこの耳に聞いた。

「パールは、これと決めたことは絶対貫き通すんだ。」

(……少しは、やるのね)
そう思ったのは、彼が必死にプラチナ嬢様のサポートをしようとしたから。
わたしは単純にそう思っていた。


「ポッチャマ。お待たせしました」
木陰でうとうとと目を閉じかけていたわたしの元に、プラチナ嬢様が帰ってきた。「これから進むルートについて彼らと話をするから、ポッチャマは休んでいてください」と言い残し彼女が出かけていったのは、数十分ほど前。ルートを決めるだけに随分と時間がかかったものだ、そんな文句をわたしは胸に秘める。
「遅くなってしまいごめんなさい。ルートは早々に決まったのですが、彼らの特訓が面白くてつい見入ってしまったのです」
わたしの頭を撫で、プラチナ嬢様はそう言う。続けて、どんな特訓をしていたのかを事細かに話してくれた。「凄かったのですよ」などと興奮気味に教えてくださるけれど、特訓だなんて何てことない、彼らの“掛け合い”が彼女にはそう見えるだけだ。
聡明な嬢様に低俗さが移ったらどうしてくれるの。
いつだったか、彼らの真似――ツッコミ、とかいうもの――をしていたプラチナ嬢様を見た。
……頭が痛い。
あの人を少し見直した今でも、わたしはその部分だけは心配している。

「お嬢さん!」
プラチナ嬢様が、向けていた視線を下方から上方へとあげる。未だ声変わりをしていないにしても、彼の声は男にしては甲高い方だと思う。とても特徴のある声だ。視線をわざわざあげなくとも、あの人が来たのだとわかる。
「ちょっといいか? さっき言い忘れた。今から行く街のことだけどな、……」
あの人が、相方から借りてきたのであろうガイドブックを広げプラチナ嬢様に何かを指差す。わたしの身長からはそれが何を指しているのかはわからず、ただ交わされる言葉をぼんやりと聞くことしか出来なかった。興味深そうに聞いていたプラチナ嬢様の顔が、見る見るうちにぱぁっと明るく花開いていく。
「……ってわけでさ。どうだよ? お嬢さんが喜ぶと思ったんだけど」
「ええ、ええ! 嬉しい情報をありがとうございます。是非、体験したいです」
「よし、じゃあ着いたらすぐ行くか」
そこまで言ってから、あの人はわたしの存在に気づいたらしい。「よぉポッチャマ」と軽く挨拶をされ、わたしは反射的に視線をそむけた。彼はそれを不快に思うこともなかったようで、「じゃあまた後でな」と走り去っていった。その先には、彼の相棒の姿。これからまた、出発の時間となるまで掛け合いをするのだろう。実際、「じゃあ特訓だ!」なんて声がここまで聞こえてくる。

「……」
視線をプラチナ嬢様の方へ戻してみれば、お嬢様は先程にも増して満面の笑みを湛えていた。あの人から何を言われたのやら。それを今聞かなくとも、次の町へ着けばいずれわかることだから「如何したのですか?」なんて視線は向けない。モンスターボールからポニータを出し跨ったプラチナ嬢様の膝に、私は飛び乗った。そこまでプラチナ嬢様に近づいてわかる、彼女が「経験、経験」などと嬉しそうに独り言を呟いていることが。
――世間知らずなお嬢様。それが、この旅によって彼女の世界は広がっていく。誰でもない、あの人たちの手で。
知識だけでは駄目なのですね、ポッチャマ。
ある夜わたしにそう言ったプラチナ嬢様の表情は悲しそうでもあり、また何処か嬉しさをも携えているように見えた。

その時の嬢様の表情に、今の嬢様の表情が重なって見えた。

「わたしはまだまだ成長しなければなりません。そのためには、豊かな体験や経験が必要です。楽しいことだけではなく、辛いことも厳しいこともたくさんあるでしょう……しかし、乗り越えなければなりません。それをわたしのパートナーであるあなたにも強いることとなってしまいますが……ポッチャマ。お互い頑張りましょうね」
無論、あなたと共になら何処へでも。
わたしはそんな思いを伝えたくて、強く頷いた。
嬢様は、ありがとうと言ってくださった。

嬢様、嬢様。わたしはあなたが使役してくださる限り、何処までも頑張れます。どんな苦楽も、あなたと共に。

プラチナ嬢様に伝えたいことはたくさんあるのに、通じられないこの想いがもどかしい。けれども嬢様は全てわかっていますよ、とでも言わんばかりにわたしを見る。それはけして、自意識過剰ではないはず。だってそうでなければ、これほどまでにわたしが嬢様の暖かさを感じることは出来ないのだから。

「お互い、初事ばかりですね」
ウイゴト。 ……何ですか、それは。
そんなわたしの言葉は、人間であるプラチナ嬢様にはやはり届かない。けれども彼女はその言葉が耳に届いたかのように、「ええ」とわたしに返した。
「言葉の通り、初めてのことという意味ですよ。わたしは研究ばかりで、家にずっとこもりきりだった。あなたも、博士の元にずっといて外の世界は見たことなどなかったでしょう。お互い、世間知らずです。することなすこと、新鮮ですよね。ああ、あと」

「初恋という意味もあります、ポッチャマ。今のあなたにはぴったりの言葉」
そう言って微笑んだプラチナ嬢様のお顔は、茶目っ気をたっぷり含んでいた。あまりそのような表情をなさらない方だから、「冷静な性格」であるはずのわたしも素直に驚いた。嬢様の背越しには、あの人がダイヤモンドと何やら話をして笑っていた。

「秘密事はなしですよ、ポッチャマ」
たった二人きりの女の子同士なんですから、とプラチナ嬢様はわたしの手をきゅっと握った。とても、暖かな手だった。