ああ、ムカつくったらありゃしない―――…本当に、その言葉しか出てこない。
(ハルカ…あの子は本当にアタシをムカつかせる存在ね)
思えば何年も、もしかしたら十何年もあの子に苛まされてきたような気がする。
アタシが幼い頃から、ハルカに初めて会った時から、アタシはずっと「あの子」を憎んできた。その理由は他人にとっては些細なことであっても、アタシには大問題なのよ。
…あの子を泣かせることが出来れば、少しでもこの気持ちが和らげられると思ってきたのに。
(このグランドフェスティバルで今度こそ、と思っていたのに。まさかこのアタシに勝って、更にシュウくんに勝つなんて)
しかも美しく…観衆の視線を釘付けにして…許せない。
何よ、あんな大技を隠していたなんて。せめてあれでこのアタシの敗退を美しく飾りなさいよ。 …そんな見当違いな逆恨みもしてみる。
(そして、何よりも)
その後、あっさりとあのサオリとかいう女に負けちゃって。
本っ当にグランドフェスティバルってのは残酷だわ。何ヶ月もこのために特訓を続けてきても、負けてしまえば「はいそれまでよ」なんだから。
最も、それはどんな戦場でも普遍の決まり事だけど…
そんなことを考えつつ、綺麗に掃除された廊下を進む。
観衆は未だ続けられているバトルに夢中で誰もおらず、ここには喚声の一端が聞こえるのみで他は静かだ。
選手控室はもうすぐね。戻って行ったあの鴨ちゃんに嫌味の1つでも言ってやろうかしら。
そうして曲がり角を曲がろうとした瞬間、ハーリーの耳にか細い声が聞こえてきた。
(泣き声?)
そっと目をやれば、そこには数人のまだ幼い男女が固まって立ち尽くしていて…その中心で声を抑えることなく泣いているのは、ハーリーを悩ませている張本人ではないか。
まぁ、ハルカちゃんじゃない。
こそこそするだなんて自分らしくないと思いつつ、彼らに気付かれないよう角から様子を見遣った。
ハルカを泣かせてやると意気込んできた自分だったが、実際彼女の泣き顔は一度も見たことがない。モダマで負かしてやった時も、彼女はへこたれることすらなかったから。
それが今は“可愛らしい”顔をくしゃくしゃにして泣いている。 周りの仲間らしき子たちが肩を支えている。
(…そんなにあの女に負けたことが悔しかったのかしらね)
ヤドランとラプラスを華麗に使いこなし、対戦相手の攻撃すら自分のポケモンたちを魅せる飾りに変えてしまう…まぁ、それなりにすごいコーディネーターだわ。
聞く所によると、あのシュウを初めて負かしたのも彼女だという。
涙すら見せたというが、本当だろうか。あの生意気で気障な少年が悔し涙を流すなど、今ではとても考えられないことだろう。
ふと気配を感じ、ハーリーは視線を上げた。
曲がり角の前方…曲がらずにそのまま真っ直ぐ進んだら行ける方向…に見知った緑髪の人間が歩いているではないか。
(噂をすれば何とやら、ね)
ハルカたちに気付かれることなく先へ進み、お得意の愛想の良い笑みを顔に貼り付けた。
「シューウくーん♪」
鬱陶しそうな、嫌悪感のような、はたまた両方か…振り返ったシュウは隠しもせず、それをハーリーに向けた。
彼の傍では相棒でもある美しいロゼリアがハーリーを見上げている。
「残念だったわね〜負けちゃって! ハーリー、実は優勝するのはシュウくんじゃないかって思ってたのに〜」
嘘、嘘、真っ赤な嘘よ。 優勝するのはこのアタシだったはずなのよ。リボンカップを手にするのはアタシだったの。 あの子に阻まれたけれど。
「…僕はまだそんな器じゃなかった」
「シュウくんもまさかハルカちゃんに負けるとは思わなかったんじゃないの〜?」
