夜の海は、昼間の綺麗な青色を失ってただの黒い絨毯をしきつめたようだ。
それでも海が美しく見えるのは、土手の上にある、夜でも輝くグランドフェスティバル会場の眩い明かりを反射して波が光っているから―――
ざざん、ざざん…
静かな夕闇の中、波は行ったり来たりと、砂の上を遊んでいる。


波が届かないぎりぎりの所で、彼女は砂の上膝を抱えて座り込んでいた。
さざ波しか聞こえないこの場所だったら、考え事には最適の所かもしれないが…いかんせん、彼女は一人きりになるには似合わない人間だった。
ふと姿を見てしまって、何だか声をかけなければならないような気がして。足音をたてないように、彼女の近くに忍び寄った。

「“めいそう”でもしているのかい?」
我ながらよせばいいのに、そんな皮肉を言ってしまう。気の利いたことでも言えれば良いのに、彼女にそんな言葉しかかけられない自分の性格を恨んだ。
「…シュウ」
いつものような彼女の元気な声ではない。―――まあ、当たり前といえば当たり前か。元気であれば、こんな所で一人ではいないだろう。
「放っておいて、今少し気分が落ち込んでいるの」
「ふーん?君でも落ち込むことってあるんだな」
ああ、また。自分の性格がにくらしい、にくらしい。
彼女もこの言葉にはむっときたようで、初めて自分の方を振り返った。
「っ… 反省してるのよ!私が軽々しく…ハーリーさんの言うことを信じてしまって!勝ったから良かったけれど…」
「全くだよ、君は何処か人を信じすぎる所があるんじゃないかい?単純というか、何というか…」
彼女がまた膝に頭を乗せるようにして黙り込んでしまったのを見て、慌てて口をつぐんだ。

(…全く)
言い貶すべきは、自分自身だというのに。
こんなににも彼女のことを想っているというのに、慰めの一言も出ない自分がほとほと嫌になった。経験がないからかもしれないが、どうしてこうも―――
(…コンテストなら得意なんだけれど)
そんなものとは全く違うということは百も承知だ。 
「…解ってるかも。私、少し褒められたりするとすぐに調子に乗っちゃうの。簡単に人を信じちゃうんだもの…単純だわ」
「…僕は…全く人を信じないよりは、ましだと思うけどね」
ぽつりと口から零れたそれは本音だったが、呟き程度の声だったから彼女には聞こえなかったのだろう。
(信じやすい、か)
そんな所も、純粋な君のいい所。僕が君を思う一つの理由―――そんなことでも言えればいいのだが、まさか自分に言えるはずもない。
薔薇を渡すなんて気障、と彼女に言われたこともあったが、僕は決して彼女に言葉を贈ることは出来ない臆病者なのだから。
「…ともかく、それ見よがしに落ち込むのはやめてもらえないかい?君は僕のライバルなんだろう?落ち込んでいる暇があったら、技の一つでも」
「…ねぇ、どうしてシュウは私をライバルだと思ってくれているの?」
「…え?」
いきなり言葉をさえぎられて、らしくなく驚いてしまった。
「言うのは癪だけど、シュウだったらもっと私以上に高レベルなコーディネーターがライバルにいてもおかしくないほどでしょ―――」
下から覗きこむように僕を見る彼女の双視は、明らかに「謎」という色を表していた。

…呆れた。 呆れた。

ここまで(僕としては珍しく)人に付きまとっているというのに。彼女は“今更”、どうして僕が自分の傍にいるのかと問う。
本気で言っているのだろうか?少なくとも照れ隠しではないだろう。
鈍感な女性は可愛らしいというが、ここまでくると人を傷つけるというものだ。

君に出会うたびに捧げていた薔薇。…その薔薇さえ、解らずに受け取っていたというのだろうか?

「………さあ、どうしてだろうね?」
「何よそれ」
「君はどうなんだい?どうして僕が君のライバルでいるか、考えたことは?」
「え?…うーん…」
考えだしたハルカを置き、シュウは彼女に背を向けると海岸沿いを歩き出した。
「あ!ちょっと、シュウ!」
「僕が君の“ライバル”でいる意味はね」
振り返りはせず、赤い薔薇だけを肩越しに彼女に見せて。
「今はまだ甘んじているだけだよ。 可能性を信じて、…“そこ”にいるだけさ」
「…どういう意味よ?」
「さあ?少しは自分で考えてみたらどうだい、ハルカ君」
きっと彼女は困惑した表情か、はたまた憤慨の表情をしていることだろう。また彼女の自分の印象を悪くしてしまったかな。
けれど、これは僕のせめてもの仕返し。


…赤い薔薇の花言葉は、“貴女を愛しています”。
今度会う時までにはどうか理解しておいてくれよ、ハルカ。

―――じゃないと僕は、君にもっと意地悪な言葉をはいてしまうから。