ヒウンシティはイッシュ最大の大都会であり、様々な人間・人種の集まるサラダボウルでもある。
若き日に袂を分かった二人が、この地で偶然再会するという話もそう珍しくはない。
そして今日、アクロマもその話の当事者となった。

「アクロマ君……?」

裏通りを歩いていたアクロマを、懐かしい呼び名が引き止めた。
柔らかな、しかし二度と耳にすることはないだろうと考えていた声音に、アクロマは耳を疑う。
しかし振り返って視界に入った女性は、紛れもなく彼が予想していた通りの存在だった。
「……マコモ先輩……?」
「あぁやっぱり、アクロマ君なのね!」
長い黒髪を揺らし、足早に近づいてくる女性。
彼女はマコモ……昔、同じ研究所でアクロマと同じ時を過ごした研究者だ。
彼女もアクロマと同じく学究の徒として、研究に身を捧げていた。
あの頃から十年近く過ぎているはずだが、彼女はあの頃と何ら変わっていないように見えた。前髪を留めている花のピンも、あの頃と変わりない――まるで少女のような容貌。当時も「彼女は自分より年上だ」と聞かされた時嘘だと感じた。自分もよく他者から童顔だと言われるが、マコモ程ではないだろう。
そして今もまた改めて感じる、マコモはあれから何も変わっていない。マコモはアクロマの記憶の中の彼女と全く同じように、眼前で笑っていた。
「変わらないわね、アクロマ君」
「マコモ先輩こそ……。今先輩は、何を?」
「あたしの研究はあの頃から変わっていないわよ。トレーナーとポケモンの繋がり……
それが見せる夢を研究してる。いくら研究してもし足りない。
終わらない夢……あたしは今でも、夢を追いかけてる」
マコモは昔からロマンチストだった。
その大きな瞳を常に輝かせ、アクロマや彼女の親友であるアララギに自身の研究テーマや、夢を語った。
そんなマコモの話は留まることを知らず、時折押し倒されそうになる程熱っぽかった。またその口から語られる夢は、研究者として語ることを許される範疇から逸脱していることすらあった。しかしアクロマは、それを指摘することはなかった。マコモの話には、常に希望があったからだ。アクロマもまた研究者でありながら、希望を抱いていた。そしてそんな彼女に感化され、アクロマ自身もおおよそ科学では証明できない自論を持ち得ることになった。つまり、マコモは今のアクロマを形成する多数の要素を作り出した人物でもある。今にして思えば、それは初恋といっても過言ではなかっただろう。しかしマコモは。

(先輩は、ずるいひとだった。)

マコモは、研究者として在るべきだったはずのアクロマの中に、夢を語ることを許した。研究を進め、時に互いに夢を語り合い、激励しあった。それからいつしかアクロマは、マコモと共にこれからもずっと研究を進めていきたいと考えるようになっていった。しかしある日、マコモはいきなり研究所から去った。理由はわからない。アララギからは――彼女とは直接親しい訳ではなかったので、はっきりと聞くことも出来なかったが――「夢を追いかけに行った」、と簡単に聞かされた。その旨を聞かされた時のアクロマの胸中の喪失感は、自身が意識するよりも余程深刻であったように思う。
マコモはアクロマの中に種を植え付け、水をやらぬまま去って行ったのだ。
その時からずっとアクロマの中で、育つことのなかった芽が燃え尽き……しかし灰と帰すことなく、ずっと燻り続けている。
燻った火種は埋もれ掛け、漸く忘れかけていたのに。彼女は再びこうして、現れた。
「それで、アクロマ君は今は何を?」
「わたくしも同じですよ。ポケモンとトレーナーの絆について……目では見えないものを証明したく、足掻いています」
「そうなの。では今もまだ、あの研究所に?」
「いいえ。今は……プラズマ団に、身を寄せています」
僅かに彼女の目が見開かれたのを、アクロマは視た。
「……そう。プラズマ団に」
いかに世俗に疎くなりがちな研究者とはいえ、かの団の名前、そして悪名を知らぬはずがない。普通の人間ならば、旧知の仲間が歩む道の誤ちを批判し、離れるよう助言するだろう。もしくは道を踏み外した仲間に怯え、距離を取ろうとするだろう。しかしマコモはどちらでもなかった。マコモは面と、アクロマに向き合った。
「今でもアクロマ君が夢を追いかけていると解って良かったわ。安心した。場所は変わってしまったけれども、これからもお互い頑張りましょう」
そう微笑み、手を差し出した。
何ら変わらない彼女の態度に、アクロマも自然と笑っていた。
「えぇ、マコモ先輩。いつかお互い、夢を実現する為に」

いっそ否定し、自分たちの道は違ってしまったと決別してほしかった。
ただあのように微笑む等、卑怯だ。これでまた、アクロマは燻り続けるしかなくなる。彼女への想いを捨てきれず、身を焦がすことしか出来なくなる。
(先輩は、やっぱりずるい。)
マコモは少女のような外見をした、ロマンチストだ。しかしその実、アクロマよりも大人でリアリストだった。否定をしない。深入りもしない。ただ花のように笑うだけだ。それがどれだけ残酷であるかを、アクロマは熟知している。自身もいつの間にか、そのように生きてきたのだから。

嗚呼その態度は、救済を求め身を焦がす者には、辛すぎる。

暫くこの地は訪れられない。
アクロマは空を見上げた。高いビルの森から、青い空が小さく見えた。