「彼女は成長した。当然の結果ということですよ」
「でもそのハルカちゃんも負けちゃったじゃない。 そうそう、見た?さっきそこの角で…」
そこまで言った所で、シュウの表情が更に険しくなった。それを見て、瞬時にハーリーはシュウの控え室が「こっちの方向ではないこと」に気付く。
「アラ、気付いてたの?」
「……行くぞ、ロゼリア」
「あ、ちょっと待ってよぅ シュウくん!」
先へ進もうとする彼の前に立ち、進路を塞ぐ。 …シュウが大きくため息をついた。
「意外に冷たいのねぇ。知ってるのならハルカちゃんを慰めてあげればいいのに〜」
「…僕は人を慰めるのは苦手です」
「あらん、謙虚ね。その甘いマスクと綺麗な声と…何よりシュウくんにだったら、ハルカちゃんもすぐに泣き止んじゃうわよ♪」
「彼女には仲間がいる。僕の出番はない」
「仲間だって大事だけれど、何よりハルカちゃんにはシュウくんが必要なんじゃない! シュウくんだって気になってるんでしょ?」
まるで自分が恋のキューピッドをしているように思えてくる。
他人の恋愛、特に最も憎んでいる少女(と少年)の恋愛なんて反吐が出るほど嫌いだってのに…
この気障な少年が少しでも心乱されている所が面白くて仕方ないのかもしれないけれど、ホント、我ながら矛盾してる。
もっともっと心かき乱されてしまえ。 そうすれば、若い彼らはもっと混乱する。乱心する。コンテストに集中できなくなる。
それはアタシの勝利への近道でもあるのよ。
さて、何て言って心を乱してやろうか。 そう画策するハーリーを、シュウはいささか下方からじっと見上げた。
「…なぁに?」
「…変ですね」
シュウが含み笑いのような表情を作りハーリーに向き合う… ハーリーが、最も嫌うシュウの顔だ。
「僕には、あなたが一番ハルカを気にしているように見える」
胸が跳ねる。
ステージの方から、ワアァア、とひとしきり大きな歓声が聞こえた… 司会のリリアンの声が、うっすらと聞こえてくる。
「あなたが、一番ハルカを慰めたいように見える」
凛としたシュウの声。 真理を突く声。 …動悸が激しくなる。
「ッ…ふざけないでよ!!誰があんな子なんかを!」
反射のように、思わず大きな声を出してしまった。
手が震え、体が硬くなる。言葉が出てこない。 そんなハーリーを更におさえつけるかのように、背後から怒声とも思えるほどの喚声が聞こえてきた。
2体ともバトル・オフ! …決まったァー! 今ここに新しい覇者が登場だ! その名はサオリさん…!
最高潮に達する喚声―――その声は興奮と感動、祝福に満ちていた。 それは同時に、グランドフェスティバルの閉幕を告げる声々でもあった。
「…心配せずとも、彼女はすぐに立ち上がりますよ。ハルカは強い」
歩き去っていくシュウに放つ言葉も出ない。
彼の姿が奥へと消えていくのを見届けてからやっと、石のように硬まった体を動かすことが出来た。
今から閉会式だ。あの女がリボンカップを授かる姿を見届けるのは癪だが、出なければ…コーディネーターの一人として。
そうだ、その前にセンターに預けていたポケモンたちを引き取りに行かなければ。
廊下を戻ると、自分と同じように手持ちや持ち物を整えに来る数人のコーディネーターがいるのみで、ハルカたちの姿はすでにそこにはなかった。
すでに泣き止んで閉会式へと向かったのだろう。 笑顔で優勝を祝福する彼女の姿が容易く想像出来る。 赤く腫らした目を隠して、拍手をする彼女の姿が―――
…あんたを泣かせるのはアタシなのよ。 アタシの知らない所で勝手に泣かないで頂戴。
先程よりも更に酷いむかつき感を覚え、ハーリーは誰ともわからぬ者に悪態をついた。